東京農業大学

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教員コラム

江戸の造園文化×醸造文化

2015年9月1日

地域環境科学部造園科学科 教授 服部 勉

‐「朝顔」からはじまった研究の融合‐

「花」の文化はビジネスチャンス

 江戸のまちは緑豊かな庭園都市ともいわれる。「武都」といわれたように大名屋敷(上・中・下・抱)などの武家地が約50%を占めており、庶民の土地は約15%の17km2に約50万人、実に人口密度は約3万人/km2と現在の世田谷区(約88万人、58km2:1.5万人/km2)の2倍の過密状態という特異な都市構造の上に存在していた。
 現在、「公園」といえば、行政=官が造ってくれるものと誰もが信じて疑わない。事実、江戸幕府も八代将軍吉宗は、墨堤(墨田区)、飛鳥山(北区)、御殿山(品川区)、小金井には「桜」を中野には「桃」を植栽した。これはいずれも日本橋を起点として約2里(8km)、それも江戸のまちの外縁部に計画的に配置されている。その背景には「米将軍」と揶揄され、一揆や打ちこわしといった政治・経済問題に苦しんだ吉宗が英断した庶民に対する緑による行政アピールだったといえる。
 しかし、庶民にとっては抑圧された社会生活の中で大いに花見を楽しんだことは言うまでもなく、その様子は浮世絵などに多く登場している。
 こうした幕府がつくった官立の名所よりもむしろ多いのが庶民や寺社が造った名所である。『江戸名所花暦』、『江戸名所図会』といった当時の案内本は印刷技術の発展とともに各種出版された。単に花を植えた名所ではない。品種改良に心血を注ぎ、時には俳人などの文化人を招き句会や月見などイベントの企画も盛んに行う。当然、人が集まれば「カネ」も集まる。
 「花」は正にビジネスチャンスでもあった。

 

江戸の多機能な緑環境〜現在のまちを再考!

 図1は『江戸名所図会』の中の落合の蛍、現在でいえば新宿区下落合二丁目あたりだろうか。まだ墨摺りのために色彩は想像するしかないものの、田んぼの中を蛍が飛びまわり、老いも若きも竹や団扇を振りかざし、蛍狩りを楽しんでいる。
 生産第一、品質確保のための農薬や化学肥料などの使用がこのような情景を日本各地から消滅させたことは誰もが認識している。江戸の昔であれば生産の場が時に名所にも変貌する。単一主義ではなく多機能な空間構成が江戸のまちの特徴でもある。
 図2は『江戸名所図会』高田馬場である。
 名前の通り、画面左手には武士の調練用の馬場となっており、弓道の的も見て取れる。築山様の土居には、松が植えられ、馬場と往来との空間分離には無粋な柵や塀を設けずに松並木として効果的な空間演出を醸している。
 更に右下の茶屋には軒から縁台上に藤棚が設えられており、茶屋で一服するひとたちの日除けとともに往来を行く人たちの目を楽しませる多機能な「緑環境」にもなっている。

 

園芸(花・緑)は文化、美意識の証し

 写真1はいずれも我が家で咲かせた「変化朝顔」の一例である。このような珍花奇木は朝顔以外にも花だけでなく、葉の僅かな変化(斑入り、葉の形が変化したものなど)したものが江戸時代には全盛を誇り珍重され、『草木錦葉集』などの図譜に収められている。
 このような植物が何故好まれたのか。当時のひとたちの中にはこれらの植物を物珍しさから投機的対象として扱ったものも少なくない。
 しかし、これらの植物を愛したひとたちが多く存在していた事実は、長時間の鑑賞や美しさに堪えうる「美」を理解できる「審美眼と意識」が当時の多くの日本人の根底に深く潜んでおり、園芸=文化という図式が認識されていた証しでもある。

 

造園×醸造=農大に新たな“夢”が開くか「花酵母」

 造園と花酵母?!と思われる方が正直な感想だろう。短期大学部醸造学科・酒類学研究室で「花」を分離源として用いて分離した一連の清酒製造用酵母(花酵母)は、ほとんど自然界には存在せず、分離することは非常に困難との話を伺った。
 特に「花酵母」を集める最初のハードルが「いかに花を集めるか」とのこと。私が部長を務める茶道部に酒類学研究室の數岡孝幸先生のもとで花酵母の研究を続けている濱田成樹さん(醸造科学科4年)がいる。その濱田さんから「どこかで良い花を集める方法はないでしょうか」との相談を受けたことから始まったのが、「江戸の伝統園芸植物『変化朝顔』を栽培し、そこから花酵母を分離しよう」というプロジェクトである。
 醸造の先生方のご努力の結果、効率良く清酒製造用酵母を分離出来るようになったといっても、その確率(取得率)は何と7%程度(麹菌由来の抗菌物質を使用しなければ数百〜数千万分の1の確率)という。「変化朝顔」も、種をまけば変わった花が咲くという単純なものではなく、正にその確率は清酒製造用酵母とほぼ同程度の困難さを伴う。

 

「黄柳葉濃紫車絞覆輪撫子采咲牡丹」?

 写真2の濱田さんが手に持つ変化朝顔の名称は「黄柳葉濃紫車絞覆輪撫子采咲牡丹」。
 まるで落語「寿限無」かお経の一部である。
 これは朝顔の遺伝子情報を葉・花の形態・色・咲き方などで示したもので、例え葉が「黄柳葉」となっても一重の「撫子采咲」か、八重咲きの「撫子采咲牡丹」となるかは開花しなければわからない。これ以外にも「黄掬水爪龍葉茶風鈴獅子咲牡丹」「青斑入握爪龍葉淡藤鼠風鈴獅子咲牡丹」「黄柳葉白撫子采咲牡丹」「黄斑入縮緬葉赤吹掛絞台咲」「黄縮緬立田芝船葉瑠璃筒白総鳥甲噴上車咲牡丹」の5種類、また江戸から続く大輪咲も渋い茶色の「団十郎」をはじめ黄蝉葉系統9種類、葡萄鼠色の「松の秋」など5種類などを栽培中。
 学生が取り持つ今回の研究は、正に「花好摸」(摸=「さぐり求める」の意味)である。

 

図1 「落合蛍」(『江戸名所図会』)
図2 「高田馬場」(『江戸名所図会』)
写真1 変化朝顔 左:親牡丹(種が出来ない不稔性) 中央:采咲牡丹(不稔性) 右:台咲(種が出来る)
写真2 変化朝顔を「愛培中」の濱田成樹さん

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