東京農業大学

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教員コラム

スギ花粉飛散抑制技術の開発

2011年1月1日

国際食料情報学部国際農業開発学科 教授 小塩 海平

ソルビタン脂肪酸エステルの効果

現在、日本のスギ花粉症患者は国民の約20%にも上るといわれ、年間の経済的損失はおよそ2860億円にも達すると概算されている。日本で初めてスギ花粉症患者が報告されたのは1963年のことであり、1980年から2000年までの20年間に、患者数は約2.6倍に増加したことが報告されている。さらにスギ花粉特異的IgE抗体陽性率(JCP-IgE≧1.5IU/ml)は、若年層を中心に国民の40〜50%に及ぶとみなされており、将来にわたって大きな社会問題となっている。今回はスギ花粉抑制技術について、これまでの研究概要を紹介したい。

 

従来の花粉症治療対策の限界

花粉症の治療には、抗ヒスタミン剤やステロイド剤などの薬物を用いた対処療法や減感作療法と呼ばれる抗原特異的免疫療法が知られているが、即効性や副作用などの点から、安全性に優れた根治療法とは言い難い。またスギ花粉抗原エピトープを導入したアレルギー軽減米の研究も進められているが、遺伝子組換作物の摂取に関しては、まだまだ大きな抵抗があるのが実情である。
花粉症の治療法や花粉の飛散予報などの技術の進展は目覚しいものがあるが、根本的な対応策としては、スギ花粉そのものの飛散を抑制するのがもっとも望ましいことはいうまでもない。著者は、日油(株)との共同研究の中で、主として天然油脂由来の界面活性剤をスギに散布処理し、雄花に対する選択的褐変効果のスクリーニングを行なってきた。

 

スギ雄花褐変技術の利点

スギ花粉は直径30-40μmの突起をもった独特の形をしており(写真1)、米粒大の雄花の中に約30-40万粒が形成されることが知られている(写真2)。幸い、スギは裸子植物であり、雄花が枝の先端にまとまって着生する性質を持っているため、雄花が肉眼で観察できるようになった時点で適当な薬剤を散布処理し花粉の形成を阻止すれば、スギ花粉の飛散防止の根本的な解決策となりうるはずである。
これまでに検討されてきた剤としては、マレイン酸ヒドラジドコリン塩やウニコナゾール、トリネキサパックエチルなどがあるが、これらはいずれも雄花形成を誘導する植物ホルモンの阻害剤であり、1)雄花の形成が抑制される反面、材の成長も抑制されてしまう、2)周辺作物の生長も阻害するため、生態系に甚大な被害を及ぼすおそれがある、3)環境への悪影響を避けるために一本一本薬剤を樹幹注入しなければならず、多大な労力が要求される、4)雄花形成阻害効果が、年次変動による雄花形成の豊凶と区別して評価するのが困難である、などの難点があった。そこで、著者は日油(株)との共同研究を通して、人体や環境への影響が少ないと考えられる界面活性剤のスクリーニングを行い、雄花の褐変・枯死効果が高く、かつ周辺作物への影響がほとんど認められないソルビタン脂肪酸エステルを選抜することに成功した。現在、複数の県における2年間の薬効試験および各種の安全性評価を終えたところであるが、その効果が認められ、年度内に農薬登録を申請することになっている。これまでの試験結果では、スギ花粉飛散量を約9割抑えることができると概算しているが、今後、薬効のシミュレーションと合わせて、散布方法についても検討していく予定である。

 

木材の付加価値向上と一石二鳥

現在、ソルビタン脂肪酸エステル処理によってスギ雄花が褐変・枯死する生理的メカニズムを追究しているが、夏から初秋にかけて雄花で減数分裂が盛んに行われている際に処理すると、細胞のアポトーシスが起こるらしいことがわかってきた。この時期には針葉と比べて雄花における細胞分裂活性が極めて高くなっており、ソルビタン脂肪酸エステルに対する両者の感受性の違いが大きくなり、その結果、針葉には影響が見られずに、雄花だけが選択的に褐変・枯死するものと考えられる。
ソルビタン脂肪酸エステル処理によって、本来花粉形成に用いるべき大量のエネルギーをスギの木材形成にまわすことができることになれば、木材としてのスギの付加価値をも高めることにもなり、まさに一石二鳥の技術となろう。スギ林の所有者と行政、さらには花粉症被害者との間の合意形成も比較的容易に行なわれるものと考えられる。

 

スギとの共生を目指して

日本書紀にはスサノオがスギの植林を命じる件があり、また万葉集を繙けば、柿本人麻呂が「いにしへの人の植ゑけむスギが枝に霞みたなびく春は来ぬらし」と詠い、先祖代々、営々と行なわれてきたスギの植林事業を頌栄している。遠山富太郎が名著「杉の来た道」(1976)の冒頭で述べているように、まさに「スギは日本の杉である。そして、日本はスギの日本であった」といえよう。昨今、スギの存在自体が嫌悪されるような時代になりつつあるが、従来、日本人はスギと共生してきたはずである。
現在、育種によって"爽春"をはじめとする無花粉・低花粉スギが育成され、既存林の伐採と新たな植栽が行なわれつつある地域もあるが、労力と時間を要する上に、これらの系統はほとんどが精英樹ではないため、木材としてのスギの価値が軽視されてしまう嫌いがある。著者らの開発したソルビタン脂肪酸エステルを用いたスギ花粉飛散抑制技術が、スギ林の持つ二酸化炭素吸収能や洪水緩衝機能など、何世代にも亘る先人の努力の賜物を活かしつつ、スギとの共存の道を切り開くものとなることを願っている。

 

 

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