匂いセンサ昆虫開発へ
2020年4月30日
農学部 准教授 櫻井健志
准教授 櫻井健志
●専門分野:分子遺伝学
●主な研究テーマ:昆虫の嗅覚受容メカニズムを利用した匂いセンサの開発
●主な著書等:昆虫の脳をつくる他
匂いセンサ昆虫開発へ
カイコガの超高感度フェロモン検出能力を利用
近年、私たちの生活の安全・安心や快適さの向上、危機安全管理の観点から、環境中のごく微量の匂い物質を瞬時に検出する技術への社会的ニーズが高まっている。匂いを手がかりにした被災地での救助活動、空港での麻薬などの検査、爆発物や地雷の検知、病気診断など、幅広い活用が期待されている。多様なニーズに応えるため、工学的な匂いセンサの開発が進められ、一部は実用化されている。しかしこれらのセンサは、感度が十分でなく、検出できる匂い物質が限定され、検出に長時間を要するなどの課題がある。このため、生物の優れた匂い検出能力を匂いセンサに応用する試みが進められている。私は特に嗅覚の発達している昆虫の匂い受容メカニズムを利用したバイオセンサの開発を進めている。
匂いを受容するメカニズム
昆虫は多くの生命活動に匂いの情報を利用している。匂い物質を高感度かつリアルタイムに検出するメカニズムを備えており、きわめて多様な匂い物質を検出することができる。頭部の触角上(図1-A)にある嗅感覚子と呼ばれる突起状の構造の内部(図1-B)には嗅覚受容細胞(図1-C)があり、この細胞で発現する嗅覚受容体のタンパク質によって、匂い物質は検出される。種ごとに匂い物質に対して異なる結合性を示す嗅覚受容体を数10~300種類もち、この受容体を利用して微量の匂い物質を識別している。検出したい匂い物質に結合性を示す嗅覚受容体の機能を利用することで、匂いセンサを開発できると考えられる。
カイコガのフェロモン受容系を利用
国内外の複数のグループが昆虫の嗅覚受容体を利用したセンサ開発を進めている。例えば、培養細胞などの細胞膜上で嗅覚受容体を発現することで、細胞自体を特定の匂い物質に反応する匂いセンサとして利用する方法、また嗅覚受容体を人工膜に埋め込み匂いセンサとして利用する方法などだ。私はカイコガがもつ匂い源探知能力と多様な昆虫の嗅覚受容体を用いた匂いセンサの開発を進めている。
ガ類の一種で、絹の生産でも有名なカイコガ(Bombyx mori)のオスは、同種のメスの放出するフェロモンの匂い(ボンビコール)をきわめて鋭敏に検出する能力をもつ。その感度は昆虫の中でも卓越しており、わずかなボンビコールでも触角にあるボンビコール受容細胞が受容すると、すぐに匂いの発生源の探索を始め、探知する。交尾相手となるメスを探索する行動で、この行動を検出したい匂い物質を探知するように改変できれば、様々な匂いを高感度に検出し、その発生源を探知する匂いセンサとしてカイコガを利用できる可能性がある。
コナガに反応するカイコガ
この概念に基づき、遺伝子組換え技術を利用して元々カイコガが反応しないコナガのフェロモンを検出するセンサ昆虫を作り出した。コナガはアブラナ科の植物を食い荒らす農業害虫で、世界での被害額は年間約50億ドルと言われている。コナガのフェロモンに特異的に反応する嗅覚受容体を持つカイコガは、ボンビコールを受容した時と同じ匂い源探索行動を起こし、コナガのフェロモンやコナガのメスを探知することがわかった。このセンサ昆虫が実用化すれば、コナガの発生時期や発生場所を素早く知ることで、害虫被害の縮小や最小限の農薬散布で防除可能な環境に優しい農業の実現にもつながる。この他にも、水道水や飲料に混入し問題となることもある三大カビ臭の一つであるジェオスミンの受容体を導入することで、微量のジェオスミンを探知するカビ臭センサ昆虫を作り出すことにも成功している。
幅広い匂いに対応するセンサ開発も
カイコガをさまざまな匂い物質に対する匂いセンサへと改変する技術開発は現在、実験室内の閉じた環境での原理検証と性能試験を実施している段階である。今後は、実用化に向け野外での検証も含めた、より複雑な匂い環境下での性能試験を進めていく予定だ。また、この手法では、カイコガが探知できるターゲットの匂い物質の種類や、ターゲットに対する特異性は導入する嗅覚受容体の特性によって決まる。昆虫は進化の過程でさまざまな環境への適応能力を獲得し、多様な匂い物質を検出する嗅覚受容体をもつと考えられる。今後、より多くの嗅覚受容体の特性が明らかになれば、幅広い匂い物質を対象とした匂いセンサの開発が可能になるだろう。医療、安全・危機管理、環境モニタリングなど社会のさまざまな場面での利用につなげていきたい。