インタビュー
生命科学は、未来をはぐくむ豊かなサイエンス。
桂 勲(かつら いさお)氏
国立遺伝学研究所 所長
新しい生命科学部のスタートにあたり、皆さんに私が長く親しんできたこの分野の魅力をお伝えしたいと思います。
「生命科学」とはどんな学問なのでしょうか。生命とは何かは、人類が大昔から抱いてきた疑問であったに相違ありません。動物と植物を1つの視点で研究する「生物学 biology」という言葉が誕生したのは19世紀はじめのことです。やがて、細胞・遺伝・進化という生物全体に関わる現象が知られるようになり、分子レベルの研究もおこなわれ、学問としての基礎が形づくられました。すると、物理学者や化学者の中にも生命に強い関心を寄せる人々が現れます。多数の優れた専門家が生物学に参入し、今日の生命科学の土台づくりに貢献しました。一方、医学、薬学や農学などの応用分野の基盤を実験生物学に求める動きも生まれてきたのです。基礎科学が応用とつながり、多様な分野の人々を巻き込んで大きく広がり、20世紀前半から生命科学と呼ばれる豊かなサイエンスが形成され始めました。
現在では、医学、薬学、農学などと深くつながっていることはもちろん、人間の衣食住に関わるあらゆる営みで生命科学に縁のないものはない、と言っても過言ではないでしょう。環境問題、都市問題、水問題なども、考えてみればいずれも生命科学に根っこをもっています。経済や歴史とも無関係ではありません。さらに、宗教、哲学、思想、文化、芸術にも生命は関わっています。最近は、特許や司法といった分野の専門家にも生命科学の知識が求められるようになってきました。
このように、生命科学はあらゆる分野につながりをもち、身につければ、将来、多様な生き方が可能になると思います。自分らしい生き方を見つけ、何かの分野の最初のひとりになってはいかがでしょうか。
生命科学は自然科学の方法を使って生命現象を探求する学問です。自然科学の素晴らしいところは、過去の研究の蓄積の上に自分の研究成果を積み重ねて、独自の貢献ができるところです。経験や知識をもとに仮説を立て、実験をデザインし、それを証明するというプロセスは、実に楽しい営みです。世界中で通用する方法で取り組み、結果は論文として世界に発表しますから、研究は当然グローバルな仕事です。さらに、生命科学研究では、自分で考え、自分で手を動かし、自分で論文を書くので、ひとりでも独自の個性ある仕事ができるのです。何回壁にぶつかっても、研究はひとりの人間の全人格を満足させてくれる仕事であり、知力と体力のすべてを賭けるに値する仕事であるという思いは変わることがありません。
生き物と共にいるとほっとするのも生命科学を学ぶことの不思議な恩恵です。たとえそれが小さな微生物であっても、生物を見ていると多様で多面的な生き方を知ることができて、おのずと人生の見方が広くなり、行き詰まることがありません。社会に出てからも、生命科学を学んだ経験は、もうひとつのものの見方に気づく機会を与えてくれるはずです。
桂 勲 (かつら いさお)氏
1945年神奈川県生まれ。
昆虫や魚に親しんだ子どもの頃から研究者になると心に決めていた。中高時代には数学や理論物理学にも強く惹かれたが、身近に生き物がいる楽しさが忘れられず、大学では生物化学を専攻。分子生物学の興隆期に研究生活を始め、スイスのバーゼル大学に留学し、ファージの形態遺伝学を探求した。その後、線虫の行動や神経系の分子生物学を研究。1991年から国立遺伝学研究所に所属し、現在は所長として研究所の運営や教育に尽力している。