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応用生物科学部醸造科学科 醸友会

第18回あきだる全国大会

 はじめてお読みの醸造先輩、後輩に「あきだる」会の紹介からしよう。
「あきだる」とは、昭和31年に入学した醸造科の39名が、卒業間近かに名付けた卒業記念文集の愛称である。
 平成3年の第8回あきだる全国大会の際、学部の同期生が、卒業後、短期のようなクラス会が無いので仲間入りしたいとの話が出て、その年から参加が始まり、最近ではすっかり1本に纏まって隔年にクラス会を開いている。総勢74名中、現在連絡のとれている会員は50名で、亡くなった会員が20名、残る4名は連絡が取れない。
 クラス会には、亡くなった会員の奥様や子供さんが出席することもあり、また、幹事役を1人で買って出て、家族総出で引き受けてくれる者もいる。沖縄、淡路島大会などがその例である。奥様同伴の参加が毎回10組を超すのも特徴の1つである。
 過去の大会には、醸造生みの親である住之江先生、名物男の永瀬先生、真面目の塊米山先生、事務の茂野さんなど、今では皆故人となられ方々がお見えになった。今回も五十嵐先生が体調不良にもかかわらずかけ付けてくださり祝辞をいただいた。昔は、地区割りの支部会もあって、これを入れると今回で28回目となる。卒業記念文集に続いて、クラス会に合わせるように有志が、100頁を超す文集を5回発行している。なかには、「技術経営特集号」など発行され全員の家業が醸造業だったので商売の参考になった。


 さて、あきだる会の紹介はこのくらいにして、今回のクラス会の経過報告に入ろう。
 第17回全国大会が、1昨年岐阜県で開催されたばかりだが、楽しい「あきだる」会があっという間に駆け足でやって来た。年を取ると2年が実に早い。しかし、今回は幹事役も一緒に回ってきて、1年前から大会準備がはじまり、落ち着かない四苦八苦しての大会となった。が、参加者には大変喜んでいただき、ほっとしている。
 幹事を一番悩ませ、苦労させたのは、会員各位からのリクエストのあった場所を2泊3日の中に凝縮して出来る限り組み込むことであった。この難問に応えるべく、開催までに何度も母校に出向いての会合や現地の下見調査を行い、幹事長はJTBとの交渉を繰り返した。結果として、富士山の五合目から東京湾アクアラインを1回の大会の中にどうにか纏めてみた。
 振り返ってみて今大会の一番の収穫は、「母校」と「富士山」に尽きる。母校はさて置き、日本一の富士山が、この時期に裾野近くまで雲1つなく晴れ渡って見事な容姿を見せてくれたのは奇跡だ。一番気がかりだったのが、山の天候だ。梅雨入り宣言もあり、大会初日の降雪で2日目の午前中まではスバルラインへの乗り入れは禁止だった。会員に配った日程表どおりに進行していれば、富士五合目での昼食はできず途方に暮れていたかもしれない。
 これは幹事長の勘か。大会の数日前になって、自ら出向いて五合目での昼食を取り消し河口湖に変更したのだ。その結果、1~2時間の差で総てが旨くいった。幹事長には、参加の皆さんに富士山を眺めるのでなく山肌に直接触れてもらうんだという強い信念と願望があり、幹事会で大議論をしてコースづくりをした甲斐があった。
 第18回あきだる全国大会は、平成23年5月24日から2泊3日で行われた。
 今回は、「JTB」と「はとバス」に3日間お世話になった。初日、午前中は雨だったが昼には雨も上がり晴れ間も出てきた。東京駅鍛冶橋の集合場所に、午後1時43名が揃った。発車するとすぐに福井幹事長から歓迎の挨拶があった。
 母校訪問、バスごと昔懐かしい正門を入り、いつも醸友会誌でお世話になっている前橋先生の出迎えを受ける。早速、世田谷通りを渡って馬事公苑の手前にある「食と農」の博物館へ行く。ここで館長の醸造担当の小泉幸道教授の歓迎を受ける。我々の学生時代に完成した住江記念館は今は無く、ここの2階には、住之江先生が収集された酒器や卒業生の酒蔵の見本瓶が数百本常設展示されている。
 教授から農大の近況を詳しく説明していただいた。現在13,000名が学ぶ農学系の総合大学で、昔の醸造学科(科)と大きく違うのは、「醸造」を家業にしている学生は2割程度で優秀な女子が多いとのことで参った。頼もしいというべきか。農大ガイドには、大澤学長の将来設計に「食と農を世界的視野で考え、行動する人材育成を目指して」と披露されている。建物も様変わりして、我々の卒業時に完成した建物が1号館で現在建築中の建物が18号館とのこと。近い将来、1号館は解体され、農業大学に相応しく学内の中央部が公園にかわるらしい。恩師の動向や館内の見学もあり、引き続いて大学に戻り校内を1周案内していただく。都内にありながら、大きな樹木に囲まれたなかに沢山の校舎が建ち並び新しい研究棟や実験棟、体育館そして食堂やグランドも整備され、その変貌と発展振りには唯々驚嘆あるのみだった。そして、帰り際には、大澤学長も出て来られ気さくに記念写真に納まっていただいた。多忙な先生方の暖かい持てなしに、予定の1時間を大幅にオーバーした。大会のスタートを全員での母校訪問が実現して、幸先の良いものとなった。 母校を後にして、東名高速道路を一路西に進み、小田原・厚木道路から、今宵の宿、箱根「湯本富士屋ホテル」に到着。入館前に2回目の記念写真を撮る。このホテルは、昨年の丁度この時期に「全国植樹祭」で天皇・皇后が2泊された。
 大会は、細野幹事の司会で始まり、先に亡くなった会員と今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々に黙祷を捧げご冥福を祈った。関口副幹事長の大会開会の宣言の後、テープが流れ、「常磐の松風 みどりに吹きて・・・」と学歌の斉唱が始まるといやが上にも50余年前の学生時代に戻った気分になって来る。ここで改めて福井幹事長が歓迎の挨拶を行い、参加者を代表して五十嵐先生、杉浦先輩、「タケヤ味噌」の嶋崎名人、「いいちこ」の西会長などが登壇して挨拶。
 前回の堀井幹事長が岐阜大会のお礼を述べた後、三橋幹事から恒例の次回の役員選出について幹事会からの提案を発表した。「二川本陣」の馬場会員を幹事長に推薦し、場所や幹事は彼に一任との提案で、全員拍手で了解、承認された。続いて乾杯の音頭をとった「十四代」の高木社長から、次回は北海道ではどうかとの提案が出た。北海道には農大生みの親でもある榎本武揚の函館五稜郭があり、洞爺湖サミットでは、日本酒を代表して「十四代」が振る舞われたとのこと。北海道に会員がいないため、足を伸ばしたことがない。沖縄大会も実現したので、大いに検討の余地はあると思う。
 宴会に入り、例によって参加者から近況報告が続いた。途中からカラオケも入り、この方の先陣は大塚、工藤夫人等で、吉田会員は、1昨年交通事故で被害に遭い、周りを心配させたが、それを全く感じさせないほど回復し、唄は相変わらず見事だった。会場での時間が大分オーバーしているとのことで、ここでの締めくくりに、前回「チン/トン/シャン」で一躍名を上げた、関口副幹事長が本格的な端唄・小唄を披露し、彼の合図で「チン/トン/シャン」と会員は慣れたものだ。この後、酔いの回ってしまった吾妻幹事が壇上に上り1本締め、賑やかな宴会場での懇談は幕となる。会場をカラオケルームに移動して、夜遅くまで唄に懇談に費やした。


 2日目は、箱根と富士山五合目までの遊覧。
 朝、五十嵐先生と白木会員がバスの旅は遠慮され、42名で箱根山に向かってスタートする。日程表では、箱根新道を登り芦ノ湖に出て、関所跡や杉並木を案内する予定であったが、これでは当方の欲張り過ぎか、バスは国道一号線を登る。この道は正月の大学駅伝のコースである。ガイドさんの説明に地元の三橋幹事が天下に名高い「宮の下富士屋ホテル」で下見調査をしたことやコース案内の補足をする。小湧谷で一号線と別れ大湧谷に向かう。これで1時間ほど時間を稼いだ。これが2日目の大きな収穫で午後の日程をゆったり過ごすことが出来た。
 大湧谷でバスを降りると、会員から目の前に雄姿を見せた「富士山」に歓声がわきあがった。ここで3回目の記念写真を撮る。富士山を背景にした写真は見事だった。この後、有志が噴煙見物に行った。(ここでの写真にエトキをつけて最後に付す。)
 ここから世界で最も乗車しているロープウエイとしてギネスに認定されているゴンドラに乗る。見事な富士山の絶景と大迫力、眼下の芦ノ湖に見惚れ歓声を続けながら桃源台に移動する。「箱根遊覧」のあとバスは御殿場を通過して、河口湖湖畔の昼食場「みはらし亭」に行く。ここまでの道中は行くさきざきで富士山の雄姿が異なり、会員各位には十分富士の良さを堪能していただけたと思う。
 ここでの昼食も事前の幹事会ですったもんだした。始めは御殿場近辺、富士山の五合目などが候補に上がったが、「山梨」イコール「ほうとう」と言うことで、質素な山梨でのもてなしは「ほうとう」が当たり前のことではあった。しかし、幹事会で「ほうとう」だけは戦中、戦後の「すいとん」を思い出すので勘弁してくれとの声が強く、五合目での「ほうとう」は最終的には実現しなかった。
 さて、いよいよバスは富士登山の開始である。前日の雪で先程まで通行止めだったとのことで、本当についている。四合目当たりから道端には雪が残っている。これも支障はないので良かろう。五合目もすいていた。バスを降りるとすぐ上に見えるのが富士山の山頂である。歩けば1時間もあれば登れそうな気はするがこれが大変。5~6時間はかかるだろう。富士登山の体験者が思ったより少なくて、辺りの気温は6度とのことだったが、富士の地肌に直接触れることが出来て本当に良かった。ここの茶店で貰った「百才長寿の鈴」に、富士山専門の写真家大山行男の写真集を添え、記念に参加者に配布した。
 帰りは、予定していた中央自動車道が工事中で、御殿場から東名高速道路に入った。山を下り、三橋幹事から昨晩の経過報告の続きで、小冊子(今回、幹事長が大会用に印刷、製本、配布まで仕上げた44頁の「あきだる」)の中から不参加の会員の近況などを報告した。この日も高速道路は空いていて東京駅まで戻った。ここで1泊の予定で参加した、岡本、菊池親子、佐渡友夫妻、藤、馬場夫妻、武藤夫妻、森田さんと別れた。
 2日目の宿、「浅草ビューホテル」には31名が残った。
 26階の宴会場は、目の前に建設中の東京スカイツリーが634メートルまで出来上がり、眼下には浅草観音や仲見世通りも見える。ここでの夕食宴会は洋食が用意された。幹事会の1回目の試食会で2時間近く待たされたあげく、固いステーキに閉口しクレームがつき、2回目の試食会も行って万全を期した。
 2日目の夜ともなると、最初から気楽だった。この時、昨年11月に亡くなった常連の阿久津会員(青森)のご長男があいさつに見えご両親のその後について壇上で詳細な報告があり、皆で沢山の涙を頂戴した。
 この後、関口副幹事長が趣向を凝らして「カラオケゲーム」を用意した。丸いテーブルが4卓あったので、4卓をイロハニの4チームとし、各チームから有志が中央に出てのど自慢の披露があり、唄い終わると自分で布袋に入った得点の書かれたボールを取り上げる方式で、唄の上手下手は全く関係なく各チームの合計得点で順位を決めた。最後に集計後チーム全員に1品づつ賞品が渡された。4位が浅草寺のお守り、3位ががまぐち(小銭入れ)、2位が金平糖の入った小物入れ、1位が眼鏡入れなどの賞品だった。


 3日目の朝、早いものでもう今日でいよいよ最終日。
 早朝、浅草観音を散策した者もいた。この朝、工藤夫妻と細野幹事(司会進行に2日間あまり夕食もとれずに頑張ってくれたが、今回の東日本大震災で建物が大分被害に遭われ、その補修と長年続けている民生委員幹部の仕事が重なり多忙とのことで)が帰った。総勢45名が27名となった。
 まずは建設中の世界一のテレビ塔「東京スカイツリー」を車窓から眺めることとなった。下見調査の折りは、塔の直ぐ近くを流れる川の反対側まで小型車で入り見物してきたが、今では交通規制が敷かれていてとても近寄れない状況になっていた。バスの運転士が近くは減速して車を走らせてくれたが、塔の上の方は座席の関係で幾分見えにくかった。次いで「東京タワー」に行った。第1展望台まで全員で登り後は自由行動になったが、皆さん大分疲れが出たようで第2展望台まで行った会員は少ないと思う。第1展望台ではそれより高そうなビルがいくつも周辺に点在し遠方の見晴らしはきかなかった。この塔は昭和33年、我々の卒業直後に当時では333メートルの世界1のテレビ塔として完成したのであるが、今回始めて登る会員もいた。先日の大震災でアンテナの先端が曲がってしまったが、どのように修理するのだろうか気になった。
 バスは、いつの間にかレインボーブリッジを通り羽田空港あたりから東京湾に潜り始め、川崎と木更津を結ぶ「東京湾アクアライン」に入っていた。全長15キロほどの木更津よりに「海ほたる」があり、川崎側は海底トンネル、木更津側は海上橋である。先に海ほたるで昼食をとることにする。5階の回転寿司「海鮮三崎港」に入る。でかネタを売り物にしているだけに、飯台にのっている寿司はどれも見事だ。」ゆっくりと味わう。昼食後、水槽で海ほたるの本物を探すがなかなか見つからない。米粒よりも小さな白いモノを見つけたが、夜行性で日中はあまり動かないとのことだった。
 バスは、橋上を僅か10分ほどで木更津に着き、Uターンして、最後に関口副幹事長の「木更津甚句」を聞きながら。「新国際空港」に到着する。いよいよ目的地のすべてをこなし、これで見学個所は最後となる。5階の屋上から国際線その先に国内線の離発着も見える。分刻みでの着陸は見られたが、離陸は少ないようだった。屋上よりも1階から3階までの外国人を出迎える店造りの方が江戸時代を思わせるような店構えで、人気がありそうだ。
 バスは、国内線に周り、ここで沖縄から来た慶佐次夫妻を始め、国内線を利用して帰る会員が順次あいさつをして別れた。残る会員はスタート時の半分近くになり、最後に関口副幹事長から今大会の最後の挨拶があり、東京駅へと向かう。3時予定通り丸ノ内側で再開を約して散会した。
 2泊3日のあきだる会も、御膳立ては大変だったが、あっという間に終わってしまった。バスに乗りどうしで、皆さんもお疲れになったと思う。
 今回も会員が70歳半ばになるので、大分、病気の話が出た。参加者の中にも、癌、脳梗塞、高血圧、糖尿病はじめ、いろいろと病の体験者が多く話が弾んだ。セカンドオピニオンや薬の副作用の話も参考になった。次回まで何はともあれ健康には十分気をつけて無理をしないで日々過ごそう。
 皆さまのご協力で大過なく無事大役を果たせたことに幹事一同感謝しております。本当にありがとうございました。


(追記)
 以上で、先輩、後輩の皆さん用の今回の経過報告は終わります。醸友会誌「醸友」から醸友会のホームページに変更されたため、個人情報の保護法などあり、微にいり細にいりはカットして投稿しました。卒業されたあちこちのクラスで、同様の集まりが増えているとのことで喜んでいます。ぜひ卒業後仲間と音信不通のクラスがありましたら、どなたか旗を振ってください。一度開催されるとあとは続くものです。

(記録三橋・幹事長確認)

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第18回 あきだる全国大会 平成23年5月25日 於 箱根 大涌谷

<記念写真のエトキ>
後列左より:堀井夫人、工藤夫人、西夫人、水谷(長野)、小泉(岡山)、小泉夫人、中田(石川)、藤(福岡)、吾妻(東京)、武藤(愛知)、武藤夫人、菊池夫人(長野)、佐渡友夫人、菊池さんの娘さん
中列左より:三橋(神奈川)、堀井(岐阜)、工藤(山形)、森田(東京)、黒田(兵庫)、馬場夫人、中嶋(三重)、西(大分)、福井(神奈川)、大塚(熊本)、久々江夫人、高木(山形)、久々江(富山)、高木夫人、佐渡友(長野)、吉田(石川)
前列左より:黒田夫人、嶋崎夫人、嶋崎(長野)、細野(茨城)、馬場(愛知)、関口(千葉)、岡本(岡山)、吉本(石川)、慶佐次(沖縄)、慶佐次夫人、坂東夫人(徳島)、杉浦先輩(千葉)

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