東京農業大学

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教員コラム

流氷が育む知床の豊かな海〜動物の生態を通して海を考える〜

2009年7月17日

生物産業学部アクアバイオ学科 教授 小林 万里

北海道の東北端に位置する知床半島とその周辺の海は、2005年7月、世界自然遺産に登録されました。ここには希少生物を含むさまざまな生き物たちが生息しています。そこで、東京農業大学生物産業学部アクアバイオ学科の小林万里講師が、多くの生き物の命を育む知床の豊かな海について語ってくれます。

 

豊かな海をつくる「アイスアルジー」

アイヌ語で「地の果て(シリエトク)」を意味する知床。その周辺の海は、オホーツク海で作られた流氷が接岸する、世界で最南端の場所です。流氷は毎年1月頃にやってきて5月初旬には姿を消しますが、実はこの流氷が、多種多様な生き物が集まる知床の豊かな海を作っているのです。
その大元となっているのは、流氷の中に閉じ込められた「アイスアルジー」と呼ばれる植物プランクトン。春になって流氷が溶け始めると、これが氷の下で大増殖します。すると、アイスアルジーをエサにする動物プランクトンが大量に発生。これを食べるために魚たちが次々と集まってきます。
その魚を求めてやってくるのが、アザラシやトドなどの海生哺乳類や海鳥たち。そして、彼らを追ってさらなる大物・シャチがあらわれます。このように知床の海には、植物プランクトンを底辺に、シャチを頂点にしたピラミッド型の食物連鎖が形成されているのです。その底辺が広ければ広いほど、多くの生物の命を支えられるというわけです。
また、流氷の上はアザラシの出産や子育ての場としても利用されています。氷上でのんびり寝そべるアザラシのユーモラスな姿を、テレビなどで見たことがある人もいるでしょう。
そして、流氷が消えた後の海にはミンククジラやイルカなどが回遊してきます。知床の海では季節ごとに違う生態系が生まれ、それらが複雑に絡み合っているのです。
豊かな海はまた、海の生き物だけでなく陸の生き物の命も育んでいます。サケやマスは川で生まれ、海で育ち、やがて産卵のため再び川に戻ってくることを知っていますか?産卵後、川で命を終えた彼らの死体は、熊やキツネ、オジロワシのような猛禽類のエサとなります。そして糞として陸上に排出されると、その養分が土壌を豊かにし、植物に吸収されていく。海と陸とをつなぐこうした生態系がつよいことも、知床の特徴といえるでしょう。

 

アザラシを通して海の状態を知る

知床の海にいる生物の中には、まだその生態が明らかになっていないものが多くいます。その一つがアザラシ。アザラシは、前述した食物連鎖のピラミッドでシャチにつぐ上位に立っています。ということは、彼らが何を食べ、どんな栄養状態にあるかを調べれば、エサである海洋資源が豊富かどうかがわかりますよね。
また、彼らに異変が起きた場合は、その原因を探って海の中で何が起きているかを知ることもできるでしょう。つまり、アザラシの生態や行動を調べることによって、「海の状態」が把握できるのです。
そこで、まずはアザラシの観測からスタート。どのような個体がどれくらいいるかを把握するため、陸上からだけでなくヘリコプターや船からも観測を行っていきます。また、死体からサンプルを採取し、年齢や食べているもの、どこから来たのかなどを調査することも。このほか、アザラシに発信装置をつけ、その行動を追跡する調査なども少しずつ始まっています。

 

海の生き物と漁業との共存を

かつてアザラシは人間に捕獲され、その肉や脂は食料や石鹸などに利用されていました。しかしそれらの代替品が出てくるとともに捕獲量は減り、近年アザラシは増加傾向にあります。ところが、数が増えるにつれて困った問題が起きてきました。アザラシが漁業の網にかかった魚を大量に食べてしまったり、網を破ったりする漁業被害が出てきたのです。
おそらくアザラシは何かのきっかけで、網のところに行けば簡単にエサにありつけることを学習したのでしょう。彼らもラクをして生きたいのかもしれませんね。しかし、労せずにエサを手に入れようとするアザラシに対しては、やはり「おしおき」が必要ではないでしょうか。被害の大きい地域では、アザラシを駆除しているところもあります。
とはいえ、単に数を減らせばよいわけではありません。「学習したアザラシ」を減らさなければならないのです。網にかかった魚を食べる学習をしたアザラシに、「それをやめさせるための学習」をさせるにはどうすればいいのか。今は人間とアザラシのいたちごっこが続いていますが、こうした漁業とのあつれきを解消するうえでも、アザラシの生態や行動の解明は大いに役立つでしょう。
昨年7月、知床半島とその周辺海域はユネスコの世界自然遺産に登録されました。しかし、知床の海はもともと自然保護区だったわけではありません。人が住み、昔から漁業を営んできた場所なのです。海の生き物を守るのと同時に、海の生き物によって暮らしを立てる人たちの生活も守らねばなりません。両者がこの先もうまく共存していけるよう、さまざまな調査を行いながら方策を考えていくことも、農学のおもしろさです。

 

 

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