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応用生物科学部醸造科学科 醸友会

第17回あきだる全国大会


 1日目、第17回あきだる全国大会は、平成21年5月24日から2泊3日で岐阜県下で開催された。初日の24日には、正午名古屋駅集合で全国各地から元気な姿で集まり、あちこちに再会の輪が出来て健康を確認し合う。
 最初に参加者名を列挙しておこう。
幹事長が堀井(岐阜)、幹事が武藤(名古屋)、馬塲(愛知)、中嶋(三重)、石川(名古屋)、白木(岐阜)である。幹事らは開催までに何度か会合を開いたようである。会員参加は北から、阿久津(青森)、高木夫妻(山形)、工藤夫妻(山形)、関口夫妻(千葉)、三橋(神奈川)、高橋(長野)水谷(長野)、佐渡友(長野)、嶋崎夫妻(長野)、久々江夫妻(富山)、黒田夫妻(兵庫)、岡本(岡山)、小泉夫妻(岡山)、藤(福岡)、故吉田仁夫人と娘さん(福岡)、西夫妻(大分)、大塚(熊本)、石橋夫妻(長崎)、慶佐次夫妻(沖縄)、坂東さん(慶佐次婦人の友人・徳島)に堀井夫人、馬塲夫人、武藤夫人の以上順不同ではあるが40名である。
 バスに乗ると「学歌」のテープが流れていて、いやがうえにも50数年若返る。バスが走り出すと今回の幹事長である堀井会員から歓迎の挨拶があり、相変わらず直ぐに和やかな雰囲気となる。
 大会の最初は「木曽川のライン下り」で、奇岩怪石がつくり出す渓谷美と数々の早瀬を通り抜けるスリリングで爽快な気分になれる13キロである。
 今日は、まだ季節的にも人出は少なく前後に船はなく静に下っていたが、途中の瀬で慶佐次会員が水しぶきを浴び、帽子、靴下、靴の中まで水濡れになってしまった。夫婦岩をバックに1回目の記念写真を撮った。4日後には大きな写真が自宅に届いた。出来上がった写真を見ると操船の船頭は船尾に2人いた。地元の武藤会員夫妻を除いて、11組のご夫婦がこの時点では未だバックの岩同様に仲良く並んで収まっている。1時間ほどのお楽しみで犬山城が見える頃には着船場であった。
 ここから次ぎの「航空宇宙博物館」は直ぐ近くにあった。各務原は飛行機の街として発展した航空産業の草分けである。屋内外にヘリコプターやYS11など本物が展示され、ウエルカムハウスでは各務原飛行場で誕生した第1号機のサルムソン2A-2型の復元機が出迎えてくれて、実機展示場では実験機「飛鳥」の機内も見学した。
 ここから長良川に移動する。今晩の宿である岐阜グランドホテルへ行く。部屋割のあと身軽になって河原に出る。ここで長良川に浮かぶ屋形船をバックに2回目の記念写真を撮る。
 日も暮れてきて屋形船に乗船し、「長良川の鵜飼い見物」の前に船内で夕食となる。船尾を川岸につけているので揺れは殆どない。このあたりから、アルコールも大分入り1日の疲れも酔うほどにとれ元気が出てきた。鵜舟が下る前に本流では歓迎の舟が音曲に合わせ屋形船の前方を何度も踊りを交えて行ったり来たりを繰り返す。
 日もすっかり落ち、花火の合図とともにマルイチが上流から下ってきていよいよ鵜飼いの開始となる。宮内庁式部職鵜匠6名が風折烏帽子に腰蓑姿で篝火を燃やしながら、とも乗り、なか乗りと3人1組となって、鵜匠が手縄で10羽ほどの鵜を同時に操ってゆっくりと目の前を下って行く。目指す鮎はなかなか捕れない。今日は客筋が悪いのか未だ時期が早いのかそれとも鵜がさぼっているのかは定かではないが、前半は余り収穫はなかったようだ。しばらく時間をおいて、後半は総がらみと言って6隻の鵜舟が横隊になり、浅瀬に鮎を追い込む漁法を見学した。2時間ほどの河原でのお楽しみに満足して目の前の宿に戻った。舟で夕食を済ませたので、このあとは恒例のカラオケ大会である。

 2日目は、宿から一気に県北の白川郷まで、東海北陸自動車道を貫通したばかりの国内2番目に長い10キロ余りの飛騨トンネルなどを走り県境まで進んだ。2日目から3日目の車中では、堀井幹事長の計いで、岐阜県岩村藩出身の江戸時代末期の儒学者佐藤一斎についての、岐阜市市民講座で愛知文教大学坂田新学長の講演記録のテープを静かに拝聴した。堀井幹事長が代表を努めるNPO法人「いわむら一斎塾」では、彼が発行者となり親子で読む「言志四録」おじいちゃんとぼくなど子供向けの絵本など発行し活躍している。言志四録には1133条の訓(おしえ)が書かれているそうで、今年は佐藤一斎没後150年祭を年間とおして恵那市で開催している。
 隣は富山県という「合掌造りの集落白川郷」は、平成7年にユネスコの世界遺産に登録された。せせらぎ公園駐車場で各自自由散策となり、大半の会員が同年国指定重要文化財の和田家に行った。和田家は集落で最大規模を誇り江戸初期と思われる建築文化の粋を今日に偲ばせている。ここで昼食後、合掌造りの家々をバックに3回目の記念写真を撮った。
 このあと、高山に向かう。途中で「飛騨の鬼ころし」の老田酒造店を見学する。山の中に平成4年に工場と設備も全部蔵元の設計で新設したとの説明、最近の不景気には対応しかねるとの本音もでた。3階建ての工場は製麹から出荷まで総べて機械化されていた。会員は次々と質問を続け、蔵元も従業員も真剣に対応してくださった。利き酒のあと最後に精米機のある建物も見学した。1時間を超える見学のあと団子をいただき、県道まで親子で見送ってくださった。この後、高山駅経由で「まつりの森」に行った。ここでは屋台会館に納まっている屋台の模型を見るような感じである。
 今晩の宿は高山グリーンホテルである。初日が屋形船の中での夕食だったので、ここでの夕食は豪華な宴席となった。堀井幹事長の進行で、まず、三橋会員から最近のあきだる会の経過報告があり、この2年間に米山先生、中垣先生がお亡くなりになったことと物故会員となった武田治会員に全員が起立して黙祷をささげた。次回の開催地についてもふれ、この20年間でほぼ全国を回り終えたのでそろそろ東京に戻るのではとの発言もあり、ほぼ了承された。そのためあきだるのペナントが堀井幹事長から関口会員に手渡された。
 このあと高木会員の音頭で老田先輩から届いた「飛騨の鬼ころし」で乾杯となった。
 続いてこれからがどの会員もびっくりするような異変が起こった。関口会員の登場で宴会開始直後から盛り上がった。学生時代は物静かだった彼が正面にでて、小唄、端唄の講義から実演までを堂々と繰り広げたのである。事務局には三味線の用意の依頼があったそうだが準備が出来ず、ここからが傑作であった。三味線に代わって「チン/トン/シャン」で一躍名を上げた。彼の指示で唄の間に「チン/トン/シャン」を何度も繰り返し大声で挟んだ。彼の独演会が20分くらいあったか。今大会の一番の収穫である。
 次いで会員全員が例によって近況報告である。嶋崎会員が先陣をきり、着席順が嶋崎夫人が遠慮したので、男性会員のみになってしまったが、結局、最後に逆回りで女性会員も全員近況を語った。関口夫人が立ち上がって、「「チン/トン/シャン」の家内です。」には大爆笑であった。近況報告が終わって、食事も進むうちに、カラオケが始まった。最後に農大の学歌と「大根踊り」の青山ほとりは大根に代えてビール瓶を持って座敷を回っていた会員もいた。全員で「青い山脈」を歌ってカラオケは幕となった。

 3日目は、早朝からバスに乗り込み、古い町並みに近い神明駐車場に移動した。1時間30分の「朝市めぐり」であったがやはり時間切れでゆっくりは出来なかった。駐車場からは古い町並みの上一之町、上二之町、上三之町へそれぞれ数人づつ分かれて回る。そこからは宮川朝市に行った会員と陣屋前朝市に行った会員に分かれたようである。高山本陣は未だ時間が早くて開門していなかった。が、朝市での買物は出来た。この帰りに、武藤会員の案内で醸造科の先輩親子が経営する平瀬酒造「久寿玉」に堀井、三橋会員も行き、社長に会った。
 高山を後に日本昭和村まで急な高速道を盆祭で賑やかになる郡上八幡や刃物の関を通り一気に下った。女優の中村玉緒が名誉村長と言う昭和村では入場門から中心部にある、郷土の食堂「ふるさと味彩館」で昼食をとり、散策とで1時間ほどしか時間がとれなかった。昭和30年代の青春時代にタイムトリップして気軽に楽しめる体験を柱にして準備されていた。が、時間の制約で村の半分ほどしか足を踏み入れなかった。
 3日目も佐藤一斎さんのテープは続いていた。いよいよあきだる大会も終盤になり、名古屋駅も近く、堀井幹事長の挨拶で、次回の再会をお互いに誓い合い、健康であることを祈り閉会となった。3日間、楽しい思い出を沢山つくってくれた幹事とその奥さん方には大変お世話になりました。本当にありがとう。

(三橋俊彦記・幹事会確認)

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[写真エトキ]
前列左より 嶋崎夫人、工藤、高木夫人、馬場、馬場夫人、坂東(慶佐次夫人の友人)、慶佐次、慶佐次夫人、中嶋、堀井、黒田、佐渡友、武藤、武藤夫人
中列左より 水谷、阿久津、岡本、高木、工藤夫人、小泉夫人、関口、関口夫人、高橋
後列左より 大塚、三橋、堀井夫人、嶋崎、石橋、小泉、西、西夫人、故吉田仁夫人、故吉田仁の娘さん、石橋夫人

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