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「造園家」になって将来は?

造園科学科の前身である「東京高等造園学校」が設立され、卒業生を初めて世の中に出したのは1925(大正14)年であり、以来、本学は10,000人という多くの卒業生を社会に送り出してきました。こうした本学の卒業生をはじめとして造園系の学校を卒業した沢山の人々の努力と活躍によって、日本の社会には「造園」の職能と造園人が活躍できる職域が定着しています。
造園科学科の前身である東京高等造園学校がはじめて卒業生を出した1925(大正14)年に日本造園学会が設立され、「学界の組織化」がなされました。行政面では戦前から公園緑地部門や国立公園部門で造園家が活躍してきたのをはじめ、1966(昭和41)年には国家公務員採用試験(上級職)に「造園」の分野が設けられました。並行して、全国の自治体でも造園学を納めた卒業生が多く採用されるようになりました。
戦後の高度成長期には公園や緑地の整備に関する需要が急増し、従来の作庭や植木の生産管理といった伝統的造園業から、計画やデザイン、環境調査、都市緑化、高度な技術を要する造園施工など、造園の職域は民間の分野においても大きく拡大し、造園建設会社や造園コンサルタント(計画事務所や設計事務所など)が沢山生まれました。また、土木や建築、都市計画など隣接分野との恊働(コラボレーション)による仕事も増え、大手の総合建設会社(ゼネコン)等においても造園部門が設けられました。このようにして「造園家(ランドスケープアーキテクト)」という専門職が世間に認められ、確固たる職能が築かれたのです。

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