東京農業大学

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教員コラム

ピコプランクトンによる浄水処理障害

2012年11月6日

応用生物科学部醸造科学科 教授 藤本 尚志

ピコプランクトンとは0.2〜2μmの大きさのプランクトンを指す。光合成を行うものはピコ植物プランクトンと呼ばれ、核の中に染色体がある真核生物と染色体が核膜に囲まれていない原核生物(ピコシアノバクテリア)に属するものが存在する(写真1)。ピコ植物プランクトンは食物連鎖の起点となるため湖沼生態系において重要な役割を果たすが、細胞数が高まるとその湖沼や貯水池から取水する浄水場において障害を引き起こす。

 

細胞数が高まると濁度が上昇

近年、湖沼、ダム貯水池を水源とする浄水場においてピコ植物プランクトンによる濁度障害が発生し問題となっている。水道水を供給するために浄水場では、一般的に凝集沈殿、砂ろ過、塩素消毒といった処理工程を行っているが、耐塩素性の病原生物による感染を防ぐため、砂ろ過後の濁度を0.1度以下にすることが厚生労働省の指針に定められている。しかしながら、浄水場が貯水池や河川から取水する原水のピコ植物プランクトンの細胞数が高まると0.1度以下に維持することが困難になる。そのため、浄水場ではピコ植物プランクトンの細胞数が高まった時、凝集剤の注入量を増やすことにより対応している。このため浄水処理にかかわる薬品使用量の増加が起こる。
ピコ植物プランクトンはこれまで落射蛍光顕微鏡による観察における蛍光の色調により、クロロフィルを主要な光合成色素とする真核ピコ植物プランクトン(CH-type)、フィコシアニンを主要な光合成色素とするピコシアノバクテリア(PC-type)、フィコエリトリンを主要な光合成色素とするピコシアノバクテリア(PE-type)の3グループに分けて細胞数の調査が行われている(写真2)。
しかしながら、細胞が小さく顕微鏡で観察した時の特徴に乏しいため生物相やその季節変化に関する知見が不足している。さらには濁度障害の原因種、すなわち砂ろ過を通過しやすい微生物はどんな種類なのか明らかとなっていない。

 

3年ほど前から生物相を調査

そこで3年ほど前から、国立保健医療科学院、独立行政法人水資源機構、国土交通省関東地方整備局、地方自治体の水道局と共同して、ダム貯水池や浄水場の工程水に存在するピコ植物プランクトンの遺伝子の塩基配列を調べることにより、生物相の調査を行っている。
草木湖(群馬県の利根川水系渡良瀬川上流のダム湖)のピコ植物プランクトン群集は顕微鏡観察によって、真核ピコ植物プランクトン(CH-type)とピコシアノバクテリアのPE-typeから構成されることが分かった(写真2)。
月に1度採水し、落射蛍光顕微鏡を用いて細胞数の測定を行った結果、真核ピコ植物プランクトンは5月および6月に104cells/ml以上と増加し、夏期と冬期に減少する傾向が見られた。湖水中の塩基配列を調べたところ、クリプト植物門のGoniomonas属、緑藻植物門Mychonastes属に近縁な微生物が存在することが明らかとなった。草木湖で検出されたGoniomonas属に近縁な微生物は、塩基配列の相同性が89%と極めて低く、分離・培養されていない新規性の高い微生物と考えられる。
草木湖の水を処理して水道水を供給している浄水場の工程水について遺伝子の塩基配列を調査したところ、砂ろ過を行ったろ過水から、緑藻植物門Mychonastes属に近縁な微生物が検出され、草木湖に存在するMychonastes属に近縁な微生物が濁度障害の原因となっていることが示唆された。
草木湖においてピコシアノバクテリアのPE-typeの細胞数は5〜7月、10月に高まる傾向が見られ、最大で2×105cells/ml程度にまで高まった。細胞数が多い時期はいずれも水温が16℃を超えており、ピコシアノバクテリア細胞数の増減に関わる因子の一つとして水温が示唆された。年によって細胞数の変動パターンはやや異なるが、真夏および、冬季には減少する傾向がみられた。塩基配列を調べたところ、オーストリアのモンド湖から分離されたSynechococcus sp. MH305に近縁なピコシアノバクテリアが主要であることが明らかとなった。

 

中栄養湖の草木湖と貧栄養湖の宮ヶ瀬湖

宮ヶ瀬湖(神奈川県の東丹沢にある相模川水系中津川上流のダム湖)の放流水は水道に用いられているが、取水する浄水場までの距離が離れており、流下過程において希釈されるため、濁度障害は起こっていないものと考えられる。草木湖が中栄養湖であるのに対して宮ヶ瀬湖は窒素、リン濃度の低い貧栄養湖である。これまでの研究で、貧栄養湖のほうが、中栄養湖や富栄養湖に比べて植物プランクトンに占めるピコ植物プランクトンの割合が大きいことが報告されているため、ピコプランクトンの生態を研究する上で極めて重要な調査対象である。
宮ヶ瀬湖では真核ピコ植物プランクトン(CH-type)は観察されず、PE-typeが主要であることが明らかとなった。これは、草木湖が中栄養湖であるのに対し、宮ヶ瀬湖はさらに窒素、リン濃度の低い貧栄養湖であるためと考えられる。PE-typeの細胞数は、2010年は10月に最大(2.6×105cells/ml)、2011年は11月に最大(7.8×104cells/ml)となり、秋期に細胞数が高まることが明らかとなった。
さらに1μmに満たない細胞が集合するような特徴のPE-typeが観察された(写真3)。湖水中に存在する遺伝子の塩基配列を調べたところ、オーストリアのモンド湖から分離されたSynechococcus sp. MW6B4やスイスのチューリッヒ湖から分離されたS. rubescens SAG3.81といった分離・培養されているピコシアノバクテリアや、これまで分離・培養されていないピコシアノバクテリアに近縁な微生物が検出された。草木湖とは異なるピコシアノバクテリアが存在することが明らかとなった。

 

新規性の高いものの存在も

草木湖、宮ヶ瀬湖、浄水場等の遺伝子解析に基づく調査から、真核ピコ植物プランクトン、ピコシアノバクテリアともに多様な種類が存在すること、水域ごとに生物相が異なること、新規性の高いピコ植物プランクトンが存在することが示唆され、顕微鏡では知ることの出来ないピコ植物プランクトンの世界が見えてきた。継続して生物相の長期的な推移や濁度障害の原因生物を調査すると同時に、これらを分離・培養し、増殖特性や処理実験を行うことはダム貯水池や浄水場におけるピコ植物プランクトン対策を構築する上で重要である。
また、水道分野では障害生物ととらえられるが、バイオテクノロジー分野においては遺伝子資源として有用である可能性があり、今後の研究のさらなる発展が期待される。

 

写真1 培養したピコ植物プランクトン。左がピコシアノバクテリアのPE-type、右が真核ピコ植物プランクトン(CH-type)
写真2 草木湖で発生したピコ植物プランクトンの落射蛍光顕微鏡写真。黄色の微生物がピコシアノバクテリアのPE-type、赤い微生物が真核ピコ植物プランクトン(CH-type)、白いバーは10μm
写真3 宮ヶ瀬湖で発生したピコシアノバクテリア(PE-type)の落射蛍光顕微鏡写真。白いバーは10μm


 

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