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教員コラム

東京農大「先端研究プロジェクト」報告(上)生物的・非生物的ストレス耐性植物の作出

2010年7月1日

東京農大「先端研究プロジェクト」報告(上)応用生物科学部生物応用化学科 教授 樋口 恭子

現在、日本では形質転換作物は消費者に受け入れられていないが、日本の食料輸入原産国では形質転換作物の作付けが増加していること、巨大穀物・種苗会社が形質転換作物に力を入れていることを考えれば、日本でも有用な形質転換作物を作出する技術を高レベルに保っていく必要がある。また形質転換植物の研究を基に、従来の交配による作物育種においても遺伝子マーカーを用いた効率のよい育種が始められていることを考えると、植物の様々な形質を生み出す分子機構の理解や有用遺伝子の探索は継続的に行われなければならない。

これまでに得られている植物生理学・生化学の知見に基づき数多くの形質転換植物が作出・報告されているが、必ずしも期待する有用形質が得られるとは限らない。また実際の栽培環境で生産効率向上を実現するためには1つの遺伝子を改変するだけでは足りない。遺伝子発現の制御機構に対する理解もさらに深めなければならない。植物分子生理学はモデル植物を用いて飛躍的に発展してきたが、モデル植物から得られた知見が栽培作物種にも当てはまるかどうかは個々に検証していかなければならない。農業の総合大学である東京農業大学はより優れた栽培作物種開発の基盤となる知見を社会に発信していくべきであろう。

 

アルカリ土壌でのストレス

FAOによれば世界の陸地面積の10%(9.5億ha)に分布するアルカリ土壌はpH8.5以上の強アルカリ性を示すものを含み世界の食料生産拡大の最大の制約となっている。カルシウムやナトリウムが多い土壌でpHが高くなるため、アルカリ土壌では塩ストレスや高pHで不溶性の沈殿を形成する元素の欠乏ストレスが発生する。これらの内、塩ストレスに対する植物の耐性獲得や鉄を獲得する機構は分子レベルで明らかにされつつあり、作物改良への道が開かれている。

しかし、アルカリ性の本質である高pHの影響については未知の部分が多い。実際には塩ストレス、栄養素欠乏、高pHの影響が一体的に働いて植物の生育が阻害され、アルカリ土壌で自生する植物種ではそれらに対する総合的な適応機構が働くはずである。そしてその総合的な機構は養分吸収、光合成と代謝、植物体の形態、という全ての局面にまたがるはずである。有害な元素を植物体から排除し、不足する元素を吸収するためにはエネルギーを必要とするが、植物のエネルギー源である光合成を十分に行うためには水と必須元素を根から獲得しなければならず、一方根が十分発達しなければ養水分獲得の効率は大きく低下するからである。

 

鉄欠乏に対する葉緑体機能の適応

アルカリ土壌で欠乏する元素のうち鉄は葉緑体で大量に必要であるため生産性への影響が大きい。オオムギがアルカリ土壌での鉄獲得に優れていることはよく知られており、その分子機構も詳細に解明されているが、我々はそれとは別に、鉄欠乏オオムギの鉄含有率は高くないにもかかわらず光合成による炭酸固定や還元力の供給をある程度維持できることを明らかにした。これに対しイネはオオムギと同等の鉄を抱えたまま枯死に至る。

葉緑体の光化学系は大量に鉄を必要とするため葉の鉄の大部分は葉緑体の特にチラコイド膜に存在する。そこで鉄欠乏になると光化学系が正常に機能せず消費されなかった光エネルギーが活性酸素を発生させる。オオムギは鉄欠乏になると光化学系分子の立体配置を変え光エネルギーの分配を調節してストレスを回避することが分かった。この光ストレス回避機構に必要な遺伝子やその制御機構は鉄欠乏に弱いイネにはないことが判明しつつあり、今後オオムギ特有の遺伝子を順次イネに導入しそれらの機能と生理的意義を検証していく。

葉緑体は炭酸固定を行うだけではなく光化学系からの還元力を用いて窒素同化・硫黄同化も行う。オオムギはイネと異なり、鉄欠乏になると窒素同化に関わる遺伝子の発現を抑制し不足する同化窒素を下位葉からの転流で補うことも分かってきた。同化産物の転流は根からの鉄獲得に必要なエネルギーと代謝産物の供給にもつながる。つまりオオムギは鉄欠乏になるとエネルギーと栄養素の配分を大きく変えることによって枯死をまぬがれていると考えられる。

 

高pHに対する根伸長の適応

根の伸長は根端での細胞分裂に引き続く根細胞の伸長によって起こる。植物の細胞伸長については古くから酸成長理論、すなわち細胞壁がpH5〜6という微酸性であることが必要と言われている。従ってアルカリ土壌では根の伸長が阻害されるはずであるが、オオムギは他の植物と異なり、アルカリ性で最も根を伸長させることを明らかにした。様々な植物種で根伸長の最適pHを調べたところ、同じ科内でも最適pHは植物種によって大きく異なる場合があり、アカザ科の有用植物であるSuaeda salsaやホウキギもアルカリ性で最も根を伸長させた。これらの現象を説明する分子機構は全く報告されておらず、今後遺伝子発現パターンの網羅的解析を行ってアルカリ性でも十分に根を伸長させる機構の解明を目指す。

 

総合的な要素障害適応機構の解明へ

オオムギで我々が得た知見は、アルカリ土壌で生ずる鉄欠乏条件での光合成維持と根の伸長を確保する適応が原動力となってエネルギー消費の大きな塩ストレス耐性や根の鉄獲得機構を動かす、という総合的なアルカリ土壌耐性機構を想定させる(図参照)。またS. salsaは塩類集積アルカリ土壌に生育する塩生植物であり、これまでもっぱら耐塩性機構の研究に用いられてきたが、S. salsaについてもオオムギと同様に栄養素欠乏によって引き起こされる一次同化・代謝の撹乱に適応する機構を持っているのかどうか比較検証することにより、アルカリ土壌で引き起こされる植物の生育阻害と耐性獲得および適応の全容を明らかにすることができるだろう。

 

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