高めたい防災意識、避難能力
2011年6月9日
生物産業学部アクアバイオ学科 教授 谷口 旭
津波災害復興祈念館の設立を
東日本大震災は、大地震、大津波そして原発事故の三重苦をもたらした。原発は科学技術が産み出したものだから、科学技術には事故を収束させる力があるし、義務もある。住民は、ただ見守ることしかできない。その過程で、住民の科学技術への信頼度が決まってゆくであろう。
住民にできることは、地震と津波への備えである。今回はとりわけ津波被害が大きかった。一般的には、震度と津波規模は比例していると思われている。しかし、実際はそうではない。むしろ、地震は地震、津波は津波、それぞれ別ものだと考える方が安全である。三陸沿岸でも、震度が大きいのに津波は小さかったとか、反対に地震を感じないのに大津波が襲ってきたという例がいくつもあった。このことは、科学者や防災部署が度々市民に啓発してきたことである。たまたま手許にある例を挙げてみよう。
津波についての誤解
昭和62年、第二管区海上保安本部(塩釜)は「東北地方の地震津波と避難の考え方」を刊行し、「三陸地震津波(昭和8年)のように最大波高が10−20mのものは50−60年に1回、三陸大津波(明治29年)の最大30m以上の波高を示すものは約100年に1回の割合でそれぞれ発生する(後略)」と警告した。そうであるにも拘らず、大津波は数百年に一回しか来ない、などと言いふらされるようになった。それは、同一震源で起こる超大地震の頻度は低いということとの混同である。深刻なことは、防災関係者や臨海施設設置者のなかにこの誤解が浸透していたという事実である。その結果、防災施設の水準が不当に低められてきたと言えなくもない。
原発のように限定された地区におかれる施設を30m以上の防潮堤で囲むなどのことは、むしろ容易である。今回も、大津波への備えのおかげで被害を免れた施設があった。しかし、臨海市町村の全体を30m以上の防潮堤で囲むとか、そっくり高台へ移すなどのことは、技術的にも、文化的にも、難しい。多くの人々は、経済的にも精神的にも、臨海低地帯に拠点を置かなければならないであろう。そのときに必要なことは、被害を受けにくい地形の利用や改善はもとより、低地帯に退避施設(高層建築物)を作ること、人々の防災意識、避難能力を徹底的に高めることである。現在進行中の震災復興審議と今後の防災教育啓蒙活動に期待がかかる。
記録を残し、知識を伝える
今回の被災者の中には、津波襲来を知りながら犠牲になった人もあったと聞く。実に、じつに、口惜しいことではないか。今まで行われてきた防災教育、避難訓練だけでは足りなかったのだ。次世代には、防災意識が日常感覚になるまで徹底させる必要があるだろう。そのためには、学校教育だけでなく、正確な記録をわかりやすく残し、正しい知識を不断に伝え続ける社会的な仕組みや施設が必要であろう。
この度の被災地にも、大津波に呑み込まれながら生抜いた公的な施設があるはずだ。その中から次世代の防災教育を担うにふさわしいものを選び、国家的な津波災害復興祈念館へと再生させてはどうか。私には、それが現世代の責務であるように思われる。