文芸部
活動内容
作品に対する率直な感想まで様々な点を評価基準としています。
日々文章を書いている方には、こうした評価が貰える場に出会う機会はとても貴重でしょう。
また、今までに文章をあまり書く機会が無かった方もここで評価を受けるという事を体験するのは、素晴らしい経験になると思います。
収穫祭では、毎年テーマを決めてパネル展示を行います。内容は主に本に関係することで、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の紹介や、直木賞受賞・ノミネート作品の紹介として、パネルに纏めるなど様々です。
日々本を読む機会があまり無い方も、よく本を読むという方も是非一度、農友会文芸部を覗いてください。
部の歴史
草創期
文芸部は、明治28年4月に発行された「農友会報」(明治38年に『農友会雑誌』、明治44年に『農友』と改称)に由来しており、明治37年10月25日の農友会臨時大会で会則の大改正が行なわれた際に、農友会4部の1つとして設置されました。
大正3年3月、それまで「農友」の編集を主な事業としてきた文芸部に、弁論部から図書部の事業が移管されています。
大正7年12月6日に大学令が公布され、本学でも大学昇格問題に関連した図書館建設の議がおこったので、文芸部はその運動を支持して本学図書館の設立に貢献しました。
大正13年4月1日、農友会に編纂部(昭和8年まで存続)が加入したことにより、それまで行なってきた「農友」の編集事業を編纂部に移管しました。
大正14年には「農友」の誌面から文芸欄を分離して独立の文芸誌「土」(現在も存続)を創刊しました。また、本学学歌作成にも寄与しました。
昭和11年以降、再び「農友」の編集事務を担当しました。
太平洋戦争と終戦直後の混乱の中で部の活動も沈潜せざるをえませんでしたが、社会や大学が徐々に立ち直る中で「土」を復刊させ、学内の教養向上に貢献しました。
昭和30年代以降~現在
これまでは、大学の発展・形成に係わる役割を果たしてきた側面もありましたが、この時代以降は、農友会の一部として大学全体の教養と学生一人一人の文芸的意識を高揚させる場へとなっていきました。
昭和30年代は年1回の「土」発行を軸とし、学内の一般学生にも呼びかけて年数回の「読書会」を開催し、文学に対する意識の高揚に務めました。また、実践女子大学や他大学との交流も盛んに行なわれ、文芸サロン的な役割も果たしました。
昭和40年代はいわゆる安保闘争・学生闘争の影響を受けた時代です。部の活動を「農民文学研究会」「現代詩研究会」「童話研究会」「実存主義文学研究会」に分けた上で、それぞれの活動を「土」に集約するとともに、各研究会誌を発行しました。
昭和50年代以降は文学や文芸そのもののあり方が問われる時代であり、自ら部の存在意義を議論せざるを得ない場面があります。しかし、総合文芸誌「土」(1~2年1回)の発行を目標としながら、各種文芸部誌作成の活動を中心に、自由ではあるが、社会や大学、部員どうしのかかわりの中での自己研鑽が行なわれています。文芸部の活動を概括すれば、「集団」と「個」のかかわりに要約できるのではないでしょうか。
活動場所
常磐松会館本館4F
活動日
不定期
部費
年5,000円
部員数
男9名、女9名
指導体制
部長 熊澤 恵里子
主将 細羽 亮平