東京農業大学

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教員コラム

北海道のビート栽培技術の海外移転

2010年10月15日

生物産業学部産業経営学科 准教授 笹木 潤

「紙筒移植」のウクライナ導入で共同研究

東京農業大学生物産業学部(オホーツクキャンパス)のある北海道網走市周辺では、日本でも有数の大規模畑作地帯が形成されている。農家一戸あたり30ha(野球のグラウンドは約1ha)の農地で、麦、ジャガイモ、ビートを主要作物として生産している。ビートは、紙の筒を使ってビニールハウスの中で苗を育ててから畑に移植する「紙筒(ペーパーポット)移植栽培」が主流である。北海道独自、つまり日本独自のこの技術をウクライナのビート栽培に導入することが可能かについて、本学部のスタッフと東京農業大学の姉妹校であるウクライナ国立農業大学(現在はNational University of Life and Environmental Sciences of Ukraineに名称変更、以下NULES)のスタッフとで共同プロジェクト研究を進めている。

 

国内砂糖生産量の80%はビートから

ビートは、てん菜(甜菜)とか砂糖大根と呼ばれている。根の形が「カブ」に良く似ており呼び名から「ダイコン」と同じ仲間と想像してしまうが、実はホウレンソウと同じアカザ科の植物である(葉がホウレンソウに似ている)。ビートは、根の部分に糖分が含まれているため、沖縄や九州で栽培されているサトウキビと並んで砂糖の原料として知られている。一般の家庭でも使われるコーヒーや紅茶に入れるグラニュー糖の原料といえば馴染み深く感じていただけるだろうか。

現在、ビートは北海道だけで作られているといって過言ではない。特に網走地域や十勝地域といった畑作地帯では、ビートは重要な作物の一つである。それは連作障害による収穫量の減少を防ぐため、同じ畑に毎年同じ作物を続けて栽培せず、異なる種類の作物を一定の順番で繰り返し栽培する輪作体系をとっているからである。網走地域では、ジャガイモ、麦、ビートの順番で栽培されるのが一般的である(十勝地域はこれに小豆が加わる)。このように、ビートは農家所得を確保するためだけでなく持続的に畑作生産を行うために必要不可欠な作物として栽培されている。

 

道内で移植栽培は90%に普及

北海道でビート栽培が始まったのは、1871(明治4)年といわれている。その後2回の世界大戦の影響もありビート栽培は時代の変化の中で消長を重ねてきた。現在ビートの作付面積は、1958(昭和33)年の約2倍の6万4千haとなっている。このように作付面積が拡大してきた背景には生産技術の進歩がある。なかでも、「紙筒(ペーパーポット)移植栽培(以下、移植栽培)」の技術開発と普及によって、それまでの直播(畑に種子を直接播種する栽培方法)に比べ栽培の安定化と単位面積当たりの収穫量の増加が大きな要因と考えられる。

移植栽培は、3月中旬に育苗用の土を入れた紙筒にビートの種子を播種し、ビニールハウス内で育苗、4月下旬から5月上旬に畑に移植するという栽培方法である。紙筒を使ってビート苗を育苗するという栽培技術は北海道で開発された日本独自の技術である。

移植栽培は、1961(昭和36)年以降急速に普及が進み、1968(昭和43)年には栽培面積の50%、現在は90%に達している。技術普及の拡大とともに、当時1ha当たり24tだった収量は、その10年後は40t、さらにその10年後には50tに到達、近年では60tまで増加した。

 

ウクライナのビート生産事情

世界的にビート生産を見ると、 2007(平成19)年の生産量で、日本は第16位である。一方、ウクライナは第5位と日本の4倍の生産量である。しかし、ウクライナのビート生産量はここ数年で大きく減少、現在の生産量は10年前の半分以下という状況である。このような状況に至った理由の一つは、国際市場における砂糖価格の低迷といわれている。

また、ウクライナにおける1ha当たりの収量は、2009(平成21)年度で31.3tである。同じ年、北海道では56.63tである。直播栽培は、移植栽培よりも単位面積当たりの収量が10〜20%ほど低くなるといわれているが、ウクライナの単位面積当たりの収量は日本に比べると明らかに低い状況にある。

このようなことから、ウクライナのビート生産では、単位面積当たりの収量を増加させ安定的な砂糖生産を行うことが課題となっているとのことである。

 

共同プロジェクト研究の概要

現在、NULESとの共同研究は、生物産業学部併設の生物資源開発研究所のプロジェクト研究「中央ユーラシア地域における畑作生産向上に関する実践的研究」の一環で実施されている。

この共同研究のスタートは、数年前にNULESの学長がオホーツクキャンパスの卒業式に出席するため網走を訪問した際、学部附属の網走寒冷地農場でビート苗の育苗ハウスを見学されたことがきっかけである。このとき、北海道網走で展開されていた紙筒移植栽培の存在を知り、母国ウクライナにこの栽培技術が導入できないだろうかと興味を持ったそうである。それから少し年月が経ち2008(平成20)年11月、オホーツクキャンパスの吉田穂積教授がNULESの創立110年記念
式典に参加、北海道のビート栽培技術について講演されたことがきっかけとなり、紙筒移植栽培技術のウクライナのビート栽培への導入可能性に関する共同プロジェクトが本格的に始まることとなった。

このような経緯ではじめられた共同プロジェクトは、NULESの作物学研究所長でもあるSvitlana Kalenska教授をリーダーに、2009(平成21)年度から移植栽培技術によるビートの栽培実験が始まっている。

 

キエフで研究会を公開

この栽培実験の結果報告と今後の研究展開について議論するために、2010(平成22)年度3月21日〜27日の日程で、生物産業学部のスタッフ4名(生産技術面担 当として吉田穂積教授、笠島真也助教、経済経営面担当として、野村比加留講師と私)が、ウクライナの首都キエフにあるNULESを訪問した。

今年のキエフは、訪問する少し前には大雪が降るほど3月下旬としては例年より寒いとのことだった。街中に雪は残っていなかったものの、川は一部凍っていたり、まだ水に浸っている畑があるなど、春の訪れが遅い様子が伺えた。農作業についても1〜2週間作業が遅れているとのことで、このような年は、直播よりも移植の方が、苗の生育がしっかりしているため、移植後の生育面や最終的な収量面で大きなアドバンテージがあるのではないかという話もあった。

訪問期間中に行われた、学内関係者や学生にも公開された研究会では、初年度の実験では栽培面積は小さいものの、北海道と同水準の反収成績であったことが報告され、今後は栽培面積を拡大して実験を行いたいとの予定が示された。なお、この研究会では私も報告する機会が与えられたため、以前行った農家調査の結果を用いて、北海道における移植栽培と直播栽培の農業経営面への影響について報告した。報告後は多くの質問を受け、予定された時間を過ぎてしまうほどであった。移植栽培が経営的に成立している日本の状況について大いに興味を持っていただいたようだ。

今回は研究打ち合わせの他にもビート生産に係わる施設見学もおこないつつ今後の研究について打ち合わせも行ったが、今後の本格的なプロジェクトの展開にNULESの関係者が大きな期待を寄せていることを肌で感じた訪問であった。

 

技術、経営の課題克服を

北海道のビート移植栽培技術を海外に移転しようとする取り組みは過去にも行われている。結果はすべて「導入は難しい」だ。

諸外国でビートの移植栽培技術の導入が成功しなかった理由は、様々あったと思われる。現時点ですべての事例を詳しく知っているわけではないが、どのケースにも共通して当てはまる要因は、ビート苗を育苗するためのコストと考えられる。コストといっても紙筒やそれに入れる土壌代、種子代だけではない。育苗するための場所(ビニールハウスなど)の施設費、そして苗を管理する労働力などもコストに関係する。また海外の場合、日本とは比べられないほど耕地面積は広大であり、もし全耕地面積分の苗を必要とするなら、大量の苗を育苗する必要がある。

現在、共同研究の当面の目標は、ウクライナでビートを移植技術で栽培することができるか、単位面積当たりの収量はどの程度まで増加させることができるかなど生産技術面での実績を積み上げていくことである。そして、その次の段階の目標は、農業経営面から見て移植技術の導入にメリットがあるかを検討することである。昨年度の栽培試験の結果を見る限り、次の段階に入るのにそう多くの時間はかからないと思われる。

このプロジェクトの中で、私の役割は、北海道における移植栽培に関する経営経済データを踏まえ、ウクライナの農家が移植栽培技術によりビート栽培をしたとき、経営的にはどのような状況になるのか、移植と直播の栽培比率をどの程度にすると安定的に経営しつつ現在の所得を上回るのかなどの研究分析を進めることだろう。近い将来、経営的にも成立するウクライナ型の技術導入パターンを提示することができればと考えている。

 

 

 

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