東京農業大学

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教員コラム

流氷(海氷)がもたらす恵み

2011年4月13日

生物産業学部アクアバイオ学科 准教授 西野 康人

オホーツク海の生産構造の解明

オホーツク海は北半球で最も低緯度(南)まで流氷(海氷)が到達する海域として、また、水産資源に恵まれた世界有数の海域として知られている。この豊かな海を構築し、支えているのはプランクトンである。海洋における一次生産者、いわゆる食物連鎖の出発点であるプランクトン。オホーツク海における彼らの高い生産力の影には海氷の存在がある。その一方で、オホーツク海の流氷とプランクトンの生産との関わりには、大きな誤解がいまだに蔓延している。本稿では、海氷が生物生産におよぼす影響について、そして、オホーツク海の生産性の高さの源について紹介する。

 

氷海生態系の特徴

オホーツク海では冬季に海が凍り、広く流氷で覆われるため、漁業は停止する。陸上でも、大地が雪に覆われると農業は休止し、自然の生物の多くが冬眠する。しかし、氷の下の海中では、生物が活動を続けている。そして氷海生態系で特筆すべきことは、海氷中、特に下部、海水に浸かっている部分で微細藻類が増えることである。この微細藻類の増殖は冬の終わり頃に顕著になり、氷の色が茶褐色に変色するほどになる。その群集をアイスアルジー(Ice algae)という(図1)。アイスアルジーは、海水が凍結するとき、海水中に存在した植物プランクトンが取り込まれたものである。  

アイスアルジーは、春に向かって氷がとける過程でさらに増殖し、海水中に放出される。ばらばらに放出されると、水中で植物プランクトンとして振る舞い、スプリングブルームを起こしたり、動物プランクトンの餌となったりする。塊として放出されると、海底まで沈降し、ベントス(底生生物)の餌になる。このように、氷海では水中の植物プランクトンが少ないのに対して、氷中にはアイスアルジーが繁茂し、氷海生態系の主要な生産者となっている。

冬のオホーツク海は、決して冬の大地のように休んでいるのではない。氷中で生産するアイスアルジーのおかげで、水中では生物が活動を続けているのである。

 

海氷の機能

海氷とは、文字通り海水が凍った氷のことである。氷海を形成し、氷海生態系の基盤となるものである。海水はおよそ−1.8℃まで冷えると凍る。海水が凍るとき、凍るのは海水中の水成分だけである。海水には水の中に塩分等が溶け込んでいるので、海水中の水だけが凍ることで、塩分等が濃縮された高塩分水が海氷の中に生成される。海氷中に存在するこの高塩分水をブラインという。海氷中に閉じこめられたブラインはやがてブラインチャンネルという通路をとおして、中央部分に集まりながら下層に運ばれていく。そして下層に集まったブラインは海氷の底面から徐々に水中に抜け落ちていく。  

海氷中でブラインが存在した場所はブラインが海中に沈降していった後、そこにはすき間ができる。このすき間をブラインポケットという。この海氷中のすき間が生物生産に大きな影響を及ぼすのである。すなわち、ブラインポケットは生物が生息できる場を提供する。そしてブラインチャンネルを通して、海水がしみ込んだり放出されたりと、海水の出入りがおこり、生息する生物に栄養塩も供給するのである。この海氷のすき間に生息するのが前述したアイスアルジーと呼ばれる微細藻類である。

一方、海中に放出されたブラインは高塩分・高密度水である。しかも低水温でもあるので、周囲の海水より重く、水中に放出されると海底に向かって沈んでいく。このブラインの沈み込みにより、海は表層から深層まで、ゆっくりかき混ぜられることになる。このように海が上から下までかき混ぜられることを鉛直混合という。この鉛直混合がおこることで、光の届かない深層に溜まっていた栄養塩が表層に持ち上がってくる。表層では光が届き、植物プランクトンもいる。そして肥料となる栄養塩が加わることで、生物生産が活発に行われることとなるのである。

海洋の深層をゆっくりと流れている海流があるのをご存知だろうか? 世界中の海洋の深層を約2000年かけて循環する流れで、深層大循環と呼ばれる。この循環は北大西洋のグリーンランド沖や南極海で海氷が生成するときに生み出された低温高塩分水が海底に沈み込むことにより形成される。海氷生成時に生成される高塩分水の沈み込みの強さを示す好例であろう。

 

オホーツク海の流氷(海氷)

冬季、北海道東部のオホーツク海沿岸域には流氷が来る。この流氷はオホーツク海北西部シベリア沿岸で生成された海氷が流れてきたものである。オホーツク海の流氷はアムール川の淡水が凍って、流れてきた氷と誤った情報がいまだに多く見受けられるが、オホーツク海の流氷は、海水が凍ってできたものである。海氷だからこそ、オホーツク海の生物生産に流氷がプラスの影響を及ぼすのである。オホーツク海の海氷が生成され、ブラインが深層に沈んでいくことで、水中で鉛直混合がおこり、深層に眠っていた栄養塩が表層に持ち上げられる。この機構がオホーツク海の生産性の高さの一因なのである。オホーツク海の流氷が淡水の氷であったら、オホーツク海は生産性の低い海となっていたことであろう。  

そして、オホーツク海の流氷は栄養塩やアイスアルジーなど、さまざまな物を遠くシベリア沿岸から運んでくるという話をまことしやかにされているのを耳にした方も多いと思う。前述の海氷の生成の仕組からもわかるように、日本のオホーツク沿岸域にたどりついた流氷は、生成されたときに取り込まれた栄養塩等は、途中、ブラインとして海中に放出されているのである。また、アイスアルジーが氷の中で増殖するのは、流氷が接岸して、定着氷となってからなのである。その理由は、流氷は移動している間に、ぶつかり合ったり、ひっくり返ったり、重なったりしている。当然、光環境も安定していない。微細藻類であるアイスアルジーは、安定した光環境があって初めて増殖できるのである。したがって、流氷に色付いて見えるアイスアルジーは北海道にたどりついてから増殖したものなのである。

 

海氷と生物生産

近年、北極や南極の氷が減少しているという話を耳にする機会が多くなってきた。温暖化の影響で、氷がとけて、海面が上昇する等の様々なシミュレーション結果もでてきている。その一方で、海氷が生物生産にどのような影響を及ぼしているか、どのように機能しているかは、実はまだ明らかになっていないことが多い。その要因として、海氷の研究ができる場所が限られることがある。  

これまで海氷研究の中心は南極海や北極海であった。ここでの研究成果により海氷が生物生産に多大なる影響を与えていることが明らかとなった。その一方で、生物生産に劇的変化を与える海氷の生成期と融解期における調査・研究は、両海域で実施することができない。冬季、海が凍り、春から夏にかけて海氷が融解していくオホーツク海は海氷の生成期から融解・崩壊期までを調べることができる貴重な海域である。しかしオホーツク海の海氷の多くは流氷であり、移動することを前提としている。そのため、履歴を把握することはきわめて困難である。そこでわれわれは、定着氷による海氷研究をすすめている。海氷の定着氷が生成される地は、きわめて限られており、網走市北西部に位置する海跡湖である能取湖は、その貴重な場のひとつである。ここで海氷と生物生産とのかかわりについて研究をすすめている。

これまで得られた結果のひとつとして、海氷融解期には海水中でも植物プランクトンが大増殖することが明らかとなった。このときのクロロフィル濃度は、赤潮に匹敵するほどのものであった(図2)。この結果は、結氷期、少ないと思われていた海水中の植物プランクトンが、生物生産に大きな影響を与えていることを示している。さらに、特定の水深でクロロフィル濃度が顕著な極大を示しており、海氷の存在が植物プランクトンの動態に大きな影響を与えていることも示唆された。まさに"海氷は海にフタをするのではなく、海を活性化させる"ことを示した結果である。

 

図1 アイスアルジー
図2 能取湖における海水中のサイズ別クロロフィル濃度の推移

 

 

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