東京農業大学

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学生の特権 〜 真の学問の「器量」〜

順天堂大学 名誉教授
新渡戸稲造記念センター 長
樋野興夫

 コロナショックの蔓延化の日々である。「良書を読み、有益な話を聞き、心の蔵を豊かにする」(新渡戸稲造)。これは、学生の特権であろう! また、これが、真の学問の「器量」ではなかろうか!

 「器量」といえば、「挑太郎」を思い出す。 鬼ケ島遠征の物語は、子供時代、村のお寺の紙芝居でよく聞かされたものである。 桃太郎が犬・雉・猿という性質の違った(世にいう犬猿の仲)伴をまとめあげたことを挙げ、世に処する人は「性質の異なった者を 容れるだけの雅量」を もたなければならないと 新渡戸稲造は『世渡りの道』(1912年)で述べている。 これは、「競争の名の下に、実は 個人感情で 排斥をする自称リーダーヘの 警鐘」でもある。

 「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。 嘆くのに時があり、踊るのに時がある」の厳しい現実である。 今は、まさに「泣く時、嘆く時」であろう。 87年前の1933年3月3日に 三陸で地震の大災害があったと記されている。 その時、 新渡戸稲造(1862-1933)は 被災地 宮古市等沿岸部を 視察したとのことである。 その惨状を 目の当たりにした 新渡戸稲造は「Union is Power」(協調・協力こそが力なり)と 当時の青年に語ったと言われている。 まさに、今にも生きる言葉である。 時代の波は 寄せては返すが「人の心と 歴史を見抜く 人格の力出でよ!」。 新渡戸稲造は、台湾総督府に招聘されて 台湾に渡り、農業の専門家として サトウキビの普及、改良、糖業確立へと導く。 また、東大教授と第一高等学校校長の兼任、東京女子大学学長などを歴任した。 そして第一次世界大戦後、国際連盟設立に際して、初代事務次長に選任され、世界平和、国際協調のために 力を尽くしている。 世界中の叡智を集めて設立した「知的協力委員会」(1922年)には 哲学者のベルグソンや物理学者のアインシュタイン、キュリー夫人らが委員として参加し、各国の利害調整にあった。 この「知的協力委員会」の後身がユネスコである。 思えば、癌研時代、今は亡き 原田明夫 検事総長と、2000年『新渡戸稲造 武士道100周年記念シンポ』、『新渡戸稲造生誕140年』(2002年)、『新渡戸稲造没後70年』(2003年)を、企画する機会が与えられた。 順天堂大学に就任して、2004年に、国連大学で『新渡戸稲造 5000円札さようならシンポ』を開催したのが 走馬灯のように駆け巡ってくる。 2020年は、「新渡戸稲造 国際連盟事務次長就任100年周年 記念事業」の 時代的要請ではなかろうか!。 2020年は、新渡戸稲造著『武士道』出版120周年でもある。 

 私は、「日本国のあるべき姿」として「日本肝臓論」を展開している。 日本国=肝臓という「再生」論に、行き詰まりの日本を打開する具体的なイメージが獲得されよう。 人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担とお互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における全体的な「いたわり」の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への 深い洞察へと誘うのであろう。(1)賢明な寛容さ (thewise patience)(2)行動より大切な静思 (contemplation beyond action)(3)実例と実行 (example and own action)の実践である。 

 すべての始まりは「人材」である。 行動への意識の根源と原動力をもち、「はしるべき行程」と「見据える勇気」。 ここに、東京農業大学の現代的意義 があろう!

出典:『われ21世紀の 新渡戸とならん ー新訂版―』(2018年 イーグレープ発行 48ページ )

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