東京農業大学

メニュー

教員コラム

東日本支援プロジェクト林業復興の研究

2012年9月12日

東日本支援プロジェクト 応用生物科学部バイオサイエンス学科 教授 林 隆久

東日本大震災(平成23年3月11日)により、福島原発から放射性物質が飛散する事故が起きて1年が過ぎた。昨年6月、私は東日本支援プロジェクト(門間敏幸教授リーダー)のもと、相馬地方森林組合の門を叩いた。森林の放射能汚染は想定していた以上に厳しく、私の看板である植物遺伝子工学も、もはや虚学でしかない。森林のフィールドで現地のニーズを考えながら、微力な自分自身の専門能力に問い続けた。この作業こそが、学問の原点であり、実学の本質であると信じるからである。まず私は、研究内容については相馬地方森林組合と東京農業大学の間で秘密保持契約を結び(平成23年7月1日付)、組合側が良いと言う時まで、研究成果を外部に公表しないことを決めた。
相馬地方の林地に入る前に、森林樹木への放射性物質取り込みに関する論文約100報を収集して勉強した。放射性炭素(14C)は、飛散した時期の年輪に取り込まれるが、放射性セシウム(137Cs)は古い年輪部分となる心材部位に取り込まれる。森林における放射能汚染の大半は放射性セシウムに由来しており、木部中を動くセシウムの動態に絞ろうと考えた。

 

汚染状況の実態調査

さまざまな樹木サンプルの放射能を測定した。樹皮の放射能レベルは、400m以上の山脈に囲まれた林地で高く、後方に山脈の無い林地で放射能レベルが低かった。すなわち、原発から流れ出た放射性物質は、比較的低い大気中を漂い、山間部では高濃度の放射性セシウムがかなりの期間漂っていたことになる。平成23年3月11日直後の放射能レベルが高い時期、針葉樹は放射性物質を葉面や樹皮表層に受けた。数カ月後、葉面上の放射性物質はほとんど吸収されていたが、樹皮の放射能は高いレベルで存在した。針葉樹・広葉樹ともに、セシウムは細胞間・細胞内を移動し、若い樹木や成長の活発な器官・組織に多く局在していることが認められた。
樹木の木口切片のオートラジオグラフィを写真1に示した。このオートラジオグラフィから、平成23年7月現在では放射能は樹皮に付着し、11月現在では辺材にまで浸透移行し、平成24年2月現在では心材に移行した。
この放射性物質の移行を更に顕微鏡レベルのオートラジオグラフィで追った。放射性物質は樹皮に残りながらも師部全般に分布していることが認められた。木部においては、放射性物質は細胞壁に存在しながらも、放射状組織に多く存在していることから、この組織を通って木部の内部(心材)に移行していくことが予測された。
セシウムは、生体成分中の金属イオンであるカリウムと性状が似ており、生体中の動態も似ているという報告が多数ある。そこで、ヒノキとクリの辺材部位を各年輪ごとに分けて、カリウム量とセシウム量を測定した。その結果、各年輪におけるカリウム量とセシウム量のパターンが同じであることが示された。セシウムが、木質成分中のどの構成成分と結合あるいは親和性が高いのかを調べた。広葉樹由来の木部及び針葉樹由来の木部をそれぞれ木粉化し、特異的な糖鎖分解酵素によって分解した。その結果、ペクチンを分解するペクチンリアーゼとキシログルカンを分解するキシログルカナーゼの処理により、放射性セシウムの可溶化が生じた。スギにおいて、キシログルカンは心材に多く存在し、そこに蓄積するようにセシウムが移行することも推察された。

 

汚染樹木に対する除染対策

セシウムは、生体成分中の金属イオンであるカリウムと性状が似ており、セシウムとカリウムの吸収は互いに競合する。しかしながら、その競合作用は、土壌の状況によって異なることが報告されている。カリウムを南相馬市の林地土壌に与えた場合、放射性セシウムの吸収は逆に活性化されてその吸収量は増大した。この効果は、放射性セシウムの拮抗阻害物である安定同位体のセシウムを与えても同じように活性化された。しかしながら、これらの元素イオンを葉面散布によって与えた場合、いずれの場合も顕著に放射性セシウムの吸収を阻害した。葉面散布において、カリウムを与えた場合は樹木の成長も促進された。逆に安定同位体のセシウムを与えた場合は、成長が抑えられた。
樹木が更にセシウムを吸収しないためには、土壌への施肥ではなく葉面散布が効果的であると考えた。金属イオン取り込みの認識は、根ではなく葉で行われているためである。すなわち植物体として競合元素であることを指令する器官は、根ではなく、葉にあると言える。日本の林地は、平地ではなく山の中にあり、作業が困難なため、ヘリコプターを用いた葉面散布が効果的であると考えた。特に、南相馬市の林地内空間線量は高いため、その中で作業するよりも、ヘリコプターにより、上空から散布することは、作業員の安全衛生上の利点もある。
本年4月より、南相馬市の林地で実験的に葉面散布を開始した。1mM塩化カリウム溶液または1mM硝酸アンモニウム溶液を霧状にしてヒノキ林上空から散布した(写真2)。カリウムの散布は樹木にセシウムを木部中へ取り込ませない処理として、硝酸アンモニウムの散布は樹木に土壌のセシウムを更に吸収させるための処理である。前者は木材の除染を、後者は林地土壌の除染を狙ったものである。

 

グローカルな文理融合の研究へ

農業における放射能汚染は、福島原発周辺地域のローカルな問題ではない。今日、原発事故に伴う放射能汚染は、地球レベルのグローバルな問題である。スリーマイル島原発事故(1979年)、チェルノブイリ原発事故(1986年)、そして福島原発事故(2011年)と原発事故が続く中にもかかわらず、世界中で新原発の建設が進められ、発展途上国では原発の建設ラッシュである。福島に次いで、4番目の原発事故は避けられない、と言ってよい。原発事故に限らず、放射能汚染は今後さまざまな要因・事件により起こる可能性があり、地球温暖化問題と並ぶ地球規模の問題となるだろう。地域の農業が放棄されて崩壊していく社会的な問題を考えるとともに、除染による技術的解決方法を模索する必要がある。放射能汚染をグローバルに考えながら、ローカルに活動する、すなわち福島原発事故に関わる農業復興の研究はグローカルな研究である。
震災当時、テレビや新聞は、「絆」や「がんばろう日本」といった標語を何度も伝えた。外国人の見る日本人の評価は高く、秩序正しい、組織を大切にする、そんな美談で持ちきりだった。半年後ぐらいから、この絆にひずみが見え出した。政治家のリーダーシップの欠如、被災地を外から視る日本人から、放射能に対する嫌悪感が根拠のない差別となって現れてきた。福島で製造された花火を花火大会実行委員会(愛知県日進市)が使用しないとか、福島から避難してきた子供を保育園(山梨県甲府市)が拒否するとか、風評被害を超えた人種差別がまかり通る社会になってしまった。日本人の絆は口先だけの方便となった。
「中国人の絆を見習え」、今から40年前に口癖のように言っておられた故宗道臣先生(日本少林寺武道専門学校創設者)の言葉を思い出す。中国は、急成長した経済力・軍事力とマナーの悪さで嫌われているが、中国人は人情で互いに寄り添い、民族としての結束が固い。例えば、海外で生活する日本人はコミュニティを作り、ジャパンタウンを形成する。海外の大都市にあるチャイナタウンと同じである。ジャパンタウンの中の一軒の家に強盗が入ると、周りの日本人は自宅の玄関や窓の鍵を確認し、強盗が去るのを待つ。チャイナタウンの中の家に強盗が入ると、周りの家の中国人は自宅から出て強盗の入った家に押し掛け、強盗を追い出す。これが、日本人と中国人の基本動作の違いである。
福島に対する日本人の対応は、強盗が隣家に入ると自宅に鍵をする日本人と同じように映る。放射性セシウムを恐れ、心の中に鍵をかけている。セシウムを怖いと思う本学の職員や学生に無理強いする気はない。しかし、理系大学・大学院の職員・学生として科学的に放射性セシウムの対処方法を勉強して欲しい、と強く思う。セシウムを追い出しに行く研究は、民族の絆と農学復興をめざす、グローカルな文理融合の研究である。

 

写真1 樹幹における放射性物質の局在と移行
写真2 ヘリコプターによる葉面散布



ページの先頭へ

受験生の方