東京農業大学

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教員コラム

被害の実態と復興のシナリオ

2012年1月23日

国際食料情報学部国際バイオビジネス学科 教授 門間 敏幸

東日本大震災シンポジウム
研究者と若手経営者が討論

日本農学アカデミーと実践総合農学会共催のシンポジウム「東日本大震災の被害の実態と復興のシナリオ」が7月9日、東京農業大学世田谷キャンパス百周年記念講堂で開催された。東日本の各地に未曾有の被害をもたらした3.11の大震災と原発事故の放射線被害で苦しんでいる被災地域の復興に出来る限りの支援の手を差し伸べるとともに、そのためには、とりわけ農林水産業の復興が不可欠であるとの共通認識で企画された。
農業、食品などの研究者4氏による講演のあと、大震災と放射線被害の影響を受けた若手の経営者ら6氏が加わって、パネルディスカッション「震災・放射線汚染からの復興と新たな経営の展望〜若手後継者大いに語る〜」が行われた。現場からの厳しい報告に、会場の参加者約370名が熱心に聞き入った。

 

<シンポジウム> 被害の全容、正しく発信を

シンポジウムでは、「想像を絶する被害の全貌を正しく発信する」「農林水産業の復興のためのシナリオを描く」ことを目指して、4氏の講演が行われた。講演要旨は次の通り(敬称略)。

 

1)農業・農業水利施設等の農業生産基盤への被害実態と復旧・復興
農業・食品産業技術総合研究機構 農村工学研究所長
日本農学アカデミー会員
高橋順二
大震災発生以降に農村工学研究所が実施した第14次にわたる被災地調査の結果並びに農地・水利施設と集落の復旧・復興および住民活動の再生等、農村地域の復興に向けた技術面からの支援状況が報告された。具体的には、農業用ダム、ため池の被害の実態とその復旧・復興の方法、液状化による農地・水路の被害と復旧方法の提案、農地排水施設の被災実態、農地の塩害と除塩対策が紹介された。また、農村地域の再建と復興に向けては、大きな災害が来てもその被害を許容できる範囲にとどめる(減災)農地や集落づくりのあり方が提言されるとともに、農地に堆積した放射性物質の除去技術等が紹介された。

 

2)農耕地の塩害対策と土壌・ゼオライト中のセシウムの挙動
─相馬市におけるイチゴハウスの塩害復興シナリオを中心に─
東京農業大学 教授
後藤逸男
東京農業大学が現在、福島県相馬市で実践している「東日本支援プロジェクト」の土壌改良班が実施している農地土壌の復元に関する実践的な取り組みと研究成果が報告された。ここでは、津波の被害を受けた水田の土壌分析結果が報告された。その結果、津波の被害を受け、長い間淡水状態にあった水田には約10cmの津波土砂が堆積し、その土砂の電気伝導率は10mS/cmと高かったが、塩分は鋤床より下層には移動していないこと、交換性マグネシウム・カリウムを大量に含むとともに、可給態ホウ素を含むことが明らかになった。また、津波土砂にはカドミウム、ヒ素などの重金属が特に多く含まれていないため、津波土砂をかぶったイチゴハウス土壌の復元では、津波土砂を取り除くことなく元の土壌と混和して除塩する方法、除塩資材としては「転炉スラグ」が有効であることが提言された。また、ゼオライトによるセシウムの捕捉率は99%以上と高いという実験結果が報告されたが、ゼオライトによる土壌懸濁液中のセシウム捕捉率は20%と低く、ゼオライトを利用した代かき後の排水に含まれる放射性物質の除去法には問題があることが指摘された。

 

3)放射線汚染と食品安全性(風評被害を含む)
農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所長
日本農学アカデミー会員
林 清
「ものを怖がらな過ぎたり、恐がり過ぎるのはやさしいが、正当に怖がるのは難しい」という寺田寅彦の言葉に基づき、食品中の放射性物質をめぐる対応のスキーム、ベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)、放射性ヨウ素と放射性セシウム、預託線量、実効線量係数、セシウム暫定規制値等、放射線被害を理解する上で必要なキーワードをわかりやすく解説するとともに、放射線防護の国際的な枠組み、放射線の健康への影響、低線量被曝をどのように考えるか、チェルノブイリ事故から我々が学ばなければならない事が総括的にまとめられた。その上で、食品の安全・安心、食品リスクの考え方とリスクを読み解く力の大切さ、そして消費者による買い控え行動への対応として政府による信頼性の高い情報の提供、産地側の対応、そして消費者が総合的に考えることの大切さが指摘された。

 

4)東京農業大学による東日本支援プロジェクトの取り組みと農業経営復興のシナリオ
東京農業大学 教授
門間敏幸
まず、東京農業大学が福島県相馬市で実施している東日本支援プロジェクトの狙い、取り組み内容、チーム編成などが総括的に紹介された。ここでは、現場で発生している問題解決を目指すという東京農大に伝統的に根付いている実学主義の考え方と、ローカルな問題の解決(相馬市での問題解決)は、グローバルな問題の解決(被災地全体の問題解決)につながるという信念のもとでこのプロジェクトが推進されていることが強調された。また、このプロジェクトの農業経営班が実施している「農業経営への被害と経営復興プランの策定」に関する調査結果が紹介された。この調査結果からは、(1)津波被害からの農業復興は、地域農業の特徴、被害の程度、担い手の属性に従ってかなり多様になること、極論すれば被災集落の数だけ復興プランがあること、(2)農業経営を再開するか否かは津波による農地と農業機械の被害程度に大きく規定されること、特に農業機械の被害程度が大きく規定している、(3)コミュニティをベースとした集落農業は被災農家が期待する1つの復興方法であるが、その形態は津波被害の大きさに従って変化する、といった知見が紹介された。

 

<パネルディスカッション> 農大OBら6人が現状報告

大震災による津波、放射線被害の影響を大きく受けマスコミなどで大きく報道されている被災地ばかりでなく、農林水産業にとってその影響は実に広範囲に及び、多くの農家が困惑している現実を知ってもらうとともに、そうした中でも希望を失わずにチャレンジしている若手経営者の方々の生の声を全国に届けたいという目的で企画した。今回参加いただいた若手経営者は、次の6氏である。このうち5人は東京農大(大学院、短大を含む)で学び、1人は在学中だ。  

 

古積 昇(宮城県岩沼市 造園業 1993年短大卒)

面川常義(宮城県角田市 稲作経営 国際食料情報学部4年)

猪俣優樹(福島県会津坂下町 米穀販売 2005年大学院博士後期課程修了)

藤田典弘(栃木県那須塩原市 酪農経営 2002年国際食料情報学部卒)

三上哲一(栃木県壬生町 いちご経営 1994年短大卒)

志野佑介(千葉県東金市 有機農業経営 2006年国際食料情報学部卒)

=<ひと>欄に6氏の横顔紹介=

討論に先立ち、それぞれの経営概況と震災による影響が報告された。まず、造園業を営む古積さんからは、植栽工事用の土が全て流されるとともに、主要な工作機械、営業車、さらには従業員の家が被災するとともに、管理していた海浜公園が壊滅したという被害状況、また、土を直接触る造園業では、放射性物質へのきめ細かな対応を実践していることが報告された。 宮城県角田市の大規模稲作経営の後継者である面川さんからは、震災による直接的な被害は軽微であったが、2011年産米に対する放射性物質の影響が非常に不安視されていること、特に年1作の米生産ではもし放射性物質が検出された場合、その影響は将来に及ぶという懸念が提起された。 福島県会津坂下町の米穀商の後継者である猪俣さんからは、会津米を取り扱っているため放射性物質の放出と蓄積を危惧していること、2010年産米については、米の買いだめ行動で需要が一時的に増加した、今後は風評被害による影響が懸念されているという報告があった。 栃木県那須塩原市の酪農経営の後継者である藤田さんからは、牧草サイレージを生産する畑から基準値を上回る放射性物質が検出されたため、牧草サイレージの生産ができなくなり、輸入乾燥や濃厚飼料で代替し、生産コストが高まっているという実態が報告された。 栃木県壬生町のいちご農家の後継者である三上さんからは、壬生町のほうれんそうから基準値を上回る放射性物質が検出され、その影響でいちごの価格が低下したという実態が報告された。 千葉県東金市で新規就農で有機栽培を実践している志野さんからは、震災の混乱で野菜の宅配が一時的に不可能になったこと、関西方面の数件のお客様からの注文が停止になったことなどの被害が報告された。

以上の報告をもとに今後の経営対応に関する論議が行われるとともに、4名のシンポジウム報告者に対して若手経営者から質問がだされた。質問の多くは今後の放射性物質の被害と、それへの対応にかかわるものであり、主として食品総合研究所の林所長が回答を行った。また、今後の経営対応に関しては、多くの若手経営者が自らの経営再建にあたっては、地域や大学さらには消費者との連携が重要であることを主張された。例えば、古積さんの場合は被災地の人々を精神的に支える活動で、藤田さん、面川さん、志野さんの場合は地域内の農業者とのネットワークでこの困難を乗り越えようとしている。また、三上さんは消費者との連携の大切さを、猪俣さんは東京農大と連携してGISを活用した米の安全性に関する情報開示システムの開発を試みていることが報告された。

 

<総括> 復興への強いメッセージ

今回の日本農学アカデミーと実践総合農学会共催の「東日本大震災の被害の実態の復興のシナリオ」には、370名という沢山の聴衆が集まり、多くの人々が震災からの一日も早い復興を期待していることが実感できた。また、放射線被害に対する不安が多くの人々の心に重くのしかかっていることも実感できた。370名の参加者の内訳をみると、学会関係者が120名前後、学生が140名前後、一般参加者110名前後と、多様な人々が参加している。
また、シンポジウムの報告内容についても、非常にわかりやすく体系的に報告されていたので、災害の実態、復興の方向、そして放射線被害の正しい理解の仕方が良くわかったという意見が寄せられた。また、若手経営者によるパネルディシカッションからは、地震、津波、放射線被害という3重苦の中で頑張っている若い経営者の生の声が聞けて非常に頼もしく感じた、必ず震災から復興するという強いメッセージをいただいたという意見が寄せられた。
今回のシンポジウムの企画・実施を通じて、厳しい状況に置かれている被災地に出かけて正しい情報、被災農家の生の声、そして被害の実態と地域のコミュニティの特性を把握し、適切な復興技術の開発と復興プランの提出が急務であることを痛感した。こうしたシンポジウムを開催していただいた日本農学アカデミー、実践総合農学会、そして会場の準備と開催への支援をいただいた東京農業大学に深く感謝の意を表したい。

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