東京農業大学

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教員コラム

オオムギはなぜ鉄欠乏に強いのか

2006年1月1日

応用生物科学部生物応用化学科 教授 樋口 恭子

植物の鉄リサイクルを究明

植物体内での鉄の利用効率について、私たちは、鉄欠乏に強いオオムギと鉄欠乏に弱いイネで比較解析を行なってきた。この研究が進み、植物による鉄代謝の全容が明らかになれば、新たに鉄欠乏に強い作物や鉄含量が高い作物を作り出すことができるだろう。

 

鉄は生命活動の根幹を支える

鉄はごく一部のバクテリア(LactobacillusやBacillusなど)を除く全ての生物にとって必須の元素で、多くの酸化還元反応に関与している。なかでも全ての細胞が行う呼吸反応、植物の光合成、動物の血液中の酸素運搬、こういった地球上の生命活動の根幹を支える生化学反応は鉄がなければ進行させることができない。

鉄は地球上で4番目に多く存在する元素であり、また多様な酸化還元状態になりうる遷移金属で、生体中で触媒反応を行うのに好都合であるため、地球上の生物が鉄に依存するようになったのは当然であったのだろう。

しかし、鉄は豊富に存在するにもかかわらず、生物が必要量の鉄を確保するのはそれほど容易ではない。酸素の多い条件では三価鉄として存在するが、これは速やかに難溶性のいわゆる鉄錆になり、生物は吸収・利用することができなくなる。さらに中性以上のpHになると溶解性はさらに低下する。

 

植物も貧血になる

例えば人では鉄が足りなくなると、酸素を運搬するヘモグロビン中のヘムに結合するべき鉄が欠乏して貧血になる。植物では光合成に必要な葉緑素であるクロロフィルの合成に鉄が必要であるため、鉄欠乏になるとクロロフィルが減少し葉脈の間が黄色になり、ひどい場合は白くなって枯れてしまう。これをクロロシス症状と呼ぶが、ちなみに人の貧血改善に鉄投与が効果的であることは古くから知られており、クロロシス(白化)とは鉄欠乏性貧血を指す錬金術師の言葉だった。

作物栽培で古来、大量に必要とされる肥料成分は窒素、リン、カリウム、カルシウムである。鉄は必須元素だが、生物は大量に必要としているわけではなく、また上で書いたように鉄は豊富に存在しているため、典型的な鉄欠乏地帯である石灰質アルカリ土壌地帯以外では、一般に肥料として積極的に施用すべきものとは思われてこなかった。ところが1980年代に海に鉄を撒布すると藻類の生育が格段に良くなることが示され、思いのほか鉄が植物生育の制限要因になっている場合が多いことが分かってきた。

 

過ぎたるは及ばざるが如し

人は鉄で武器を作るが、細胞内でも常に鉄は凶器になる危険性をはらんでいる。先に鉄は生体内で触媒反応を行うのに好都合と書いたが、細胞にとって望ましくない反応も触媒してしまう。細胞にとって生理的に活性な二価鉄は過酸化水素と反応してラジカルを発生させ、細胞に酸化ストレスを引き起こす。

そのため鉄欠乏症の反対の鉄過剰症も問題になる。人では鉄を過剰に摂取すると臓器に血色素が沈着する血色素症(ヘモクロマトーシス)を起こす。酸素の少ない水田土壌では二価鉄が過剰になるとイネの葉に酸化ストレスによる褐色斑が現れる。つまり生物は鉄を積極的に吸収する機構と同時に体内の鉄の濃度やその化学形態を調節する機構も持っていなければならない。

 

鉄利用効率を高めるには

植物の鉄代謝は、《1》土壌中の鉄を根で吸収する、《2》維管束を通じて鉄を根から地上部へ移行させる、《3》細胞内で鉄を分配し余った分は貯蔵する、と大きく分けて考えることが出来る。現在、《1》については最もよく研究が進んでおり、その機構は分子レベルで解明されているが、《2》や《3》については最近ようやく生理学的な研究に加えて分子生物学の面からの研究報告が増えてきたところだ。

先に、酸素の多い条件では鉄は速やかに難溶性になり生物は利用できなくなると書いたが、これは生体内でも常に起こっている。実際、鉄欠乏症状を示している植物の鉄含量を測定してみると、鉄含量はそれほど低くない、という結果がしばしば得られる。つまり植物体内で一度貯蔵された鉄はあまりリサイクルされることなく、植物は常に新たに根から吸収した鉄を必要としているということになる。そこで《2》や《3》について研究を進めれば、鉄利用効率の高い作物を作り出すことができるだろう。

 

オオムギでは鉄は古い葉から若い葉に移りやすい

私たちは植物体内での鉄の利用効率について、鉄欠乏に強いオオムギと鉄欠乏に弱いイネで比較解析を行ってきた。写真1は、鉄を十分に与えた場合と途中から鉄なしで栽培した場合で、葉を古い葉から若い葉へ順番に並べ、オオムギとイネを比較したものだ。鉄欠乏に弱いイネでは、古い葉は濃い緑のまま若い葉は黄色くなっている。鉄欠乏に強いオオムギは、古い葉を早く枯らしてその代わり若い葉の緑色を維持している。そこで私たちは、イネは古い葉に貯まった鉄をリサイクルすることができないが、オオムギは古い葉から鉄を回収して若い葉に送っているのではないかと考えた。

この仮説を証明するため、私たちは写真2のような道具を作り、イネとオオムギでそれぞれ古い葉から鉄の放射性同位体を取り込ませ、放射活性の移動を追跡したところ、オオムギはイネよりも古い葉から若い葉へ鉄が移動しやすいことが明らかになった。このような植物体内での物質の移動を「転流」と言う。窒素は植物一般で転流しやすい元素としてよく知られており、転流機構の研究も進んでいる。鉄は転流しにくい元素としてよく知られているが、私たちは今回初めて鉄を転流させやすい植物もあることを定量的に証明した(Soil Science and Plant Nutrition 誌 2005年12月号に掲載)。

 

貧血の改善に役立つ作物も

また、オオムギはイネよりも少ない鉄含量で葉の緑色を維持していることも示した。次の研究目標は、オオムギの転流しやすい鉄はどのような分子と結合して細胞内に貯蔵されているのか、若い葉で鉄が足りなくなったときに古い葉からの鉄の転流を引き起こすシグナルはどんな分子であるのかを明らかにすることである。

オオムギは鉄欠乏が起こりやすい半乾燥地域で進化してきたことから、鉄欠乏によく適応した仕組みを発達させたと考えられている。オオムギは土壌中の難溶性の鉄を溶解するムギネ酸という物質を根から大量に分泌し、鉄を効率よく吸収していることがよく知られており、既にその機構が詳細に解明されている。これに加えて鉄の転流機構が解明され、鉄代謝の全容が明らかになれば、それらの機構を他の作物に導入して鉄欠乏に強い作物や、人の鉄欠乏性貧血の改善に役立つような鉄含量が高い作物を作り出すことができるだろう。

 

樋口の席にて(暖簾は学生の手作り)鉄以外にナトリウム、ニッケルについても研究を進めている。これらの研究は優秀な院生の豊かな発想と技術に支えられている。

 

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