東京農業大学

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教員コラム

変異・拡散する植物ウイルスの謎

2010年10月15日

国際食料情報学部国際農業開発学科 教授 夏秋 啓子

その検出・診断法の開発に挑む

東京農業大学国際農業開発学科は、熱帯・亜熱帯に位置する途上国の発展を、農業開発を通して支援しようとする人材の育成を目的としている。その中で、農作物を病気や害虫、雑草などの被害から守る作物保護に関する教育と研究を担っているのが、熱帯作物保護学研究室である。筆者は病害を研究する植物病理学が専門であるが、害虫防除を担当する足達太郎講師や、40名を越える研究室所属学生とともに、環境を守りつつ安定した農業生産を保証する作物保護学のあり方を模索している。

 

ウイルス病には農薬が無い

農作物に病気を引き起こす病原としては、菌類や細菌類などが多いが、ウイルスも看過することができない。世界では約1000種、日本でも約200種以上の植物ウイルスの発生が知られており、まだ発見されていないウイルスも多い。また、菌類や細菌類とは違って、農作物のウイルス病を治療する農薬は開発されておらず、予防薬もほとんど無い。  そこで、ウイルスを早く正確に検出し、診断する技術が欠かせない。筆者らは、国内のレタス、アルストロメリア、パッションフルーツなどに加えて、海外でも、トマト、バナナ、パパパイア、ジャガイモ、ニンニクなど様々な農作物において未報告のウイルスやウイルス病を発見し、診断・検出法を開発してきた。

 

バナナのウイルスはどこから?

沖縄県を訪れる観光客は多い。熱帯性の樹木や花々とともに、バナナ、パイナップルなど熱帯果実も旅人の目や心を楽しませる。しかし、バナナにはバナナバンチートップウイルス(BBTV)というウイルスが発生して最終的にはバナナを枯らしてしまうことがある。BBTVはハワイなど南太平洋諸国でも、あるいは、フィリピンやベトナムなどアジアの国々でも発生しているウイルスである。それでは、BBTVはどこから沖縄にやってきたのだろうか。  このような謎をとくため、筆者と古屋典子(当時、本学大学院生)らは、本学姉妹校であるフィリピン大学、ベトナムハノイ農業大学、インドネシアボゴール農業大学などの協力を得て各国のバナナウイルスを採集し、その遺伝子の比較を始めたのである。その結果、沖縄のBBTVは、インドネシアなど東南アジアのBBTVとは双子の兄弟とも表現できる高い類縁性が認められるが、南太平洋のBBTVとは親戚程度の類縁性であることを明らかにした。

 

ウイルス拡散の道筋

このように、遺伝子解析によって植物ウイルスがいつごろ、どこから侵入したかを推定することが可能である。同じ技術を用いて、ヤムイモに発生するウイルスについても解析を行なった。  北京オリンピックでは陸上競技金メダリストであるボルト選手のヤムイモパワーが有名になったが、ヤムイモは東南アジアマレー半島が原産。遠い昔の人々はヤムイモを持って移動を続け、その結果、東はアジアからパプアニューギニアなど太平洋の島々へ、西は、インド、アフリカを経て大西洋を渡り、ボルト選手の故郷ジャマイカや中南米へと達したと考えられる。

ヤムイモに潜んだウイルスは、誰にも気付かれないままにヤムイモとともに世界へ拡散していったのであろう。その道筋は、ウイルスの遺伝子解析によっても確かめられた。植物ウイルスとその拡散の歴史を調べることにより、作物と人との長いかかわりへの理解も深まるといえよう。

 

突然変異や遺伝子組換えも

遠い昔に隊商の行き交ったというパルミラ遺跡でも有名な中東の国シリア。乾いた空気、強い日差しの下ジャガイモ畑が見渡す限りに広がっている。日本のジャガイモのウイルス病はよく制御されているが、シリアではまだまだ被害が大きい。  ウイルス研究を目的に政府研究機関から当研究室に留学してきたM.C.アリ氏とともに、ジャガイモウイルスの発生状況や、分子生物学的な技術を駆使した検出法の開発にも取り組んだ。その結果、同国ではジャガイモYウイルス(PVY)というウイルスが蔓延していることが確認されたが、その原因の一つは、ヨーロッパ各国から輸入する種イモがウイルスに汚染されているためだと考えられた。それだけではない。シリアのPVYが突然変異の集積や遺伝子の一部組換えによって、少しずつ異なる性質を持つ多様性に富んだ集団となっていることを発見した。防除が十分に行なわれない環境ではウイルスは蔓延するだけでなく、急速に進化しているようである。

この成果に基づいたウイルスを宿す雑草の除去、媒介者であるアブラムシの制御、汚染種イモの利用禁止、検疫強化、さらには高度なウイルス検出技術の導入と早期診断など、ウイルス病防除にむけての実用的な提言にも結びつく研究となった。

 

ミャンマーでの研究成果

ミャンマー唯一の農業大学であるイエジン農業大学で講演を行なう機会を得るとともに、ウイルス病の発生調査も継続して行なっている。なにしろミャンマーにはまだ植物ウイルスの研究者が一人もいないという。初めて尽くしの調査により、ウリ類ではおそらく新種と考えられるウイルスを発見したほか、パパイアでも従来の報告とは異なる性状をもつウイルスの存在を認めた。西にバングラデシュからインドへ連なる地理的な特性からも、東南アジアとは異なるウイルス相が存在する可能性があり興味深い。なお、この調査は、途上国におけるフィールド調査の方法を大学院生に教授するプロジェクトの一環でもあり、大学院生も参加している。新しい事実を発見する喜びだけでなく、研究の成果を少しでも農家にも還元したいと、大学院生の調査活動には熱がこもる。

ミャンマーに限らないが農作物のウイルス病に関する情報が少なく、研究環境にも恵まれない途上国の多くでは、ウイルス病診断の多くが手付かずのままである。ウイルスという敵の性質を知れば、効果的な防除の方法も明らかになることから、途上国に向けては今後も、植物ウイルスに関する教育や研究への協力を続けていきたいと考えている。

 

アフリカへ、そして未来へ

4月からは当研究室にはじめてアフリカからの留学生を迎え、アフリカのイネウイルス研究を開始する予定である。本年1月には国際協力機構の委嘱で、タンザニアやウガンダのイネ栽培における人材育成や病害研究を目的とした調査も行った。「アフリカのための新しい稲(New Rice for Africa)」を意味するNERICA稲栽培には、日本人の専門家が精力的に取り組んでいる。今のところNERICAに発生するウイルスは1種類だけであるが、どのように突破口を開けばいいか、作戦を練る日々が続きそうだ。ウイルスに関する知識や技術が役立つのは、国や地域を問わない。また、視野を広くすることによって研究をより深めることができると考え、ウイルス病だけに限らず、菌類病や生物資材に関する研究にも取り組むほか、フィールド調査も重視している。農業を営む卒業生から持ち込まれる病害標本は、学生にとっては勉強のチャンス、嬉しい贈り物だ。こうした日々の研究室運営の中、日本で熱帯作物のウイルスを専門に扱う大学の研究室は、ここだけという自負もある。ウイルスは電子顕微鏡でなければ見えないほど小さく、ともすれば気付かれない存在かもしれないが、農業生産における阻害要因としては想像以上に大きい。ダイナミックに変異し、拡散を続ける植物ウイルスをいかに制御するか、チャレンジする課題はまだたくさんある。

 

<学術フロンティア研究にも参画>

東京農大の大学院農学研究科と総合研究所に所属する主要研究者が結束し、海外4大学との共同研究プロジェクトとして学術フロンティア研究「新農法確立のための生物農薬など新素材開発」にも参画している。ウイルス病防除を目的とした弱毒ウイルスや抵抗性品種の探索、種子消毒や媒介虫防除技術の導入を行って参加国の農業発展をめざしている。同研究は、平成11年から平成15年度までの第1期、さらに、平成16年から本年度までの第2期へと引き続いて行われ、多くの成果を挙げている。

 

 

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