東京農業大学

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教員コラム

東日本大震災からの食と農の復興

2017年10月1日

国際食料情報学部国際バイオビジネス学科 准教授 半杭 真一

食と農の分野への東日本大震災の影響

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を伴い、東日本を中心に農業にも大きな被害をもたらした。福島県においては原発事故の被害が注目されがちだが、地震と津波によって多数の人命が失われ、また、生産インフラが破壊されたことで農業生産に甚大な影響がもたらされたことをはじめに強調しておきたい。
 原発事故の農業への影響は、住民の避難による営農の中断と生産物の流通・消費段階における買い控えの二つの側面をもつ。
 食品中の放射性物質に対しては、農産物の栽培段階での対策、流通段階でのモニタリング検査によって対応がなされており、健康被害をもたらす可能性のある食品は市場に出回ることはない。
 この結果、2017年9月1日、日本学術会議は報告書「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題」を公表した。この中で東電福島第一原発事故による胎児への影響はないこと、チェルノブイリ原発事故よりも被ばく量が「はるかに低い」という重要な事実が指摘されている。科学的なコンセンサスとして、胎児への影響に関しては、決着がついたのである。しかし、その一方で、消費者庁が2013年から実施している「風評被害に関する意識調査」によれば、福島県産農産物を避けたいと考える消費者は2割程度存在しており、この値は調査開始から大きく変動していない。
 福島県内では除染も進み、未だ帰還のできない区域が残されてはいるものの、避難解除後に営農を再開しようとする動きもあちらこちらで見られる。営農再開を目指す農業者にとって、自らの生産物が消費者に受け入れられるのかが課題となっている。農業生産の現場では、被ばくによる健康被害から農産物の買い控えへと関心事がシフトしている、言い換えれば、課題が理科から社会に変わっているのである。


2種類の消費者リサーチの結果

 ここでは、2種類の消費者リサーチの結果について述べる。いずれも2016年の夏から秋にかけて、筆者が福島県と、福島県産農産物が流通する首都園と関西で実施した。一つは産地の選択行動を仮想的な選択肢をもとに分析するものであり、もう一つは、実際の買い物を記録する日記形式の調査である。
 前者の産地の選択行動については、「震災関係の調査であること」が回答者の産地選択にどう影響しているかを知ることも狙いの一つだった。震災関係の調査では、気分が悪くなったりした場合に調査をやめても良いこと等を提示して調査への参加を求めることになっている。この提示を、農産物の産地選択に関する設問の前に行うか、後に行うかで、産地の選択行動に与える影響を調査した。方法は以下のとおりである。福島県の主要な農産物であるキュウリとトマトを素材として、福島県、隣接地、遠隔地の三つの産地から選択するものとした。産地の他には、3水準の価格と、栽培方法として慣行栽培と特別栽培を組み合わせて選択肢を構成し、三つの選択肢から一つ選ぶ形で行った(図1)。結果として、震災関係の調査であることを前もって提示した場合、キュウリの選択では、福島県の選択割合は25%程度で変化はないものの、隣接の群馬県の選択割合が34%から31%とわずかに低くなっていたのである。産地の選択において、震災を意識させることによって、隣接地も忌避する傾向が見られたことに注目したい。なお、トマトについては変化はなかった。
 また、情報提供についても、興味深い結果が得られている。2017年に消費者庁の実施した「風評被害に関する意識調査」では、放射性物質の検査が行われていることを知らない回答者の割合は35%に上っている。買い控えの対策として、「検査結果を伝えること」が提案されることも多いが、果たしてそうだろうか。放射性物質の検査結果に関する消費者の反応を調査した。検査結果の概要を文章で示し、より詳しい情報に関するリンクを調査画面上に用意した。より詳しい情報をクリックした割合を放射性物質に関する知識の有無によって分けると、放射性物質の検査が行われていることを知らない回答者のクリックする割合は少なかった。つまり、情報を持っていない人の方が情報を取りに行っていないことが明らかになった(図2)。
 この結果は示唆的である。知識がない人に知識を与えればよいのではなく、どのように知識を伝えるかという情報のあり方まで考えていくことが必要ではないだろうか。
 後者の日記形式の調査については、実際に店頭に並べられ購入された農産物が対象となる。仮想的な選択行動の調査とは異なり、現実のリアルな流通に基づく消費者の行動を対象にすることが出来た。この調査では、福島県と首都圏を調査地域とし、消費者が購入した農産物について、購入した産地とその産地の選択理由を質問している。結果は福島県と首都圏で大きく異なっていた。どちらの調査地域でもトマトやキュウリが多く購入されていた。その理由として、値段が手ごろだから、美味しいから、いつも買っているから、といった理由に加えて、首都圏の消費者において福島県産以外のキュウリが、安全だと思うから、という理由で買われていた。


今後の研究展開と思い

 震災後6年を経過し、福島県が独自に実施していたコメの全量全袋検査の在りかたを検討する、というニュースも飛び込んできた。消費者が農産物の選択で、どのようにして意思決定しているのか、そのためにどういった情報が求められているのか。検査結果を伝えればよい、という単純な問題ではないことは明らかであり、具体的な道筋を作ることはできていないまま、時間とともに進む風化に抗っているのが現状である。今後の研究の方向としては、引き続き、消費者行動から小売・流通段階の調査を行い、被災地産農産物の販売拡大を模索していく予定である。それと同時に、東京農大総合研究所「東日本支援プロジェクト」で今年度より着手した避難区域での営農再開モデルの分析を進めていく。住民の避難によって営農の中断を経験した地域では、農業生産の技術的な課題に合わせて、折れてしまった農家のメンタルや避難区域での人手不足といった社会的な要因も垣間見える。また、はじめに述べたように、農業者にとっては、営農を再開したところで原発被災地であることによって忌避されるのでないか、という懸念が農業復興の大きな壁となっているということにも答えを出していかなくてはならない。
 農業分野は社会から近くて遠い分野である。農業分野の復興については、農産物の流通実態を踏まえていない販売方法の提案や、農業者の技術的な蓄積や産地としての誇りをないがしろにしたような「食料が売れないなら花をつくれば」といった声も聞かれる。震災前の状態に戻ることはゴールではない。震災からの復興は、被災地の住民が暮らしを取り戻すためのプロセスであると同時に、他の地域が少子高齢化に伴う担い手不足により近い将来直面する課題を先取りしている。震災後6年を経てなお、研究課題としての震災復興は終わっておらず、新たな課題が生まれているのである。


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