分子遺伝学で酵母の役割を究明
2011年11月14日
生物産業学部食品香粧学科 助教 藤村 朱喜
アルコールストレスに耐える仕組み
私たちは酵母をお酒や発酵食品の製造に利用している。目に見えないほど小さく(だから微生物)、その働きぶりが十分には知られていない、かなり控えめな生物である。酵母利用の歴史は古く、酵母を用いた醸造品は神話や聖書にも登場するが、酵母の作用が欠かせないことが明らかにされたのは19世紀半ばである(Louis Pasteurがフランス学士院より生理学賞を受けたときの成果がこれにあたる)。近年になり、酵母の役割は次の2つに絞られてきた。人々の暮らしに酵母は美味しい食品を提供する。一方で、研究分野では遺伝学の導入により、「見た目」の観察から理論構築可能な分子遺伝生化学が確立し、モデル生物となった酵母は人々に生命の不思議を提供する。つまり、応用と基礎研究である。
エピジェネティクス制御
出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)が持つアルコール発酵能力は古くから人々が利用しているが、アルコール発酵に関わる酵母の働きや仕組みはまだまだ未知な点ばかりである。私たちは、アルコールがもたらす恩恵を後世に伝えていかなければいけないと確信し、そのためは努力を惜しんではいけない。
酵母はアルコール発酵の際、酵母自身が作り出したアルコールがストレスとなり、弱ってしまう。そこでいかにアルコールストレスに耐えるか、酵母のアルコールストレスに対抗する仕組みについて明らかにしたいと考えている。酵母研究ではアルコールだけでなく、多くのストレス応答機構について研究が進められている。ストレス応答についての研究は、ストレスの感知、シグナル伝達、そしてストレスに対抗するための遺伝子発現が起こり、その結果代謝制御などにより生命を維持するという流れで解析されてきた(図1参照)。
シグナル伝達に関してはWolfram Gorner et al. 1998 Genes & Dev、ゲノム情報を利用したストレス耐性に関わる遺伝子群の解析としてHong Wu et al. 2006 Appl. Environ. Microbiol.、エタノール適応に寄与する因子について取り上げ総説としてJunmei Ding et al. 2009 Appl. Environ. Microbiol.により報告されている。これらは、遺伝子の発現制御の結果として起こる応答である。そこに、加えて考えたい要素がエピジェネティクスによる遺伝子発現制御である。
哺乳類(Li E. et al, 1992 Cell)や出芽酵母(Clark-Adams C. D. et al, 1998 Genes & Dev)などのモデル生物で注目されるエピジェネティクスとは「同じゲノムから異なる遺伝子発現パターンを生じ、伝播するクロマチン鋳型に対する変化の総体」(エピジェネティクス 堀越正美 監訳より)と説明される。非常に分かりにくい。エピジェネティクスの最大のポイントは、どんな遺伝子が存在するのかではなく、どの遺伝子がどのタイミングで発現するかを調節するという点である。そして、それを可能にするのはDNAを核内に収納するクロマチン構造を変化させるという仕組みである。クロマチンとは、図2で示されるようにヒストンと呼ばれるタンパク質にDNAが巻き付いたものであり、これに対してヒストン脱アセチル化酵素(HDACまたはSirtuin)やヒストンアセチル化酵素(HAT)が作用し、前者の場合は、クロマチンが凝集し、後者の場合は緩むことで、DNA発現調節を行っていると考えられている。
アルコール応答との関連
私たちは、このエピジェネティクス関連因子とアルコール応答との関連について解析し、いくつかの因子がアルコール応答に関わることを見出した。エタノール存在下において野生株と比べ感受性が見られるHDAC遺伝子欠損株や、エタノールに対し耐性を示す欠損株(⊿sir3および⊿sir4)の存在である。HDAC関連遺伝子(RCO1、HOS3、HDA2遺伝子)は、脱アセチル化に関わる。またSirtuin関連遺伝子(SIR遺伝子)は一般的にはテロメア付近の遺伝子サイレンシングに関わるとされる(ヘテロクロマチンの形成、図2参照)。つまり、これら遺伝子の欠損株においてエタノールストレスに対し感受性や耐性が見られることは大変興味深く、ここで見出されたエピジェネティクス関連因子とエタノールストレス応答の詳細な関係について解析してゆきたいと考えている。
エピジェネティクスが関わる制御は細胞のがん化や発生などに関わる知見が多く、環境ストレスによる制御はほとんど明らかにされていない。しかし、アルコールという酵母の生活に密着したストレス源に対抗するためのエピジェネティクス機構の存在が示唆されたのである。
生命維持の重要なシステム
目に見えないほど小さい酵母の中のさらに小さな核をおよそ直径10mmとした場合、その中に1kmもの長さのゲノムが収納されている。その核の中では、クロマチン構造を変化させ、出すべき遺伝子を抜群のタイミングで出しているのである。酵母にとって周りの空気を読み、的確に対応するためのエピジェネティクス制御は、生命維持のために非常に重要なシステムなのである。
ストレスが多い毎日の生活の中で、酵母もたまには自作のアルコールでストレス発散しているのかもしれないとも思うのだが!?