厳寒に生きる小さな天使の物語
今年の冬も北海道のオホーツク海岸に、真っ白な流氷がたどり着きました。そして雪解け水がせせらぎをつくるころ、なにも言わずそっと去っていきました。北の国の四季を彩る流氷――。
夏まっ盛りのいま、オホーツクでくり広げられる涼しい物語を、生物産業学部の鈴木淳志先生がお届けします。
突然ですが、流氷は氷の塊が流れてくるものではありません。「え〜?」とお思いかもしれませんが、本当なのです。実は流氷とは、海が凍る範囲が少しずつシベリアから南に広がってくることをいいます。流氷が来るときや、逆に春になって去るときに、まるで流れているように見えることから「流氷」と呼ばれるようになったのです。
でもここに、ひとつの謎があります。同じ北海道にもかかわらず、凍るのはオホーツク海側だけで、日本海側は決して凍ることはないということです。同じ緯度にあるのになぜでしょうか?答えはこうです。手元に地図のある人はぜひ開いてみてください。オホーツク海は四方をカムチャツカ半島、千島列島、北海道に囲まれています。そのため、海水が入り込む場所が少ないのです。その海に、シベリア半島のアムール川から大量の真水が流れ込みます。真水は海水より軽いため、海の表面に残ります。真水が入ったあとも、閉じられた海なのであまり塩水化することもありません。また、オホーツク海は水深が約200〜1000mと浅いため、冷えやすく凍りやすいのです。そこにシベリアからの凍えるような冷たい風が当たります。オホーツク海側だけが凍る理由が、ここにあります。
流氷は晴れをもたらす?
1月中旬に流氷はオホーツク沿岸に接岸しますが、この日は「流氷初日」と呼ばれます。2月下旬から3月上旬が流氷のピークで、オホーツク海の80%を流氷が覆いつくし、厚さも40〜50cmにもなります。この時期、オホーツクでは晴れの日がとても多いのが特徴です。なぜでしょうか?実はこれも流氷が大きく関係しているのです。
海が流氷に覆われると、太陽の熱は氷を解かすことに全エネルギーが使われ、冷たい空気になります。これが、上空の暖かい空気に押されて高気圧となり、晴れとなるのです。
春。ついに海岸を覆っていた氷が割れ始め、海を漂うようになります。そして、4月中旬には海の氷が去り、冬の間、陸に上げられていた漁船も勢いよく海に飛び出していきます。人びとが待ちに待っていた春の訪れです。
4月から5月。真っ青に晴れわたったオホーツク海岸に立つと、遠くの沖合に世にもふしぎな光景が現れます。「幻氷」です。まるで氷山を思わせる巨大な流氷の山が、ポッカリと浮かんで見えるのです。上空の冷たい空気と、下の冷たい空気によって生まれたしんきろうで、この幻想的な風景をもって、オホーツクの「流氷の季節」は終わりを告げます。
流氷の天使
一面白銀の世界で、冷たい氷に覆われている流氷。しかし、じっと目を凝らすと、実はさまざまな動物が流氷とともにやってくることがわ
かります。
その代表選手が、流氷とともにオホーツク海に姿を現し、流氷が去ると同時に消えていく「クリオネ」です。貝殻をもたない巻貝の一種で、体長わずか2〜4cm、からだ全体が透明でお腹の真ん中が紅く、白く透き通った翼のような手を使ってゆっくりと泳ぎ、研究によって、雌雄同体であることもわかりました。しかし、その愛らしいイメージとは逆にどう猛な面もあります。エサは1cmほどのリマキナという巻き貝ですが、食べるときは、頭の中から袋状のものを出してリマキナをパクリ。食べ終わるとすぐに貝殻だけを出してしまうのです。最近では飼育もされるようになりましたが、エサがなくても1年近く生きるなど、その生態はいまだ謎が多く、深いベールに包まれています。
また流氷上では、大型動物も見られます。 ゴマフアザラシ(ゴマをふったような模様)です。流氷に乗ってオホーツクで赤ちゃんを生んで、子育てをし、流氷が去るとともに北へ帰っていきます。流氷の上はシャチなどの外敵もいないので安全だからです。アザラシにとって、流氷は「ゆりかご」というわけです。
オホーツクの海に冬を告げ、そして春の訪れを告げる流氷。来年もまた、流氷はオホーツクにやってくるでしょう。その未来永劫の地球の営みを、私たちはこれからもずっと、見守り続けていくつもりです。
動物の生態を解明し、生物生産の可能性を探るのも農学のおもしろさです。 |