農家|秋澤史隆さん
農家
秋澤史隆さん
農家
自己紹介
東京農業大学短期大学部から編入し国際農業開発学科卒業。在学中はセネガルやタイなどで約1年、休学してブラジル、パラグアイ、チリ、アルゼンチンで1年。卒業後アメリカで2年、海外農業実習で約4年の経験をしました。今は実家の小田原で代々続く柑橘を中心に、持続可能な農業を目指しています。
仕事のやりがい
農業は「自然と人のいのちをつなぐ」仕事です。300歳のみかんの古木を見ながら、300年先の子ども達が欲しい未来の為に何を遺せるのか。日本の小さな小さな湘南・小田原のみかんの里山だからできることをめいっぱい挑戦中です。自然と想いとその人の手で作り上げられた逸品の農産物。またその加工品、体験を通じ、「今ココに在る自然の恵み」を体感してもらえる、顔の見える関係を大切にしています。納得した方があきさわ園の柑橘や加工品のジャムやピクルス・ジュース・ジェラートなどをを買い支えてファンになって下さること、笑顔が一つ一つ増えていくことがやりがいです。
食と農のシゴトの魅力
「百姓=百人の女性が生き活きできる環境を創るシゴト」だと思っています。
女性が笑顔なら、オトコもコドモもみんな笑顔になる。地域が未来が明るくなる。
未来につながる新たな価値の創造は、食と農にある。
生産から消費までのすべての分野に関わることができるからこそ、食と農の可能性は無限大です。それを生かすも殺すもその人次第。
2.3.4.5世代未来の子供たちの夢と希望の為に、今私たちができることは何なのか。「欲しい未来はジブンで創る」をモットーに楽しみながら頑張っています。
I have a dream. We can CHENGE!!
今の仕事についたきっかけや理由
農家の長男で、何となく継ぐのかなと思いながら農大へ入学。バブル崩壊と就職氷河期と言った学生時代に、漠然とした将来への不安、家を継いだ際に、親父を超えるために何が必要なのかを模索するの日々でした。
大学2年で出会った、海外移住研究部の春合宿でアジア学園に行き、農作業を楽しそうにやる1年生と先輩、同級生を見て、私は衝撃を受けました。「みんなでやる農業は面白い!!」
南米やアジア・アフリカ、世界をフィールドに、活躍することを夢見る先輩達に出会ったおかげで、自分の未来は家業だけじゃない。「農業の可能性は無限大」ということを知りました。そこから、週末は日本中の農場を回りや、JICA等の国際交流イベントに参加、長期休みには小笠原や海外の農場に1か月以上の滞在実習を基本に、世界中を周りました。短大の卒業式に出ずにアフリカに行き、バオバブ並木の砂漠に沈む夕日を見ながら、飢餓、貧困、無知、残虐のあるこの世において、何も考えずにアフリカまで来れた裕福な日本に生まれ、出会えた出来事に、本当に感謝しました。砂漠化の進む、電気、ガス、水道の無い村で野菜作りを手伝い、いのち・生きることは世界共通だということに気づきました。
4年時には休学し、「真の国際協力は海外移住だ」と言って南米に移住した部活のOBを訪ね、フロンティアスピリッツ、日本人、自己のアイデンティティとは何かを考えさせられました。4人の先輩が約10人ずつ雇い、家族が7人で 280人(ほかの日本人経営者もあり)。その家族を養うのに、スーパー、雑貨屋、バル、肉、魚、床屋、教会、学校があり小さな村が出来ていました。人生を賭してのアマゾン開拓と農場運営を通して、地域雇用・産業を生み出すこと重要性を目の辺りにしました。
今の時代に生かされた自分の命の使いみち。自分にしかできないことは何なのかを考えました。
ちょうど南米滞在中に、911テロとアルゼンチンのデフォルト(経済破綻)を現地で直に体感し、世界経済における日本の行方と見え方、農業の在り方を考えるキッカケを得ました。帰国後、やはり世界経済の中心にあるアメリカの農業が気になり、2年行き、教職課程も取りましたが、農大で色々な出会いを頂けたからこそ、代々繋がる農場を通して、可能性しかない農業で、関わるみんなで創るを継ぐことを決めました。
仕事の魅力
農業の可能性は無限大です。私は今、地元の人達と一緒にワークショップ形式で、伝統工法で木と竹と土をメインに、自然にかえる素材で人が交流できる農作物加工場を作っています。
加工品は近々ヨーロッパにも輸出を計画中です。
自分の畑でとれたフルーツを使って、ビール会社、菓子メーカーやパティシエとコラボして商品開発、販売をしています。他にも、地域の保育園・小学校・高校・大学・企業とみかんや玉ねぎ栽培を通じた食育も行っています。農作業を通したリハビリテーションや、福祉施設の方との農作業など、農業の潜在力を活かして地域の活性化に挑戦できる。あらゆる人と繋がれる所がこの仕事の魅力です。