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教員コラム

農業に経営戦略を

2019年5月17日

国際食料情報学部国際バイオビジネス学科 教授 渋谷往男

教授 渋谷 往男

●専門分野:農業経営学
●主な研究テーマ:企業の農業参入、農企業の経営戦略
●主な著書等:戦略的農業経営~衰退脱却へのビジネスモデル改革(日本経済新聞出版社)

国際バイオビジネス学科に新研究室

「経営理念」と「経営戦略」。ともに企業経営において重要な概念であることは知られているが、その違いを正確に理解している人は多くはないだろう。最近の研究によって、わが国の農業経営ではこの2つはかなり異なる意味合いを持つことが分かってきた。この春、東京農業大学国際食料情報学部国際バイオビジネス学科に経営戦略研究室が新設された。これを機会に、農業における経営戦略と経営戦略研究室の話をしたい。

MBAコース並みの研究室体制に

国際バイオビジネス学科は、東京農大の中では数少ない社会科学系の学科の一つで創設から22年目を迎えた。2017年度の学部学科改組に伴い、農業や食品産業を対象とする経営学に特化した体制となり、現在カリキュラムや研究室体制の移行中である。その一環として、この4月、マーケティング研究室から派生する形で経営戦略研究室が誕生した。これにより本学科では、「経営組織」、会計学を含む「経営管理」、「経営情報」、「マーケティング」、そして「経営戦略」というMBA(経営学修士)コースのような研究室体制が確立した。

近年は、一般企業が盛んに農業に参入し、農業もまた6次産業化に見られるように他産業に参入している。さらに、農業は零細な家族経営というイメージが持たれがちだが、会社形態で農業を行う農業法人が増加の一途をたどっており、従業員が100名を超える大規模な法人も出現している。このように、農業経営と一般の企業経営は互いに近づいている。

わが国では製造業を中心に世界と伍していけるような優れた企業が数多くある。こうした企業はいずれも経営戦略手法を駆使した経営を実践し、それを学ばせるために幹部候補社員にMBA取得を推奨している。このMBAコースで重視されてきた科目の一つが経営戦略である。

経営戦略研究室は、こうした経営戦略の知見や手法を農業経営に取り入れることで、農業をわが国の成長産業として生まれ変わらせることに挑戦している。

大規模・先進的な稲作農業法人を調査

筆者は農業に参入した一般企業の経営戦略について、約20年研究してきた。そのなかで、一般企業が日常的に意識している経営戦略手法を、参入した農業経営に導入することで成功を収めている例がいくつも見られた。その一方で、従来からの農業経営では経営戦略手法が使われていないことが気になっていた。そこで、経営戦略研究室の発足を控えて、農業経営自体の経営戦略の研究を進めてきた。

研究の着手にあたり、さまざまな解釈がある経営戦略について、図1のように概念を整理した。図1の左側は経営戦略の策定手順の典型例である。まず普遍的な経営理念やビジョンを明確化する。次に企業の内外の経営環境分析を経営戦略策定ツールにより実施し、それを踏まえて経営戦略の中核となる中期的な経営計画を策定する。さらに、Plan(計画)・Do(実行)・Check(評価)・Action(改善)を繰り返すことで、生産・品質などの管理業務を継続的に改善するPDCAサイクルのような経営管理の手法によって、よりよい戦略への練り直しをくり返す。この一連の取り組みを中央の4つのパートに整理した。このうち、経営戦略策定ツール以降を「狭義の経営戦略」、全体を「広義の経営戦略」として体系化した。

(図1) 経営戦略の概念と枠組みの整理

その上で、一般経営学の経営戦略手法の農業経営への適用可能性について調べた。具体的には、対象をわが国の農業で最もポピュラーな稲作経営とし、経営戦略への対応状況や経営者の考え方から特性を分析した。研究方法としては、まず農林水産祭で天皇杯、総理大臣賞などを受賞したわが国のトップクラスの大規模な稲作農業法人4法人の経営者にインタビュー調査をした。4法人は、農家の延長線にある経営か否か、6次産業化を積極的に進めているか否か、売上規模の拡大を積極的に進めているか否か、など条件が異なる農業法人を選定した。次にこの結果をより多くの経営から検証するために60の先進的な稲作農業法人等にアンケート調査をし、インタビュー調査と同様の方向性が見られることを確認した。

成長か継続か、多角化か稲作単体か

こうした一連の研究の結果、冒頭に示した「経営理念」と狭義の「経営戦略」の対応は全く異なる特徴を持つことが示唆された。図2はこれを非常に簡略化した模式図であり、横軸を経営理念の活用の強弱を示す経営理念軸、縦軸を経営戦略の活用の強弱を示す経営戦略軸とした。

図2の横軸の右寄りの、経営理念を策定して従業員に周知している稲作農業法人は、他とは異なる革新的なビジネスモデルにより、成長を重視した経営を志向しており、実際に経営が急拡大している。一方で、左寄りにある経営理念をあまり活用していない法人は、何世代も前からの「家」を前提とした比較的保守的なビジネスモデルで、成長性よりも継続性を重視した経営を行っている。

縦軸の上方にある狭義の経営戦略を活用している法人は、6次産業化を積極的に進めており、稲作部門よりそれ以外の多角化部門(農産物加工や販売、外食など)の売上比率が高くなっている。中期の経営計画も立てている。一方で、縦軸の下方にある狭義の経営戦略を活用していない法人は、6次産業化に否定的で、あくまでも稲作単体の経営を志向し、中期の経営計画は立てていない。

(図2)先進的稲作農業法人経営に基づくの経営理念と経営戦略の関係

日本農業特有の経営戦略理論も必要

多角化部門の売上が7~8割の6次産業化が進行した農業法人は、経営者の意識としては農業経営であっても、実態は食品産業の経営といえる。こうした経営は一般経営学の経営戦略手法がそのまま適用可能で、経営戦略は多角化しつつ成長していくために不可欠の手法といえる。一方で、稲作単体の経営を志向する農業法人も大きな賞の受賞に象徴されるように十分「戦略的」な経営を行っている。このことから、米国で発展し世界の企業経営に適用されてきた一般経営学の経営戦略手法とは異なる、日本の稲作、あるいは農業特有の経営戦略を有していることが示唆された。

こうした研究によって、6次産業化を志向する農業経営では、これまで盛んに研究・活用されてきた経営戦略理論や手法を理解しておくことが重要であることがわかった。一方で、日本で生産に特化した農業経営を行うには、一般の経営戦略理論に加えて、農業特有の経営戦略理論も必要であり、この点の解明は今後の大きな研究課題といえる。

これまでの農業経営は経験と勘が重視されてきた。しかし、これからの農業は経営戦略を含め、しっかりとした経営学の理論に基づいた科学的な経営を行っていくことが重要だと考えている。

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