東京農業大学

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教員コラム

岐阜地鶏に魅せられて

2012年10月5日

農学部 畜産学科 教授 桑山 岳人

 

わが国における国民一人当たりの鶏卵の年間消費量は、ここ数年330個前後と非常に安定している。この数は加工品も含めての数であるが、全国民がほぼ毎日1個の鶏卵を消費していることになる。この卵を生産してくれるのがニワトリである事は周知の通りである。しかし、現在のニワトリは大量の卵を生産する為に改良され、本来保持していた母性行動の一つである就巣性を消失している事を皆さんご存じであろうか。

 

就巣性とは

もともと野生のニワトリは、自分の腹の下で温められるくらいの数の卵を産むと、巣の中で卵を温める
(抱卵)という性質(就巣性)を保持していた。有精卵を温めれば21日前後で雛が孵化し、母鶏は雛がある程度の大きさになるまで子育て(育雛)行動(写真1)を継続する。抱卵期間中は、母鶏の餌と水の摂取量は産卵期と比較すると著しく減少するとともに体重も減少し、産卵を停止する。また、雛の孵化後は体重の減少傾向は止まるが、その後も子育て期間中は、なかなか産卵期の体重までには回復しない。従って、卵を温め始めてから雛が独り立ちするまで、本来なら産卵を停止する。しかし、ニワトリが産卵を継続する場合がある。それは、外敵によって卵が盗まれたり、巣が荒らされたりした時である。これは、ニワトリに備わった子孫を残すための予備能力が発揮された場合である。このように、就巣性も予備能力もいずれもニワトリが子孫を残す為の大切な母性行動であるが、就巣性は卵を欲しい人間にとっては不利益な性質であり、就巣性を排除し産卵の予備能力が高いニワトリを選抜し品種改良を進めた結果、全く抱卵行動や育雛行動を発現せずに、年間300個以上の卵を産むような現在の卵用鶏種がつくり出された。
しかし、産卵能力に優れた卵用鶏種がつくり出されたものの、未改良のニワトリとの産卵生理機構の違いや就巣性がいかにして消失したかについては未だ不明な点が多い。そこで、私たちは就巣性を保持する未改良のニワトリを用いて、それらを明らかにしようとしてきた。幸いなことに私たちの研究対象である岐阜地鶏(写真2)は、天然記念物に指定され採卵用としては改良されてこなかったため就巣性を保持している。

 

地鶏とは

さて、研究の詳細を説明する前に、簡単に地鶏について説明したいと思う。地鶏には次のような二つの解釈がある。
一つ目は、最も一般的な地鶏の解釈で、広辞苑には地鶏は古くから各地で飼われているニワトリの在来種と書かれている。また、1984年製作された『日本の鶏』というビデオテープの中では、地鶏の地は地酒や地野菜の地と同じで、『土地の』あるいは『土着の』といった意味であると説明されている。
二つ目は、天然記念物に指定されている地鶏である。地鶏は『文化財保護法』(1950年制定)に基づき、文部科学大臣によって昭和16年(1941年)に天然記念物に指定された。ニワトリでは、17品種が天然記念物に指定されており、その中でも尾長鶏は特別天然記念物に指定されている。私たちが研究対象にしているのは、こちらの地鶏である。
さらに食用として流通している地鶏の肉には一つの規格がある。地鶏の肉の規格は、日本農林規格(特定JAS規格)によって定められている。特定JASの地鶏肉とは、特別な生産や製造方法についてのこの規格を満たす鶏肉のことを指している。従って、これはあくまでも地鶏の肉の規格であり、地鶏自体の規格ではないが、あたかも地鶏自体の規格であるかのように最近取り扱われている場合もあるので、誤解のないようにする必要がある。

 

予備能力の限界

予備能力を発揮させる事ができれば、母鶏の産卵性を高める事ができる。そこで、私たちはニワトリの予備能力を発揮させる事により、産卵性をどの程度まで向上させる事ができるのかを検討した。その結果、抱卵行動や育雛行動を人為的に中断する事により、ニワトリの次期産卵開始時期を早める事に成功し、それを産卵に関わる視床下部-脳下垂体-卵巣軸の内分泌制御機構から証明した。
しかし、それらの方法では次期産卵開始時期を早める事ができても、ニワトリの子孫を残す為の一定枠を超えて産卵数を増やすまでにはいたらない。この事からも、現在の卵用鶏種作出の過程において、産卵の予備能力の高い個体を選抜するだけでなく、休産を伴う就巣性の発現頻度の低い個体を選抜する事が重要であった事がよくわかる。しかし、予備能力の高い個体が必ずしも就巣性の発現頻度が低い個体とは限らなかった事が品種改良を手こずらせた。では、就巣性はいかにして発現するのか。

 

就巣行動に関与するホルモン

ニワトリの雛のように孵化直後から活発に活動できる性質を早成性といい、それらの鳥類の多くは孵化の時点で全身綿羽に覆われている。一方、ハトなどのように孵化した時点は裸あるいはほとんど裸状態である性質を晩成性と言う。
ニワトリのような早成性の鳥類の場合、抱卵行動の発現に先立ち、脳下垂体前葉からプロラクチンというホルモンの分泌が増加する事、抱卵行動の停止に伴ってプロラクチンの分泌が低下する事、外因性のプロラクチンの投与により抱卵行動を発現させる事ができるなどの研究から抱卵行動の発現と継続にはプロラクチンが重要である事が明らかにされている。
一方、ハトなどの晩成性の鳥類では、親鳥は雛の孵化後、自身のそ嚢で生産したクロップミルクを雛に与えながら育雛行動を発現するが、そのクロップミルクの生産にはプロラクチンが関与している事が明らかにされている。
同じ鳥類であるにもかかわらず、プロラクチンは早成性の鳥類では抱卵行動の発現と継続に重要であり、晩成性の鳥類では抱卵行動の発現よりはむしろ育雛行動への関与が大きい。このような違いがなぜ生じたかは現在のところ明らかになっていない。また、就巣性の発現する個体と発現しない個体とではプロラクチンの分泌調節機構にどのような違いがあるのかも明らかにされていない。

 

就巣行動発現制御遺伝子

就巣性は、長年にわたる選抜育種により一部の卵用鶏種から完全に排除された。ただ就巣性の排除は,その発現制御遺伝子を特定することによるものでなく、産卵成績と就巣行動の発現記録に基づいた選抜育種によりなし得た成果である。従って、採卵を目的として改良されてこなかった肉用鶏種やシチメンチョウなどでは未だ就巣性は完全には排除されていない。しかし、それらの家禽においても生産性を上げる為には、産卵能力の向上は不可欠である。そこで私たちは、就巣性が完全に排除された卵用鶏種、就巣性の排除が不完全な卵肉兼用種、就巣性を保持している地鶏などのニワトリの全ゲノムの塩基配列を次世代シーケンサー(写真3)で解析する事により、就巣行動発現制御遺伝子を特定すべく現在研究を進めている。それが特定されれば、就巣性が完全には排除されていない家禽の品種改良にも貢献できるものと考えている。
さらに、カッコウなどの野鳥の托卵行動やツカツクリの塚造行動も、抱卵行動と同様に雛を孵化させることが目的の本能的母性行動であるが、それらの行動と就巣行動の発現制御機構との関連についても非常に興味深いところであり、今後の展開が期待される。

 

写真1 育雛中の母鶏
写真2 岐阜地鶏
写真3 次世代シーケンサー

 

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