東京農業大学

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教員コラム

微生物農薬に適した菌株の選抜へ

2010年3月1日

農学部農学科 教授 篠原 弘亮

作物に生息する微生物の網羅的研究

微生物の作用を利用した安全な微生物農薬の開発研究が進んでいる。それに適した菌株は、散布回数やコストの削減の面から対象植物に定着し増殖できるものが理想的である。実用段階において防除効果の低下を招く要因として、その植物に生息している微生物との競合(Weller, 1988)などの影響が挙げられる。しかし、植物に多数生息しているとされる微生物(Hirano et al., 1983)に関する知見は、それほど多くはない。しかも、候補となる菌株を効率的に選抜する方法はなく、時間と労力を必要とするため容易ではない。そこで、「作物に生息している微生物の網羅的研究」が、有用な菌株の効率的な探索や利用法に関して、新たな情報や戦略を提供できると考えている。さらに、遺伝子組み換え植物や化学農薬などを新たに導入する際の環境影響評価の一つの指標として、植物に生息している微生物を活用することもできるだろう。

 

植物に生息する細菌の研究

植物に生息している細菌に関する研究は、1980年代以降から主に行われており、イネ籾(Cottyn et al., 2000)、コムギ(Legard et al., 1994)、トマト(Jurkevitch et al., 2000)およびテンサイ(Thompson et al., 1993)などが海外で研究されている。これら植物に生息する細菌に関する研究手法は、分離菌株のグラム反応や炭素源利用能による類別、菌体脂肪酸やキノンのプロファイルによる解析など様々である。このため、これらの研究により明らかになった細菌群を単純に比較することは難しい。
近年、DNAシークエンサー等の機器の発達とそこから得られた豊富な情報が簡単に利用できるようになっている。これらを活用して、国内では細菌の分類に有効とされる16S rRNA遺伝子の塩基配列情報を基にして、イネ(篠原ら、2002;篠原ら、2003)、トマト(塩谷ら、2003)、ムギ類(安達ら、2003)、アブラナ科野菜(前川ら、2003)、カンキツ類(伏見ら、2004)およびイチゴ(渡辺ら、2004;日向ら、2005)に生息する細菌群の解析が試みられている。ここでは、主にイネに生息している細菌群についての解析結果を中心に紹介する。

 

イネに生息する細菌群の解析

イネの葉鞘と穂に生息している細菌群を明らかにするために、水田で慣行栽培したイネ(品種:コシヒカリ)を対象として、出穂期1ヶ月前と出穂期に葉鞘、さらに出穂期には穂も採取して、そこから細菌の分離を試みた。さらに、細菌の生息部位を大まかに特定するために採取した試料を緩衝液で洗浄して、洗浄に用いた緩衝液(以下、洗浄液)と洗浄後の試料を磨砕して作製した磨砕液(以下、磨砕液)のそれぞれから細菌の分離を試みた。すなわち、洗浄液から分離された細菌は葉鞘の表面に生息している細菌、磨砕液から分離される細菌は葉鞘の内部に生息している細菌として、表面と内部との生息している細菌の違いについても検討した。
イネ葉鞘の全分離細菌数は、出穂期1ヶ月前では約6.0 log─cfu/g(生重)であったが、出穂期には約7.0 log─cfu/g(生重)と増加する傾向が認められた。穂の細菌数は約7.3 log-cfu/g(生重)であった。イネの生重1グラム当たりから分離される細菌数は、出穂期1ヶ月前と出穂期では出穂期の細菌数が多く、磨砕液と洗浄液とでは葉鞘の細菌数が多かった。さらに、最上位葉鞘と穂では、穂から分離される細菌数が多かった(図1)。
出穂期1ヶ月前の葉鞘、出穂期の葉鞘および穂から分離した細菌を約3,000株保存した。現在、細菌の分類、同定には、細菌体内の小器官の一つであるリボソームを構成している16S rRNAの遺伝子(以下、16S rRNA遺伝子)の配列が有効とされている。そこで、保存菌株のうち600菌株について16S rRNA遺伝子の塩基配列を決定して属レベルでの類別を行った。その結果、それぞれの分離時期や分離方法の違いにより分離される細菌群には、大きな違いは認められなかった。
イネに生息している細菌群には、幾つかの優占菌群が存在していることが明らかとなった。出穂期1ヶ月前では、洗浄した葉鞘とその洗浄液に生息する細菌群は、Microbacterium属とSphingomonas属に推定される細菌が、優占的であった。出穂期では、洗浄した葉鞘とその洗浄液ともにSphingomonas属と推定される細菌が全体の約70%を占めていた。さらに、Shinorizobium属と推定される細菌は磨砕液からのみ分離されることから葉鞘の表面ではなく内部に生息していることが示唆された。また、葉鞘からはイネに対する病原細菌だけでなく、その他の植物に対する病原細菌と推定される細菌種は、全く分離されなかった。
一方、出穂期に採取した穂から分離した細菌の約90%がErwinia属と推定される細菌であった。同一時期に採取した同一のイネ個体であったにもかかわらず、その部位によって全く異なる細菌群が生息していることが明らかとなった。これらは、試験1年目の結果であるが、この傾向は、その後の2年間の試験においても同様の結果であった。以上から、少なくともイネでは部位別に幾つかの特定の細菌群が優占的に生息していることが明らかになった。

 

各種作物に生息する細菌群の比較

イネに生息する細菌群の解析と同様の手法を用いて、前述のトマト、ムギ類、アブラナ科野菜、カンキツ類およびイチゴなどの作物に生息する細菌群の解析と比較が行われている(對馬ら、2003)。そこでは、さらに同一作物を用いて施設栽培と露地栽培条件下での生息細菌の違いや、品種による違いなど様々な解析が行われている。これらの研究の結果、それぞれの作物に特徴的な優占菌群や作物に共通性の高い優占菌群が存在していることが示唆された。
例えば、同じイネ科に属するイネとムギ類でも、優占菌群の構成は異なっていた。逆に、イネに生息する細菌群とイチゴに生息する細菌群に関しては、細菌数と優占菌群ともに非常に類似していることが明らかとなった。トマトにおいては、生息する細菌群が施設栽培と露地栽培により異なることから、栽培体型などの環境的な要因も生息細菌群の構成に大きく影響されることが明らかになった。これらは、微生物農薬などとして利用可能な細菌を探索し、効率的に利用する際の基礎的知見として役立つものと考える。

 

農業利用への可能性を秘めた菌株も

今回紹介した「作物に生息している微生物の網羅的研究」は、有機栽培や減農薬栽培などに直ちに貢献することは難しい。しかし、我々の研究は農業でのさらなる微生物の有効利用と効率的な活用には不可欠な知見を生むと信じている。少しずつではあるが、農業利用への可能性を秘めた菌株も先に述べたイネ由来の保存菌株から見出しつつある(図2)。
また、これから各種の作物に共通して生息している優占菌群から有用な菌株が得られれば、適用できる作物も多く汎用性の高い微生物農薬となる可能性がある。栽培方法や作物の違いで特徴的に優占している菌群から得られた菌株は、適用範囲は限定されるが各作物や栽培方法により適した微生物農薬となる可能性がある。さらに、これらの菌株をきめ細かく処方するオーダーメイド的な有機栽培や減農薬栽培の開発、すなわち、より高付加価値な農産物生産に向けた新たな農業技術の一つの手法としての種となる可能性を秘めている。


図1 慣行栽培したイネの葉鞘および穂から分離された細菌数
図2 イネ由来菌株の処理によるイネ苗の生長促進効果

 

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