東京農業大学

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教員コラム

食品として安全な素材による新しい魚類の麻酔法の開発

2013年1月23日

生物産業学部アクアバイオ学科 教授 渡邉 研一

水産業における生物生産の現場では、ワクチンの接種、トラフグの歯切り、体重測定など、種々の用途で人と魚の安全のために麻酔剤が使用されます。現在、オイゲノール=FA100が動物用医薬品として承認され用いられていますが、覚醒時間が長い、麻酔液が濁る、麻酔液表面に泡が発生して観察しにくい、特有のにおいがあるといった難点があります。特に最近の養殖業においては、ワクチン接種による病害の防除が主流となっていますので、より使いやすい麻酔剤の開発が養殖業界から望まれています。

 

新たな麻酔剤

魚類に対する麻酔効果が知られている物質は数多くありますが、それらの多くは化学物質です。食の安全に対する消費者の関心が高まっている近年では、水産生物に用いる麻酔剤についても食の安全に対する配慮が当然必要になります。炭酸ガスは、大気中や生物の体内に含まれているうえ、身近な炭酸飲料やビールなどに含有して摂取される他、入浴剤として用いられるなど、人にとって非常に身近な物質です。生息水中の炭酸ガス濃度が高くなると魚類に麻酔効果が認められることは古くから知られています。従前は炭酸ガスボンベから炭酸ガスを通気する方法や炭酸水素ナトリウムと酸を規定量添加する方法が用いられてきました。一方、魚類の生産現場は、筏に設置された網や、室内に効率よく配置された水槽です。これらの炭酸ガス供給法は、ボンベを用意する必要があることや炭酸水素ナトリウムと酸を個別に計量・保管する必要があるなど、残念ながら魚類生産現場で使用できる簡便な方法とは言えません。

 

簡便な炭酸ガスの供給法

入浴剤として炭酸ガスを発泡する固形の製品が市販されていますが、このような固形剤で魚類に麻酔をかけることができれば簡便です。そこで、市販の入浴剤数種類を用いて試験したところ、ブリ、マダイ、シマアジ、ヒラメ、トラフグといったわが国の代表的な養殖魚に麻酔をかけることができ、死亡する個体もありませんでした(表1、写真1)。しかし、入浴剤には香料や色素が配合されているため、食の安全面からそのままでは使用できません。そのため、魚類用麻酔剤に特化し、食の安全に配慮した簡便に炭酸ガスを供給する方法の開発が必要となります。

 

魚類麻酔用炭酸ガス発泡剤の開発

入浴剤の成分を調査したところ、炭酸ガスを発泡させるための材料として炭酸塩、有機酸、固形化剤が含まれていました。それぞれ多種類の物質が存在しますので、候補となる素材を組み合わせて炭酸ガス発泡剤を試作し(写真2)、魚類の麻酔効果を検討しました。この時、素材には食の安全を考慮して、市販の食品添加物を用いました。その結果、炭酸水素ナトリウム、コハク酸、グリセリンで作製した固形発泡剤が麻酔剤として有効であることが明らかとなりました。
炭酸水素ナトリウムは重曹としてパン作りなどの際に膨脹剤として用いられる他、かんすいやpH調整剤の用途にも使用されます。コハク酸はアルコール発酵の副産物でもあり、ワインやビールに塩味・苦味・酸味を与える他、貝類の呈味成分です。グリセリンはヤシの実などの「油脂」を原料として製造され、冷凍菓子、和菓子、ゼリー、グミ、ガムなどに甘味料、軟化剤、保湿剤として使われています。

 

魚類麻酔用炭酸ガス発泡剤の麻酔効果

作製した発泡剤とFA100の麻酔効果を比較して有効性を検討しました。ヒラメで試験した結果を表2に示します。種々の濃度となるように発泡剤とFA100をろ過海水に溶解した後にヒラメを投入し、麻酔にかかるまでの時間を個体ごとに測定したところ、発泡剤を0.35〜0.6g/Lの濃度に溶解すると約3〜6分、FA100を0.08〜1.12mL/Lの濃度に溶解すると約2〜4.5分で麻酔状態となり、いずれの麻酔剤にも麻酔効果が認められ、濃度が濃いほど早く麻酔がかかりました。麻酔がかかった個体を流水とした水槽に移して覚醒するまでの時間を個体ごとに測定したところ、発泡剤を用いた方が統計的に有意(p<0.05)にFA100より短かい結果となりました。覚醒した個体を一晩飼育して生残状況を確認したところ、いずれの麻酔剤、濃度でも全ての個体が生残し、差は認められませんでした。同様の試験結果が、ブリ、カンパチ、マダイ、トラフグ、メバル、サクラマス等で得られています。このときの麻酔溶液1L当たりに要した発泡剤の費用は約0.3円(材料費のみ)でした。
以上のことから、発泡剤は既存の麻酔剤と同等かそれ以上の麻酔効果を有しているものと考えられたため、特許を取得しており(特許第4831409号)、今後の実用化が望まれます。

 

今後の課題

発泡剤による麻酔効果と安全性を多くの魚種で確認しましたが、水産業における生物生産の対象種は数多く存在するため、主要な魚種(特にコイ、ウナギ等の淡水魚)については、さらに効果と安全性を確認する必要があります。
また、魚類は変温動物ですし、炭酸ガスの溶解度は温度により異なるため水温や大きさにより麻酔効果が異なることが予想されます。したがって、水温や大きさを変えて同条件で飼育試験を行い、発泡剤の有効性を把握する必要があります。
これらの課題を解決するために、本学の平成24年度 大学戦略研究プロジェクト「北海道産未利用資源を用いたオーガニック農大フグ雄の生産」により、研究を実施中です。

 

表1 炭酸ガス入浴剤による魚類の麻酔効果
写真1 麻酔状態となったシマアジ稚魚
写真2 試作発泡剤
表2 ヒラメを用いた炭酸ガス発泡剤とFA100による麻酔比較試験結果



 

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