アッケシソウ群落の再生を
2012年1月20日
生物産業学部生物生産学科 教授 吉田 穂積
能取湖で民産官学の保護活動
アッケシソウ(学名;Salicornia europaea L.)という植物をご存じであろうか。我が国では、明治24年に北海道厚岸湖の牡蠣島で発見されたことにちなみこの和名が名付けられた植物である。その自生地のひとつ、網走市の能取湖で近年、群落が衰退傾向にある。
本学研究陣による実態調査と、それに基づく民官産学の保護活動について報告する。
高い耐塩性能力
アッケシソウの形態は、多肉質の細長い茎が、多く枝分かれしており、葉や花は極小さく茎とほとんど区別がつかない高さが10cm〜35cmほどのアカザ科の1年生植物である。世界では寒帯から熱帯にかけて30種以上のSalicornia属の植物が分布しているが、日本ではSalicornia europaea L.のみが北海道の道東沿岸部、岡山県や香川県に分布している。秋になると茎や枝が濃緑色から赤紫色に色づき、その色と形がサンゴに似ていることから別名「サンゴソウ」とも呼ばれている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波被害の一つとして耕作地への海水流入による塩類集積が農作物生産にとって大きな障害と言われているように、土壌中に蓄積した高濃度の塩類は、植物の生育を大きく阻害する。しかし、アッケシソウは、入り江や流水の緩やかな海に近い川辺の場所などに生育している塩生植物と呼ばれる仲間に属しており、高い耐塩性能力を持つばかりでなく、海水に近い塩濃度を最適な生育条件としている植物である。
北海道内でのアッケシソウ自生地は、厚岸湖、野付半島、紋別市のコムケ湖、サロマ湖、能取湖などが知られている。厚岸湖牡蠣島のアッケシソウは、「厚岸牡蠣島の植物群落」として大正10年に国の天然記念物に指定され、昭和32年には、サロマ湖畔鶴沼のアッケシソウ群落が北海道の天然記念物に指定を受けるに及んでいる。
網走市の貴重な生物資源
我々が所属する生物産業学部の立地する網走市は、網走湖、能取湖、藻琴湖及び濤沸湖と4つの汽水湖が存在する水豊かな街である。網走市元副市長の鈴木雅宣氏(現;財団法人網走監獄保存財団理事長)の記憶によると網走市の西側に位置する能取湖では昭和49年4月にオホーツク海との永久水路を開口するまでは、秋に海水が流入し、春の潮きりまで湖の水面が上昇し、秋には湖畔一帯が見事な赤色のアッケシソウに覆われ、地域住民を中心とした「サンゴ草まつり」が行われていたとのことである。
しかし、永久水路の設置により湖畔の水位が低下しアッケシソウの衰退がみられるようになり、当時の網走国定公園管理事務所と協議のうえ、地元卯原内観光協会が中心となり、水田造成を参考に現在のアッケシソウ群生地に湖水が流入するように造成を行ったとのことである。この造成作業により大潮の時には群生地全体が湖水に覆われる状態に戻り、また、アッケシソウの生育が見られなかった部分には群生地が湖水に覆われる前の秋に種子を播き、その規模を4haまでに拡大し、アッケシソウ群落の見事な再生を果たしたとのことである。この成果は、今上天皇陛下の皇太子時代である昭和60年に妃殿下との視察地として選ばれ、全国的にその名を高め、網走市の貴重な生物資源の維持に貢献すると共に重要な観光資源となり現在に至っている。
一部群生地が乾燥化
アッケシソウ群落の保護育成は、これまで卯原内観光協会が中心となり、一部網走市の助成を受けながら雑草駆除や耕転砕土などの整備が行われてきた。しかしながら、近年、潮位の上昇による群生地内の土砂の流失や多くの水溜まりの発生により、アッケシソウの発芽不良や褐色化等による立ち枯れ個体があらわれるようになりその対策が求められていた。保護育成の主体者であった卯原内観光協会ではこの原因が「群生地内への湖水流入の増加によるもの」との判断から関係機関と協議の上で群生地に近接する港湾拡張工事で排出される浚渫土砂を群生地内の低地部に盛土をするとともに、湖水の流入を防ぐ目的で湖岸堤防の構築を行った。
しかしながら、当初計画を大きく上回る整備が行われ、アッケシソウ生育に必要な湖水の流入が困難となり一部群生地が乾燥化し、アッケシソウ群落の大幅な縮小と黒色化をともなうアッケシソウの生育不良が生じ、貴重な生物資源とそれにともなう観光資源の喪失につながりかねない状況となった。このような状況を受け、網走市、地元自治会、東京農業大学生物産業学部の3者が能取湖アッケシソウ群生地の再生に向け保護育成事業に取り組むこととなった。
強酸性状態で生育不良に
筆者が所属する生物生産学科には、これまでに能取湖のアッケシソウを材料にその耐塩性メカニズムの解明に取り組んできた植物バイテク研究室、寒冷地における湿原の保全と再生に取り組んでいる植物資源保全学研究室、環境への負荷低減を図る畑土壌管理法の構築を目指している作物生産管理学研究室が配置されている。この三研究室のスタッフが連携し、それぞれが持つこれまでの研究ノウハウを元に網走市能取湖サンゴ草再生協議会に参画することとなった。
我々は、まず、アッケシソウ群生地の衰退要因を明らかにするための現地調査を実施した。網走市による事前調査により生育不良地での塩分濃度は、アッケシソウの生育が不良となる濃度ではなかったことから、再度、研究室学生のサポートを得て、群生地内の地下水位計測と土壌間隙水の水質分析及び生育不良土壌の土壌化学分析を行った。現時点では全試料の分析とデーター解析は終了していないが、これまでの試料測定からアッケシソウ生育不良地の土壌深度0cm〜20cmの土壌pHが4.0以下と植物が生育するには極めて低い値になっていることが明らかとなった。さらに、生育不良地の土壌間隙水もpH4以下の強酸性となっていた。
現地での土壌間隙水pHとアッケシソウ生存率の関係ではpH3〜4では生存率が60%程度に低下する傾向がみられ、pH3以下では生存率が20%以下になることが認められた。また、地下水位の低下に従い土壌間隙水pHが低くなる関係がみられたことより、能取湖の港湾工事から排出された浚渫土砂を群生地土壌の盛土として利用したことにより浚渫土砂が乾燥化し、酸化作用を受け強酸性土壌となったのではないかと現段階では推察している。現在は、この強酸性条件がアッケシソウの発芽や生育に影響を及したのかを実験室内で検証中である。
浚渫土砂と湖岸堤防の撤去
我々のこれまでの調査結果から現状の強酸性状態では、次年度以降アッケシソウの良好な生育は望めないと考えられた。そこで、現地では網走市測量建設技術協会による無償による土地レベル測定に始まり、市長、地元自治会そして地域の未来を担う子供達が先頭となり202名の市民ボランティアの参加による次年度用種子の確保と手作業による搬入土砂の撤去や市内建設会社団体組織である網走建設クラブによる重機を利用した無償奉仕による群生地内の盛土の一部除去が実施されてきている。現在は、網走開発建設部により群生地の乾燥化の大きな原因となった浚渫土砂と湖岸堤防の撤去が本格的に行われており、アッケシソウ再生に向け民産官学の網走市一丸となった取り組みが進行中である。
秘められた機能の開発へ
我が国のアッケシソウは、現在、環境省のレッドデーターブックにおいて絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている。平成6年には本家である厚岸湖では牡蠣島の地形変動によるアッケシソウ群落の減少により「厚岸牡蠣島の植物群落」が天然記念物指定から解除され、アッケシソウ自体も北海道では現在、準絶滅危惧種となっている。本州においては岡山県・香川県では絶滅危惧種Ⅰ種(絶滅種の直前カテゴリー)、宮城県・愛媛県・徳島県では絶滅種に指定されている。
アッケシソウは、塩類を吸収・蓄積する性質をもつために、ミネラル豊富な食材として世界各地で利用されており、韓国では健康食品として生産法人が栽培生産しているとの情報を韓国へ視察に行かれた市議会議員より教えて頂いた。さらに、アッケシソウの新たな活用法として土壌汚染物質の吸収植物(ファイトレメディエーション)や種子を植物油の原料として利用するアイデアが提唱されている。今回のアッケシソウ再生への取り組みが、生物多様性保全や観光資源の再生ばかりでなく、北海道道東地域の希少で貴重な地域資源であるアッケシソウの再評価につながることを期待するものである。