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教員コラム

東京農大「先端研究プロジェクト」報告(中)コケ植物の乾燥耐性機構を究明

2010年9月1日

東京農大「先端研究プロジェクト」報告(中)応用生物科学部バイオサイエンス学科 教授 坂田 洋一

身を守るための進化と仕組み

移動できない植物にとって乾燥は最大の敵であり、農業においても乾燥に強い作物の作出が望まれている。私達の研究グループは一見、農業とは無関係に見えるコケ植物がもつ強力な乾燥耐性の研究を通じて、植物の乾燥耐性機構がどのように「進化」してきたかを明らかにすることに成功した。また、この研究から作物の乾燥耐性を向上させるための大きなヒントも得ることが出来た。なぜコケ植物なのか?我々のユニークな研究を紹介しよう 。

 

陸上植物がもつ乾燥耐性機構

大地に根を張り移動できない植物にとって乾燥は大きな脅威である。被子植物(いわゆる花を咲かせる植物)は乾燥を感じると、気孔という葉の表面にある穴(光合成に必要な二酸化炭素を取り込むために開いている)を閉じて、水分の蒸散を防ぐことで乾燥から身を守ろうとする。しかしながら、この防御機構を上回る水分不足が続くと、植物の細胞から水分が逃げて脱水状態になる。一度細胞が脱水すると、その後に水分を供給しても生命活動が再開することはなく枯死してしまう。つまり、乾燥からは「保水機構」で身を守るのであって、「脱水耐性」は持っていないのである。

一方、種子はその成熟過程で水分の約9割を放出した上で休眠状態に入る。こうして、成長するのに不都合な環境をやり過ごし、環境が整えば再吸水して成長を始める。つまり、種子の乾燥耐性は「脱水耐性」である。じつは、このような脱水耐性は「種子を持たない」コケ植物では一般に見られる性質である。コケ植物は大気中の湿度と常に平衡状態にあり、時には細胞が極度の脱水状態になるが、細胞は死滅することはなく、再吸水後に再び生長できる。

 

陸上植物の進化

ここで、陸上植物の進化についておさらいしたい。現存する陸上植物は、元を辿っていくと4億8千万年前に初めて海から陸上に進出した共通の祖先植物に行き着く。この植物から、様々な植物が種分化と絶滅を繰り返して、現代に至っている。

系統樹を見ると、この祖先陸上植物からコケ植物が最初に分岐している。このような植物を進化学の言葉では基部陸上植物という。進化学の観点から言うと、このコケ植物と被子植物が共通の形質を有すると言うことは、その形質はすでに2つの種が分化する以前の共通の祖先植物が有していた形質であると推論できる。逆に、維管束や、種子、花はこれら種が分岐してから獲得した新しい形質といえる。このように、コケ植物は祖先陸上植物のもっていた形質を理解するために非常に有用な植物なのである。

 

モデル植物「ヒメツリガネゴケ」

植物の遺伝子研究は盛んであるが、じつは、遺伝子レベルの解析が可能な植物はそれほど多くない。遺伝子レベルの解析には、研究室内で栽培できるサイズで、生活環を追うための培養系が確立され、遺伝子を取り出したり(遺伝子クローニング)、逆に人工的に導入したり(形質転換)出来る性質を植物が有していなければならない。このような性質を兼ね備えた植物をモデル植物という。その代表例は陸上植物で初めて全ゲノム配列が2000年に解読されたシロイヌナズナである。つまり、被子植物はシロイヌナズナをモデルとして研究することが可能である。

これに対して、コケ植物は上記の性質を兼ね備えたモデル植物がなかなか見つからず、ほとんど遺伝子レベルの研究がなされてこなかった。しかし最近になって、蘚類ヒメツリガネゴケが上記の性質を有していることが明らかにされ、さらには、シロイヌナズナでもほとんど成功例のない相同組換えを用いた遺伝子ターゲティング(特定の遺伝子を欠失させたり改変したりする技術)が高効率に行えることが明らかとなった。2008年には全ゲノム配列が解読され、シロイヌナズナと"同レベル以上"の研究が可能なモデル植物として急速に利用が進み、植物の進化に関する初めての知見が多く得られている。

 

種子の脱水耐性機構

話を種子の脱水耐性に戻そう。種子は胚の形態形成期(成熟初期)を過ぎると、発芽の際の栄養分となる貯蔵物質を蓄積した(成熟中期)後に、乾燥耐性と休眠能を獲得する時期(成熟後期)を経て、完熟する。このうち、中期・後期のステージでは植物ホルモンであるアブシジン酸(ABA)が重要な働きをしている。ABAを作ることの出来ないトウモロコシの変異株では種子は成熟ステージの中期・後期に入ることなく、親植物体の穂から発芽を始めてしまい、そのまま枯死してしまう。ABAは種子が乾燥耐性と休眠性を獲得するために必須のホルモンなのである。このABA作用の分子機構はシロイヌナズナで精力的な解析が進められ、ABI3という転写因子がABAの作用に必須であることが明らかとなった。しかしながら、ABAとABI3が脱水耐性を種子に与える分子機構の詳細は、文字通り「厚い種皮」に阻まれて、未だ不明な点が多く残されている。

 

ヒメツリガネゴケの脱水耐性機構

ABI3は被子植物の種子でのみ発現することが知られており、種子特異的な機能を持つ植物固有の転写因子であると長らく信じられてきた。しかしながら、筆者は種子を持たないモデル植物ヒメツリガネゴケにもABI3が存在することを初めて示し、ABI3は植物が陸上化を果たした時には既に存在していたことを明らかにした。

ABI3は種子をもたない植物でどのような機能を持つのであろうか?ヒメツリガネゴケはゆっくりとした脱水ストレスには強い耐性をもつが、急速な脱水(ろ紙の上に置いて一晩風に曝し乾燥させる)には耐えることが出来ず死滅してしまう。おそらく、急速すぎてABAの合成が間に合わないためと思われた。そこで乾燥前にABAを与えておくと、この急速な乾燥にも耐えることが明らかとなった。つまり、種子と同様に、ABAはヒメツリガネゴケの脱水耐性も誘導することが出来るのである。では、ABI3はこのプロセスにもやはり関わっているのであろうか。これに答えるためには、「ABI3を持たない」ヒメツリガネゴケが脱水耐性をもつのかを調べればよい。筆者はワシントン大学のグループと共同で、ABI3遺伝子を遺伝子ターゲティングにより削除したヒメツリガネゴケを作出した(実際には、ヒメツリガネゴケは3つのABI3遺伝子をもっていたので、一つ壊した植物体を作って、それから二つ目を壊して、ということを地道に繰り返してようやく成功した)。このABI3破壊株はどれだけABAを与えても、乾燥後に再成長することはなく、脱水耐性を失っていた。
以上の結果は、種子とコケ植物の脱水耐性機構は同じ仕組みで制御されていることを示している。さらに「進化」の観点から考えると、ABAとABI3により制御される脱水耐性機構は陸上化に成功した祖先陸上植物が脱水から身を守るために獲得した仕組みであり、その後の進化の過程でコケ植物と植物種子にそれぞれ独立して用いられるようになったことを示唆している。これは、ABAとABI3が種子の乾燥耐性のみに働くという今までの常識を覆す結果として本年度のScience誌に掲載された。

 

乾燥耐性作物の作出に向けて

この研究を通じて、もう一つ明らかになったことがある。ABI3破壊株と通常のヒメツリガネゴケのABA応答性遺伝子の転写産物(mRNA)の蓄積量を比較したところ、ABA処理中とそれに続く乾燥過程では大きな変化が見られないにもかかわらず、これらのmRNAはABI3破壊株では再吸水と同時に分解が始まることが明らかとなった。このことは、「脱水」過程ではなく、脱水後に「再び吸水する」過程でこれらのmRNAを保護することが植物細胞の乾燥耐性には重要であり、その鍵を握るのがABI3であることを示している。現在、どのような仕組みでABI3がこれらの転写産物を維持させているのかを解析中である。この機構を解明できれば、植物のもつ潜在的な乾燥耐性機構を応用した乾燥耐性作物を作出することも可能であろう。

 

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