東京農業大学

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教員コラム

「里守り犬(さともりいぬ)」の有効性を検証

2010年4月1日

農学部バイオセラピー学科 教授増田 宏司

命令に従い、黙々と動く日本犬

野生のサル、イノシシなどは食物に困窮すると、山の麓の田畑に降りてきて農作物を食い荒らし、甚大な被害をもたらしている。そんな深刻な状況に対応して、ひとすじの光明として期待されているのが農水省の「里守り犬育成事業(鳥獣害防止総合対策事業)」だ。里守り犬とは、害獣のうち特にサルを追い、被害を最小にとどめることを期待されている犬達のことを言う。筆者は同事業の認定基準検討委員を務めて約3年になる。これまでの成果の一部を紹介したい。

 

主に甲斐犬を訓練

認定基準検討委員として求められていることは、「里守り犬認定基準設定に科学的な裏付けをすること」と、「里守り犬の有効性を立証すること」だ。 特別な訓練を受けてめでたく認定を受けた犬のみが里守り犬として活躍できるわけだが、特定の犬種しか里守り犬としての訓練を受けることが出来ないかというと、そうではない。訓練の場が山梨県ということもあって、ほとんどの里守り犬候補生が甲斐犬(日本犬)ではあるものの、中にはミックス犬や洋犬も訓練に参加し、うれしげに訓練課題をこなしている。
この里守り犬事業の面白いところは、里守り犬の飼い主は地域農家の人であり、その人たち自身が実際に自分の愛犬をインストラクターの指導の下で訓練し、犬と共にサル追いをするところにある。すなわち私たち認定委員会は、犬も飼い主も両方を訓練・教育し、認定しなくてはならないのである。

 

縄張り防衛性が高い日本犬

現在、犬の研究は世界中で盛んに行われているが、特に犬の行動特性に関する研究は1980年代頃から盛んに行われるようになった。特に注目すべきは1980年代半ばにアメリカで行われた調査であり、犬の専門家がポピュラーな56犬種について13種の行動特性評価を行っている。この調査において、例えば秋田犬は縄張り防衛性が最高ランク(10デシル)であり、番犬としては最適と判断される。しかし、今も昔も、家庭犬には人なつっこさが求められるから、その点でのイメージはどうだろうか。
日本での調査に目を転じてみても結果はまた同様で、多くの日本犬種は攻撃性、反抗性などの特性が洋犬に比べて非常に高く、反対に人なつっこさ、服従性は非常に低いと酷評されている。また実際に犬の行動評価試験を行ってみても、日本犬種の成績は洋犬に比べて著しく低い、という話を多くの関係者から聞いている。

 

飼い主との相互関係を解析

里守り犬に話を戻す。里守り犬の育成はいくつかの段階に分けて行われる。ただの鳥獣害対策として犬を用いるならば、基本的には何ら訓練を加えなくとも彼らは勝手にサルを追うだろう。ただし、老人や子供も追ってしまうだろう。そうならないために、里守り犬にはまず初級の段階で一般的な家庭犬のしつけを施す。そして次の段階である中級以降に進級するに従い、より専門的な訓練課題に対峙することになる。例えばサルの匂いの付いた布などを農地に隠し、犬と飼い主がそれを一緒に探すなどの課題が用意されている。
実はこの時点で大きな難問が立ちはだかる。里守り犬の認定基準に科学的な裏付けをする際にまず私が考えたことは「初級と中級の犬の課題成功率を比較する」ことだった。しかし前述の通り、級が変われば訓練内容も変わるのである。単純な比較ができないのだ。ましてやインストラクターはそんな結果を求めてはいないだろう。課題がクリアできたと判断した上で犬達を進級させているのだから、より上級の犬達のほうが好成績を収めることは分かりきっている。そこで、里守り犬事業の特徴の一つでもある、「飼い主と犬が一緒になって」の部分に注目し、訓練中に見られる飼い主と犬の行動(相互関係)を解析項目として研究を進めることにした。

 

犬が飼い主を見る時間

行動解析を行う際の鉄則は「複数の行動解析経験者が、研究背景を知らされずに解析を行う」ことだ。事前に訓練風景の撮影と里守り犬会議への出席を経験している私と学生3名は行動解析に参加せず、その代わりに実習で行動解析を経験した複数の学生に行動解析をしてもらうことにした。撮影法などの詳細は割愛するが、注目した解析項目は「1.飼い主が犬の方向を向いている」、「2.犬が飼い主の方向を向いている」、「3.飼い主が犬に報酬を与える」、「4.犬が飼い主の正面に座る」、「5.犬が地面の匂いを嗅ぐ」、「6.犬がリードを引っ張る」の6項目で、訓練中(ON)と訓練以外の時間帯(OFF;順番待ちの時間など)について、1〜6の行動の時間と回数をカウントした。

 

いつでも命令に従う準備

解析した6項目のうち、特に驚いたのは項目1と2だ。図1を見ていただきたい。飼い主が犬を、犬が飼い主を見る時間をONとOFFで比較したものだが、級が初級から中級へ進級すると、犬が飼い主を見る時間のみONとOFFで差がなくなってしまう。他の項目(割愛する)と併せつつ、このデータを解釈すると「全般的に視線を送る頻度は下がるものの、飼い主は級が上がってもONとOFFの区別をつけ、集中力に変化をもたせているが、犬は級が上がると、視線を送る頻度に差がなくなり、定常の状態あるいは緊張し過ぎない状態を(訓練中であろうがなかろうが)保っていられる状態になる」となるだろう。
決して犬が手を抜いているわけではない。もしそうであればインストラクターが気付き、その犬を進級させないだろう。また、図2を見ていただきたい。OFFの時間帯の犬と飼い主の写真だが、行動学的に見てこの犬は完全にリラックスしている状態ではない。少し擬人化しすぎかもしれないが、前後関係から見ても「落ち着いて飼い主の命令に従う準備ができている状態」と解釈される。
ここからは私の予想だが、日本犬の「リラックス」は洋犬のそれとは異なったディスプレイで示される可能性が高い。屋外で主人の家を守ってきた彼らにとって、洋犬の見せるような「完全に四肢を投げ出した状態」での休息はありえないだろうし、だからといって彼らが、いつまでも気が抜けないわけでもないはずだ。これがもし洋犬であれば(犬種にもよるだろうが)、飼い主に頻繁に視線を送りながら命令を待つだろう。実際にこの後、飼い主が合図を送ると、この日本犬は何事もなかったように立ち上がり、見事に訓練課題をこなしてみせた。

 

修行僧のような日本犬

前述の種々調査から、日本犬は(少々雑な表現だが)頭が悪いと解釈されがちだが、私はそうは思わない。すなわち、日本犬特有のディスプレイを人間が理解できていないだけであって、それを「飼い主に集中しない無愛想者=頭が悪い」と解釈するのはあまりにも勝手過ぎる。彼らは私たち人間よりもよっぽど鋭敏な感覚をもって、ときに洋犬よりも落ち着いた状態から即座に行動を起こし、何よりも大切なご主人の命令に黙々と「従って」いるだけなのだろう。自分で考え、黙々と、迅速に行動する。そんな日本犬の行動を見て、まるで修行僧のようだなと理解しえたとき、それは感動の瞬間でもある。
(この一文を、現在必死に難病と闘っておられる、敬愛する師匠に捧げる)

 

図1:他のデータと併せて総合的に評価するとはいえ、このグラフは日本犬の順応力の高さを最もよく物語っている。〔初級;n=4、中級;n=7、*p<0.05(マンホイットニーのU検定)〕

図2:中級の里守り犬候補生の訓練中の様子。この風景を見て、はたしてどれくらいの人が「この犬は落ち着いている」と判断できるのだろうか? 評価の決め手は日本犬特有の巻き尾、耳の向き、被毛の状態である。

 

 

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