東京農業大学

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教員コラム

備えあれば患いなし

2019年6月11日

地域環境科学部地域創成科学科 教授 本田尚正

教授 本田 尚正

●専門分野:土木工学、防災科学
●主な研究テーマ:自然災害に対する地域防災機能の評価と強化に関する研究
●主な著書等:海岸工学(共著、コロナ社)他

自然災害から身を守るために

地球温暖化が原因とされる異常気象などにより、大規模な自然災害が多発している。自らの身を守るため、私たちはどんな備えをすればよいだろうか。国の厳しい財政事情からハード主体の対策にも限界があり、防災教育の充実などソフト面での対応の必要性が高まっている。筆者らは2016年熊本地震で被災した阿蘇地域の児童らに独自の防災教育プログラムを実施。地域への愛着を育む環境教育を通じての防災教育が、高い有用性を持つことを確信した。

川はあふれるもの 斜面は崩れるもの

東日本大震災を契機に「想定外を想定する」という言葉が世間に広まって久しい。近年国内で多発する地震、豪雨、高潮は、かつて20代の頃、自治体職員として「絶対の安全」を信じ、ひたすら堤防作りにまい進した筆者にすら「想定外も想定のうち」と自覚させるに至った。近頃では「川はあふれるもの、斜面は崩れるもの」を前提として自然災害から身を守り、患いを取り除くための処方せんとは一体何か、思いを巡らすことがある。

ハードは限界 ソフト充実を

自然災害の研究は古くて新しいテーマである。「エジプトはナイルの賜物」の言葉どおり、ナイル川は古代エジプトに肥沃な大地をもたらしたが、それはナイル川のたび重なる氾濫による大量の土砂移動の結果でもあった。古代エジプト人は洪水(自然)の危険から必死で身の安全と生活を守る一方、その生活を少しでも豊かにするために水と土砂(自然)を懸命に制御し、農業生産力の向上と余剰生産物の確保に尽力したのである。

この構図は現代でも何ら変わりはない。ただし、現代社会では自然界に及ぼす人間活動の負荷がとてつもなく大きくなってしまった。それは地球温暖化に起因するとされる近年の異常気象や気象災害の多発化、大規模化にもつながっている。大都市部には人口と資産が集中し、災害発生1回あたりの被害規模を激甚化させた。一方、地方部では人口減少と過疎化によって耕作放棄地が増加し、地域防災力の担い手が不足し、災害危険度が高まっている。

さらに、国の厳しい財政事情からも今後、想定を超える大規模災害を防災施設の整備、すなわちハード対策主体で行うことにはもはや限界がある。社会資本整備は今後も必要不可欠だが、減災のための早めの避難体制の確立に向けたソフト対策、具体的には予知・予測技術ならびに情報伝達技術の向上、防災知識の一般普及を目的とした防災教育の充実などの必要性が近年急速に高まっている。

壊さず中をのぞく 斜面の構造を推定

まず、がけ崩れや地すべりといった斜面災害の予知・予測技術の一例として、非破壊的な方法による斜面内部構造の推定手法を紹介しよう。

隣り合う斜面に同じ強さの雨や地震力(「誘因」、災害発生の引き金となる外的要因)が作用しても、一方は崩れ、一方は崩れない、という現象はよくみられる(図1)。これは、崩れた斜面には災害発生の「素因」(自然場に内在する災害に対する脆弱性、斜面災害では地形、地質、地下水など)が強く影響したと推察されるが、その真実を知るには崩れた跡を直接見るか、崩れる前に一度壊して見るしかない。しかし、前者は災害予測の観点からは「究極の後出しジャンケン」、後者に至っては「単なる自然破壊」である。

何とかして斜面を壊さずに中をのぞくことはできないか。筆者はこの十数年、簡易貫入試験による斜面内部構造の推定精度の向上に取り組んでいる(図2)。この試験は、コーン状の鋭利な先端をもった鉄の棒の上に「5㌔の錘を50㌢の高さから規則正しく落下させて」先端コーンを地中に貫入させる極めて単純な現地試験である。土層が硬いと、先端コーン貫通のためには錘を何回も落とさなければならない。一方、土層が軟らかいと、たった1回の落下で貫通してしまうこともある。

この試験で正確にわかることは「土層の硬軟とその層厚」の二つだけだが、軟らかい土層の周辺には土砂移動を誘起する「水の存在」が想定される。また、土層の硬軟の境界は「すべり面」と呼ばれる弱線に該当する場合が多い。それらはいずれも、斜面災害の危険性を予測するために最も重要な情報の一つである。

簡易貫入試験の結果に他の非破壊調査、例えば「地温(低温→水が集まっているかも)」、「地下流水音(音が大きい→水が多いかも)」、「樹木の活性度(水の存在が関係しているかも)」などのデータを重ね合わせると、同一斜面内で土砂崩れに対して「強い個所」と「弱い個所」の相対的な位置関係が浮き上がってくる。それらに「いつ、どこが崩れるか」までの予知・予測精度は期待できないが、斜面を壊すことなく「どこが弱いか」が明らかになることは、斜面防災対策を立案する上でたいへん重要である。

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図1 隣接斜面の崩壊・非崩壊(模式図)

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図2 簡易貫入試験の様子

環境教育から防災教育へ

次に、防災教育の新たな展開の一例として「伝統的農地管理や伝承を教育素材に取り入れた防災教育プログラム」の実施例を紹介しよう。

筆者が所属する東京農業大学地域環境科学部地域創成科学科では、筆者が研究代表者を務める「伝統的農地管理による生物多様性ならびに国土保全の評価と持続的地域防災マネジメントの構築」が東京農大の大学戦略研究プロジェクトに採択され、2016年度から3年度にわたり研究に取り組んだ。その中で町田怜子准教授が中心となり、2016年熊本地震で被災した阿蘇地域の児童を対象に実施した防災教育プログラムは、次の諸点で特色のある取り組みとなった。

(1)最初から災害に直接向き合うプログラムではなかった
地震直後の児童たちの「心の動揺」に配慮すると、「非常時対応一辺倒」での展開ははばかられた。何よりも大人たちには「どう対応したらよいのか」前例や経験が皆無だった。

(2)自分たちが暮らす地域への関心や愛着を育む「環境教育」からスタートさせた町田准教授が阿蘇の草原教育に長らく取り組んでいたこともあり、まず、地域の自然や伝統的農地管理に関する学びを通じて、児童たちに地域への関心や愛着を高めさせた。

(3)環境教育から防災教育へとプログラムを移行した
環境教育は災害伝承の聞き取り活動などを通じて防災教育へと移行し、最終的には地域の地形や自然特性、土砂災害等の災害要因を学んだ上で、ハザードマップを活用した災害時の行動計画を自ら立案するところまで展開できた。

「環境教育の一環としての防災教育」は筆者が常々持論としてきたところである。筆者はこのプログラムで「物差しとお菓子を使ったがけ崩れと地すべりの比較実験」を担当した(図3)。「物差し=斜面」、お菓子は「羊羹=粘土」、「粟おこし=花こう岩」、「金平糖=砂れき」をそれぞれ模したものである。参加者からは望外の好評を得たが、災害実験の実現に至るまで、地震発生から実に2年5か月もの歳月を要した。

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図3 土砂災害の説明実験の様子

科学の知識を生きるための知恵に

自然災害の脅威に対する心の憂いを完全に払拭することは難しいが、災害発生の患部(患い)を特定し、そこから身を守るために必要な知恵は極めて科学的かつ日常的なものといえる。その一方、平穏無事な日々を過ごす中にあって常にそれらを考え続け、備え続けることにはかなりの根気を要する。そこに、科学技術の知識を生きるための知恵に変えて啓発し続ける、防災・減災対策を生業とする者の使命がある。

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