東京農業大学

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教員コラム

小学校の「食育」プログラム

2010年10月15日

短期大学部栄養学科 教授 古庄 律

現場での取り組みに参加して

最近、「食育」という言葉をよく耳にするようになった。新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどあらゆるジャンルのマスメディアでも取り上げられ、「食育」は社会ブームの一つでもあるかのようだ。しかし、「食育とは何を目的としているのか?」「具体的に食育はどのように行っていくべきか?」「食育を行うことで何かが変化するのか?」という問いに明確に答えられる人は少ないであろう。私たちは、世田谷区内のある小学校と連携して食育プログラムの作成と現場での教育に積極的に参加し、実践的な活動の中からその答えを導き出すことを試みようとしている。

 

「食育」が注目される背景

現在、日本人の平均寿命は男子78.6歳、女子85.6歳で世界最長寿国といわれている。一方、生活習慣病患者が年々増加する傾向にあり、死亡率順ではがん、心臓病、脳卒中といった生活習慣病に起因すると考えられる疾患によるものが上位を占める。生活習慣病の中でも糖尿病患者数は人口の約10%にあたる1000万人、高血圧患者数は790万人に上ると推定され、今後も増加すると予想されている。

しかし、国は財政難を背景に医療費を抑制し、国民への医療費負担を増大させざるを得ない状況であり、これ以上の医療費負担の増大は国民の健康維持の前途に大きな危倶を抱かざるを得ない。そのような背景の中で生まれた施策が「健康栄養日本21」であり、適度な運動、十分な休養、適切な栄養摂取により健康の維持増進をはかり医療費の軽減を目指そうとするものである。

食品産業の発達により国民全体の食事そのもののクオリティーはかつてないほどまでに向上し、栄養素の摂取量はほぼ充足しているものの、一方ではライフスタイルの変化に伴い運動不足、偏食、過食、無理なダイエットなど、健康に関する環境は必ずしも良好であるとは言い切れない。このことは、大人に限らず日本のこれからを担う子供たちにも当てはまることであり、学校教育の中で子供たちの食習慣を含めた生活習慣改善に向けた取り組みが必要であるとされている。そこで、国は平成17年に食育基本法を施行し、国を挙げて「食育」への取り組みがスタートした。

 

子供たちの食事情と「食育基本法」

食育基本法では、「食育」を①生きるうえでの基本であって、知育、徳育および体育の基盤となるべきもの、②さまざまな経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てること、と位置づけている。ひと昔前までなら「食育」は家庭での「食」に対する‘しつけ’であったと思われる。母親の手作り料理を家族そろって食べる、出された食事は残さず食べる、箸の持ち方をはじめとする食事の作法を身につけるなど、私も子供のころには両親に厳しくしつけられた思い出がある。

しかし、現代の子供たちの食事情といえば、小中学校の児童生徒のうち「朝食を欠食することがある」と答える者は16%、「朝食は孤食である」と答える者は30%にも上る。そして、食の欧米化や運動不足、高学年では塾通いなどによる夜遅い夕食など生活スタイルの変化に伴う、エネルギー、脂質、塩分の過剰摂取が原因と考えられる肥満、動脈硬化、糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病の低年齢化進んでいる。さらに、地域への関心が薄れる中でわが国の伝統的食文化が忘れ去られようとしている。

食育基本法では、「食育」によって国民一人一人が、生涯を通じた健全な食生活の継承、健康の確保等が図れるよう、自らの食について考える習慣や食に関するさまざまな知識と食を選択する判断力を楽しく身につけるための学習等の取り組みを目指すことを目的としている。しかし、法律は施行されたものの、現場である学校で実施に当たってのカリキュラムや教材が充分に開発されていないなど、多くの問題を抱えているのが現状である。

 

「お子様ランチ」で調査

私たちが参画している世田谷区内の小学校は、親も子供の教育に対する関心度が比較的高く、また地域運営校に指定されていることから、地域住民との連携も良く、「食育」を実施するための条件は整った学校である。

私たちは、取り組みのはじめとして児童が食事や栄養バランスについてどのような意識を持っているかに注目した。それを調べる方法として、ひとつのプレートに様々な食材(特に子供が好むもの)が提供され、過剰なもの、不足しているものを理解するために都合のよい「お子様ランチ」を用いて、児童の食と栄養の意識についてアンケートを行った。都内の10店舗のファミリーレストランで提供されているお子様ランチ14品を店側に協力を依頼した上で写真を撮影し、陰膳法(実際に摂取した食事と同じものを科学的分析し、摂取栄養素量を推定する方法)で持ち帰り各栄養素について栄養計算をした。

そして、学校給食で提供されている給食内容の平均的な栄養素量を理想量として、お子様ランチ中の栄養素の過不足をポイント化して解析した結果、エネルギーは充足しているが脂質の摂取量が多く、脂肪エネルギー比に問題があること、タンパク質摂取量において動物性タンパク質比が高いこと、カルシウム摂取量が低いことなどの特徴が浮かび上がった。

このうち10品を選び児童に写真を見せてアンケートをとると、「食べると元気になる」=「好きなものを食べる」がよく一致し、ポイントの低いもの、すなわち脂質エネルギー比が高く、カルシウムの少ないものが好まれる傾向が見られた。また、和食メニューからは、魚料理の好き嫌いが明確に現れた。自分で入れたいメニューとしてはフライドポテト、ハンバーグ、ステーキといったもので大きな差は見られなかった。野菜という答えもあったが、選択されたメニューの数からは本音はフライドポテトや肉料理が好きだという傾向が強く見られた。

 

新しい野菜の味を発見

この調査結果を元に、カリキュラムの中で低学年では「野菜」をテーマに据えた。1年生は「野菜のことを知り、進んで野菜を食べる気持ちを育てる」ことを目標に、紙芝居、劇遊びを通して野菜に興味を持たせることにした。これを指導している学生の卒論テーマとして、小学校の教諭からの指導も仰ぎながらストーリー、絵の作成などすべて手作りの紙芝居を完成させ教室で上演した。紙芝居の上演後、学生がキャラクター(べジレンジャー)に扮して劇遊びを行った。

今はやりの‘戦隊もの’ということもあり児童たちは大変興味を示し、後日クラスごとの児童へのアンケートと教諭へのアンケートから、給食で出される野菜について話し合いながら食べるようになったという回答が多く寄せられ、高い効果があったものと考えられた。

3年生では、「嫌いな野菜のおいしい食べ方を考える」を目的に、児童の嫌いな野菜の中から玉ねぎ、にんじん、セロリなどを選びコンフィチュール(フランス語でジャムの意)作りを行った。初めて鍋をガスコンロにかける児童もいたが、野菜の香りや味が砂糖を加えて煮詰めることで変化してコンフィチュールになること、そして自分たちでパンに載せて試食することで、これまで嫌いで食することのなかった野菜の新しい味の発見をするなど驚きも多かったようだ。

 

成長期に丈夫は骨作りを

4年生以上では少し高度な内容を目指した。最近、児童はちょっと転んだだけでも骨折をする。極端な話、黒板に手をついて手首を骨折するなど、驚くほど骨が弱い。自分たちの骨のことをよく知り、骨を強くするにはどのようにしたらよいか。食事と運動との関係、成長期における丈夫な骨作りは老年期になってからの骨粗鬆症の予防になることなどゲストティーチャーとして授業に参画した。これも非常に熱心に授業を聴いてもらい、質問の時間も積極的に手を上げる児童が多く、無関心を装うことの多い大学での講義を思い浮かべるとこちらがかえって身の引き締まる思いであった。

最後に、5年生の授業では「加工食品」を取り上げ、私たちの身の回りにある加工食品の安全性、加工食品の表示の見方などについて授業した。そして、身近にある加工食品としてウィンナーソーセージを本学の食品加工センターを利用させていただき製造することとした。5Kgの豚肉の塊を解体して亜硝酸塩とともに塩漬し、翌週加工センターでケーシングに充填してボイルするというものだった。発色剤である亜硝酸塩の食品添加物のとして役割や塩漬が必要な理由など学生の講義でも教えるような内容に熱心に耳を傾け、自分たちの手でソーセージを作るという楽しさを満喫していたようだ。

 

求められる家庭の協力

これらの内容は、父母会でもレクチャーを行っている。「食育」は学校教育だけで達成されるものではなく、家庭の協力が絶対的に必要である。逆に児童が家庭に戻って夕食時の話題で「学校で食べ物についてこんなことを学んできた。」という話で賑わい、自分の健康について「ハッ!」とする父母がでてきて食生活が改善さされれば「食育」の効果は大きい。健康や食の安全・安心について情報が氾濫する今だからこそ、地域の小、中、高の教育に積極的に参画し、連携を強めていくことも、食・農・環境について高度で専門的な研究・教育を行っている本学に求められている使命のひとつではないだろうか。

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