東京農業大学

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教員コラム

あずましい和製オーベルジュ ~北の暖暖~

2017年7月1日

名誉教授 美土路 知之

オホーツクの地域資源 Foods Who(17)

 天都山の西側の中腹にあるこのレストランは、その雰囲気から故郷の生家か、昔通った学校の木造校舎のように思う人が多いだろう。オーナーが設えた花にあふれたエントランスを通り、レトロな玄関に足を踏み入れた瞬間から、土間にとめられたオールドバイクや小学校の下駄箱風な靴脱ぎと重厚な一枚板の上がり框など、懐かしい空間にタイムスリップする。客室や浴場から見る網走湖と、その背景に拡がるオホーツクの借景は一大パノラマで、特に大空を赤く染め上げた落日には地の果てまで引きこまれてしまいそうである。
 それらがここのオーナーの狙いとするところなのであろう。贅を尽くしたリゾートホテルでもなく、素朴な農家レストランでもなし、ちょっと不思議な世界である。もちろん宿泊付きとはいえ、営業的にはレストランがメーンで、オホーツクの味を心ゆくまで楽しめるディナーと朝食は、このシリーズで取り上げてきた食材のオンパレードである。
 オーナーは、網走近隣の北見市で橋梁建設を営む長谷川秀雄氏(64)。橋脚建築の特殊技術で日本国内はもとより海外でもビジネスを展開している。この地域の農家出身で、12年前にホテルとレストラン経営に乗り出した。子どもの頃からチョウなどの昆虫が好き、それらが集まる樹木や草花や花を愛で、仕事で赴いた先々で求めた銘木などのコレクションを活用してこの施設を作ってしまった。樹齢150年の古木がエントランスの柱に据えられ、ロビーや食堂、客室、浴場はじめ貴重な無垢材がふんだんに使われている。なかでも、分厚なブビンガの一枚板が贅沢に使われたメーンテーブルは圧巻だ(下中央写真)。館内には薪ストーブの煙臭が軽やかに鼻をくすぐり、木の香と混ざり合う。「北の暖暖」は「北の団らん」でもあるし、実家に帰ってきた安らぎと郷愁に身を委ね、ゆっくりと過ごしていって欲しいとの思いにある。
 むろん、重点はレストランにあるから、食材やレシピにはオホーツクならではのものだけが使われたメニューが供される。オーナーがとくに重視しているのは「水」である。なぜかというと、農産物も海産物もそれらを育くむのは水であるし、下ごしらえ・調理にも水は必須。長谷川氏は北海道内でも3本の指に数えても良いオホーツクの水こそが美味しい料理の基本であると主張されるからである。
 見えるところでの「実家の懐かしさ」と同時に、水を基点とするオホーツクの食ストーリーの優位さがこのレストランの味を醸し出しているといっても過言ではない。来館者にはそうしたコンセプトに共感したリピーターが多く、日本を代表する有名企業の経営者やミュージシャンほかの「お忍びの宿」となっている。
 ややともすると、豪奢な「食」の演出に目を奪われがちな業態が顕著な中、訪れる人びとの個人史や現在の境遇までも受け止めて、不即不離のもてなしをしてくれる。もちろん、供されるフルコースディナーやイクラ丼が食べ放題の朝食も優れているのだが、それ以上に、心から解放される人間的復興とゆとりの「あずましさ」が何よりの魅力訴求なのである。

※あずましい:北海道ことばで、居心地がいい、落ち着くといった意。
※オーベルジュ:フランス発祥の宿泊付きレストラン

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