研究成果(共同)「ヒト腸内共生乳酸菌 Ligilactobacillus ruminis の『べん毛–線毛スイッチ』を制御する新しい遺伝子を発見」 | 農芸化学科 梶川 揚申 教授ら
2025年12月9日
教育・学術
ヒト腸内共生乳酸菌 Ligilactobacillus ruminis の「べん毛–線毛スイッチ」を制御する新しい遺伝子を発見
~運動性獲得変異株のゲノム解析から、べん毛形成を抑えて粘膜定着を促す新規応答制御因子 FpsR を同定~
研究概要
人の腸内に生息するLigilactobacillus ruminis は、他のヒト腸内乳酸菌とは異なり完全なべん毛遺伝子群を保持する唯一の乳酸菌として知られています。しかし、ヒト由来株ではべん毛形成や本来の運動性が長年観察されず、その制御機構は不明でした。
東京農業大学 応用生物科学部 農芸化学科の梶川 揚申 教授らの研究グループは、ヒト由来株 ATCC 25644 から自発的な運動性を獲得した変異株(Mot 株)を単離し、その性質とゲノムを詳細に解析しました。
その結果、Mot 株では約35 kb の大規模遺伝子欠失が生じており、その中にべん毛形成を抑制し線毛形成を促進する新規応答制御因子が存在することを明らかにしました。この遺伝子は FpsR(flagellation–piliation switchover regulator) と命名されました。
図.L. ruminisにおけるべん毛・線毛形成状態の切替え
主な研究成果
① ヒト由来株が本来有する“潜在的運動能”を実証
Mot 株はべん毛形成と明確な遊泳運動を示し、酸性条件(pH 3.0)を忌避する負の走性も観察されました。
② ゲノム欠失により“運動性がON・線毛がOFF”に切り替わる
Mot 株の欠失領域には 少なくとも5 つの転写因子が含まれており、そのうちFpsR を Mot 株に戻すと、べん毛形成が完全に抑制され、線毛形成・粘膜付着能が回復しました。
→ FpsR が「べん毛 ⇄ 線毛」の相反する細胞表層構造の切り替えを担うスイッチ遺伝子であることを初めて証明。
③ 運動性獲得は腸内定着能の低下をもたらす
Mot 株はべん毛により強い炎症誘導能(TLR5活性化)を示す一方、線毛の消失により腸粘膜への付着能力と腸管内での定着能を完全に失うことが判明しました。一方、野生株は腸管内で安定に定着し、炎症も惹起しませんでした。
社会的意義・応用可能性
本研究の最大の意義は、「腸内共生乳酸菌がべん毛を“持っているのに使わない”理由」を説明する分子的基盤を提示した点にあります。
線毛形成(付着・共生)とべん毛形成(運動・炎症リスク)は、腸内では両立しない「二つの生理状態」であり、その切り替えをFpsR が制御していることが明らかになりました。これは、腸内細菌が宿主との共生を維持するために、炎症性のべん毛を適切に“サイレンス”する戦略をもつことを示唆する重要な知見です。
また、乳酸菌を利用した腸内投与型バイオセラピューティクスの設計において、「病変部への走化性(べん毛)」「粘膜上での滞在(線毛)」を自在に切り替える制御遺伝子の存在は大きな応用可能性を持ちます。
今後の展望・課題
- ・FpsR が何を感知し、どのようなシグナルでON/OFFされるのか(推定されるヒスチジンキナーゼとの連携)
- ・腸内環境でべん毛が必要となる状況(外部環境・伝播・ストレス時)の解明
- ・ヒト腸内で自然に発生する「運動性獲得変異」の頻度と生態学的意義
- ・FpsR を利用したプロバイオティクス工学(走化性と付着性の制御)
これらは今後の腸内生態学・微生物工学における重要な研究課題です。
論文情報
論文タイトル
The response regulator FpsR controls the flagella–pili transition and mucosal colonization in Ligilactobacillus ruminis
(べん毛–線毛スイッチを制御し粘膜定着を担う応答制御因子 FpsR の同定)
著者
Aya Misaki, Shunya Suzuki, Shintaro Maeno, Akihito Endo, Yasuko Sasaki,
Gen Enomoto, Kenji Yokota & Akinobu Kajikawa
(東京農業大学 農芸化学科/東京農業大学 食品安全健康学科/明治大学/産業技術総合研究所/山口大学)
掲載誌
Gut Microbes(Taylor & Francis)
DOI: 10.1080/19490976.2025.2596807
公開日: 2025年12月4日(オンライン公開)
