東京農業大学

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教員コラム

「100%網走産」のビール開発

2011年7月15日

生物産業学部生物生産学科 准教授 伊藤 博武

地域振興へ、学生たちも参加

大麦もホップも、「100%網走産」のビールを…。東京農大生物産業学部(オホーツクキャンパス)の3年がかりのプロジェクトが成功、同大学網走寒冷地農場で栽培した大麦とホップを原料とするビールが商品化されたのは、昨年12月だった。名付けて、ビール「祝(いわい)」である。学生たちも積極的に参加、地域振興にも貢献した取り組みを振り返る。

 

二条大麦の一大産地

網走市でビールの原料として栽培している二条大麦の歴史は古く、昭和初期にまで遡る。現在の品種「りょうふう」は、北海道の総契約数量5,679tのうち、網走市が64.7%にあたる3,674tを生産する一大産地である。  

網走で、この大麦栽培が盛んになったのは3つの要因がある。すなわち、一つ目はオホーツク地帯における冷涼な気候が栽培に向いていること。二つ目は根菜類を主体とする大規模畑作経営の輪作体系に向いている作物であること。そして、三つ目は先人たちの熱心な栽培に対する取組みと自助努力の成果である。

 

地域とともに歩む農場

一方、東京農業大学網走寒冷地農場は、地元農協や網走市の熱い期待をになって寒冷地畑作大規模農業の実習と、産官学が一体となって教育と研究を進める、いわば「地域とともに歩む農場」を目指して1982年(昭和57年)に開設された。開設時から地域の営農集団組織の一員となり、地域農家と組織的に一体化して運営されている。  

大学農場は教育と研究の2本柱が一般的であるなかで、営農部門を加えた3本柱とをする大学農場は他に類例のない存在と言える。この農場では開設時よりサッポロビールとの契約栽培で二条大麦を年間20トン生産している。

また、生物産業学部には食品加工技術センターが設置され、食品製造実習や卒論研究をはじめ、同好会活動や市民参加の実習などに広く利用されているが、国内の大学としては唯一、ビール・発泡酒の試験醸造装置を設置している。

こうした地域と大学の結びつきを生かして、網走産の原料だけでビールができないものか。そう思いついたのは、ある地元農家の一言だった。秋播きコムギ品種「ホクシン」の高品質・多収栽培技術を確立し、地元農家に技術指導に当たっていたときの事だったが、ある篤農家に「おれの大麦で造ったビールはうまいのか」と問いかけられたのである。二条大麦の主産地でありながら、農家の人々にとっては、自身が栽培した原料で醸造されたビールという実感がない。

自らの生産物ということになれば、品質や収穫量を向上させる意欲もわく。何とか農家の期待に応えなくてはと、必死になって考えた結論は、農家自身が生産物の良さを実感し、改めて収穫の喜びを消費者に伝えることで網走の地域振興につなげることであった。

 

収穫の喜びを伝えるビール

そこでまず、網走寒冷地農場産の二条大麦を原料とするビールを作ることにした。茨城県の木内酒造合資会社の技術協力を得て、141本のエールタイプのビールが誕生したのは2007年1月だった。うれしくて「祝」と命名した。「収穫の喜びを伝えるビールです」とは、そのときのポスターのキャッチコピーだ。この思いが農家の方々にも届いたのではないだろうか。  

近代化の黎明期、開拓者達は全て北海道産原料で醸造したビールを飲んでいたという。我々だって純国産にこだわりたい。乾杯のビール「祝」は自分達へのエールになると確信した。

翌年の2008年12月21日に寒冷地農場の位置する網走市音根内地区の開基100周年記念式典が市内のホテルにて開催された。その祝賀会では、地域の農家の方が乾杯用に準備してくれたのは、その「祝」ビールだった。もちろん農場も地域の一員であるので、技術協力させていただいている。最初のビールを作って1年後には地域にもプロジェクトの輪が広がったのである。

 

サッポロビールとの包括連携協定

網走産をさらに進めるには、ホップも確保しなければならない。私たちは2008年11月、サッポロビールの技術支援を受け、網走寒冷地農場でホップの栽培研究をスタートさせていた。網走などオホーツク地方は風が強いなどの理由で、本格的なホップ栽培は行われていなかった。  

研究を深めるため、2009年1月23日、サッポロビール北海道支社と東京農大生物産業学部の「包括連携協定書」が調印された。横濵道成学部長、渡部俊弘教授の尽力によるこの協定は、第1条(目的)に「北海道の生物産業において地域活力向上に貢献できる『ひとづくり』と『ものづくり』を創出することを目的とする」としている。

地域の人的交流や教育支援を盛り込んだユニークな協定で、具体的な取り組みとしては網走寒冷地農場でオホーツク産ホップを試験栽培すること、サッポロビールの協働契約栽培に欠かせないフィールドマン活動を学生に体験教育させることで、ビールプロジェクトは拡大の方向に急展開した。

ホップの試験栽培は、学生の真柄光孝君(生物生産学科)が熱心に取り組んでくれた。防風ネットの工夫などもして、2009年に10キロ、2010年には20キロと順調に栽培量が増加し、ビールの醸造に必要な一定量の目標を達成した。

 

先人に習い、一層の地域振興を

かくて、100%網走産のビール「祝」は、サッポロビールのグループ会社である㈱開拓史麦酒醸造所によって製造された。東京農大バイオインダストリー(ベンチャー企業)から昨年12月、限定発売した3000本は予約完売という人気を博したのである。ビールの仕込み作業にも参加した真柄君は、生産現場から加工、そして消費者へという流れを実感できたことに感動していた。  

先人の努力があったからこそ、国産原料のビールが飲める。北海道におけるビール醸造の歴史を遡ると、開拓使ビールの生みの親として知られる村橋久成(むらはしひさなり)にたどり着く。一般にはあまり知られていない久成の業績は、麦酒醸造所(サッポロビールの前身)建設にとどまらず、琴似屯田兵村・七重勧業試験場・葡萄酒醸造所・製糸所・鶏卵孵化場・仮博物館・牧羊場などを創設し、北海道産業の基礎を築くという特筆すべきものである。

開拓使当時のビールの宣伝コピーに「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる」がある。私たちは、その達成の喜びをかみしめつつ、なお一層、地域振興に貢献したいと考えている。

 

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