東京農業大学

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教員コラム

創薬・薬物作用解析のためのケミカルバイオロジー

2017年5月1日

応用生物科学部食品安全健康学科 教授 冨澤 元博

化学と生物学の融合

 有機合成化学や生命科学研究技術、そして分析機器の技術革新により、本当の意味でのケミストリー(化学)とバイオロジー(生物学)の融合が可能となり、近年、ケミカルバイオロジーと呼ばれる分野が動き出した。ケミカルバイオロジーは、原子・分子のスケールで生命現象を理解する目的のため、化学の論理や研究戦略を積極的に応用する。特に小分子有機化合物〔リガンド(任意のタンパク質に特異的に作用する物質)または広義の薬物〕を分子ツールとして用いることで、リガンドと標的タンパク質との三次元相互作用が定義でき、そして薬物結合表面の立体構造情報から医薬・農薬・動物薬となる化合物分子を設計するドラッグデザイン(創薬)が可能となる。一方、未同定の薬物ターゲットを釣り上げるために、薬物の化学構造を基盤とした分子プローブを用いることで薬物による生体影響発現メカニズムの解明にも貢献することができる。
 本稿では、筆者の研究グループで実施した二つの話題、すなわち、「新薬候補化合物としての新奇ファルマコフォア(薬理活性発現に重要な役割を果たす原子団)を有するニコチン性作用薬のデザイン」と「有機リン酸エステル殺虫剤による雄性生殖毒性ターゲットの同定」について紹介する。


薬物標的部位相互作用の定義と ドラッグデザイン

 一般的に薬物のターゲットへの結合メカニズムにアプローチする場合、ターゲット部位を構成するアミノ酸の一つまたは複数を変異させ、それによる薬効変化を比較する方法が最も容易である。しかし薬物結合ポケットは複雑な立体構造を形成するために、その薬効変化が上述の変異に直接帰属可能か、または薬物結合表面の間接的構造変化によるものなのか判別が難しい。そこで我々は、以下の3つのアプローチから得られるデータを総合することにより精緻な解析が可能になると考え、各種ニコチン性作用薬の結合部位相互作用を定義することに取り組んだ。
 第一は、高解像度で結果が得られる薬物とニコチン受容体との共結晶構造の解析である(ただし結晶化後の状態を観ているため生理的条件下での相互作用を反映しない場合もある)。その結果、上述の薬物相互作用で鍵となるアミノ酸のジオメトリー(立体配座の幾何)や薬物結合によるタンパク質のコンフォメーション変化、水分子の会合を捉えることができた。第二は、ニコチン受容体に作用する分子プローブによる光親和性標識法である。この化学的方法は、水溶液中での実験が可能であり、薬物の標識位置を質量分析法等で同定できる。そして標識位置の同定を通じてニコチン性リガンドの結合部位相互作用の三次元イメージのマッピングに成功した。本光親和性標識法は薬物分子を結合部位内に直接固定化する方法であるが、欠点として、アミノ酸とプローブとの標識化反応の反応性の高低が関係する場合がある。そこで第三として、同定した標識位置近傍にあるすべてのアミノ酸をひとつずつ反応性の高いアミノ酸に変異(スキャニング)させて、プローブによる標識位置がシフトするか否かをチェックした。その結果、反応性の高いアミノ酸がどの位置にあっても標識されるわけではなく、特異的な位置・方向でプローブの標識化が起こっている、すなわち、薬物の特異的な相互作用を反映していることを確かめた。
 上述の情報を基盤にして樹立されたニコチン受容体のリガンド結合ポケットの立体構造をイメージすると、ある方向にニッチ(くぼみ)が存在することがわかり(次ページ図1左)、さらにその空間の終点には塩基性のアミノ酸が存在する。そこで、このギャップを埋めることができて、さらに水素結合可能な窒素原子をもったファルマコフォアとしてピラジノイル基を導入したリガンドを合成したところ、ねらい通りに高い結合親和性を示した(図1中)。さらに、前出のニッチを形成するアミノ酸群と多角的に水素結合や疎水性結合を形成させるため、トリフルオロアセチル基をもつ化合物をデザインした(図1右)。我々の見出したトリフルオロアセチル型リガンドは、その後、製薬企業による新薬発明の為のリード化合物として貢献し、そこから僅かに構造改変された化合物は、現在農薬・動物薬として開発段階にある。


未知の薬物ターゲットの同定

 有機リン酸エステル(OP)殺虫剤による急性神経毒性についての理解は十分であるが、致死・急性の中毒を引き起こす用量より低いレベルで持続的に曝露された場合に起こる健康影響については不明である。
 OPは、急性神経毒性標的であるアセチルコリンエステラーゼだけでなく、多様なセリン加水分解酵素にも作用し得ることから、未知のOPターゲット探索を行うことは重要である。加水分解酵素にはリパーゼのように脂質代謝に関与するものが多く、OPは脂質代謝系を攪乱する可能性が高い。また、OPはヒト雄性生殖系に作用しうると考えられており、多くの疫学研究により生活・職業を通じたOP曝露と精子毒性との関連が示唆されていた。さらに殺虫剤散布作業者に精子運動性の低下が見られることや動物実験でもOPによる精子運動性低下や奇形率上昇が報告されている。そこで我々は、フォワードケミカルアプローチにより雄性生殖器官中のOPターゲット探索に取り組んだ。
 アルキルフルオロフォスフォリデート化合物はリン酸化能力が高いことから、そのアルキル部分にスペーサーを介して蛍光発色基を導入したプローブを用いることにより、対象とする器官や組織中のOP化合物がリン酸化しうるセリン加水分解酵素のほとんどを網羅的に検出することができる。そこで先ずマウス精巣プロテオームとOPを反応させ、OPに特定のターゲットとのリン酸化反応を起こさせる。次いで上述のOPプローブを反応させて、電気泳動後、OPプローブによる標識パターンを観察する。供試したOPは既に特定のターゲットと反応していることからOPプローブは、そのターゲットを標識できない。従って、OPプローブによる標識が消失した部分こそがOPターゲットとなる。この原理に基づき殺虫剤フェニトロチオンをマウスに10日間経口投与した後、OPプローブによる精巣プロテオーム標識化を行ったところ、脂肪酸アミド加水分解酵素(FAAH)だけが消失することを見出した(図2)。FAAHは内因性のカンナビノイド受容体(マリファナのターゲット)アゴニスト(受容体を活性化する物質)の一つであるアナンダミド(AEA)を加水分解する酵素である。次にOP曝露による精子毒性がFAAH阻害と関連するか検討した。ラットに9週間(精子の成熟に必要な時間)にわたってフェニトロチオンを経口投与した。その後、精子数、運動性、正常数、未成熟数、奇形数などのパラメーターを調べ、併せて精巣プロテオームのOPプローブ標識パターン観察、FAAH活性測定、FAAHが加水分解すべき内因性基質であるAEAを定量した。その結果、精子毒性パラメーターとFAAH阻害活性との間に有意な相関性を認めた。さらにAEA濃度は投与したフェニトロチオン用量に依存して増加する傾向を示した。OPプローブによる標識では、FAAH部分の標識が消失しているが、FAAH発現量は対照群と比べ変化がなかった。従って、OPが雄性生殖器官内および精子細胞上のFAAHを阻害し、内因性基質であるAEAレベルを上昇させ、そしてカンナビノイド受容体シグナルが過亢進することにより精子毒性に繋がるとの斬新な仮説を提唱した。


おわりに

 本稿ではケミカルバイオロジー研究法による薬物ターゲット同定や薬物作用表面での結合メカニズム定義とドラッグデザインへの応用について紹介した。今後もますます化学の考え方を基盤とする生命科学研究が発展していくと思われる。

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