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応用生物科学部醸造科学科 醸友会

醸造科学科と醸造学科の歴史 後編

農学部醸造学科と短期大学醸造科の分離

昭和60年3月31日、農学部醸造学科塚原寅次教授が定年により退職し、同年9月30日には短期大学醸造科創設時から35年 間にわたり醸造両科の発展に尽力された永瀬一郎教授が病気により退職した。多少前後するが、同年7月5日、鈴木隆雄教授 が東京農業大学長(5選)、石丸圀雄教授が東京農業大学短期大学長に就任し、大学長と短期大学長が分離して専任化され た。

同62年4月1日、米山平教授が農学部醸造学科長に就任した。同年5月1日、前農林水産省食品総合研究所応用微生物部微生物利用第1研究室長の伊藤寛先生が短期大学醸造科教授として着任した。

同年7月5日、松田藤四郎教授が第9代東京農業大学長に就任した。
農学部醸造学科と短期大学醸造学科は、同51年以降、14年間にわたり共通8研究室制度の中で人事交流が行われ、両科が一体化した合理的な運営がなされてきたが、平成元年には大学の組織及び職制が改正され、両科が分離されることになった。その最大の要因は、大学院の増設申請であった。即ち、同60年代は第二次ベビーブーム出生者が大学受験年齢に達するとともに、大学進学率の向上により大学の大衆化が進行しつつあり、大学の発展には大学院の充実が不可欠となってきた時代であった。東京農業大学と東京農業大学短期大学はそれぞれ別の大学であり、その理念や教育目的が異なることからもともと組織・職制通りの運営がなされるべきであったが、大学の経営上止む無くこれまで共通8研究室制度で運営されてきた。大学院は大学に 併設されるもので、文部省への申請に際して大学の組織や教員の所属を明確化しておく必要があった。そのため大学院の増設申請に先立って、醸造両科の分離が行なわれ、教員は醸造学科、醸造科それぞれの所属で固定専従化された。

平成元年1月9日、東京農業大学内田計手理事が学校法人東京農業大学理事長に就任した。同年4月1日、柳田藤治教授が農学部醸造学科長、坂井劭教授が短期大学醸造科長に就任した。同年10月1日、坂井教授は短期大学部長に推挙されたため、醸造科長職は後任の伊藤寛教授に引き継がれた。

大学院醸造学専攻の設置申請に際しては、指導教授候補者の強化を図る必要があり、同年4月1日付けで、元名古屋大学農学部教授で本学客員教授の並木満夫、静岡大学工学部講師で本学客員教授の金子太吉、前醸造試験所長の吉沢淑の3先生を農学部醸造学科所属の教授(嘱託)として招聘して、研究教育体制を整えた。

農学部醸造学科と短期大学醸造科の分離を受けて同2年に東京農業大学・同短期大学の組織及び職制が改正され、これまでの共通8研究室は醸造学科所属の6研究室(酒類生産学、醸造環境科学、食品微生物学、発酵食品化学、調味料生産学、醸造経済学)と醸造科所属の2研究室(酒類学、調味食品学)に分離され、醸造科には新たに食品微生物学研究室が設けられて3研究室体制となった。

同年7月5日、東京農業大学短期大学長石丸圀雄教授の退任に伴い、東京農業大学長松田藤四郎教授が短期大学長を兼任した。


大学院農学研究科醸造学専攻修士課程の設置

大学大衆化の進行は、大学における教育の比重を高め、研究は次第に大学から大学院へと移行していく傾向を強めることにな った。これに伴い企業の研究職採用の対象も大学卒業者から大学院修士課程修了者へと移行していった。

これまでは醸造学科を卒業して大学院に進学する場合は、農芸化学専攻に進むか他大学の大学院を受験するかのいずれかであり、大学院醸造学専攻の増設は時代の要請でもあった。東京農業大学における大学院の増設構想は、大学院が設けられていない全ての学科に2階建てで修士課程を設置するというものであった。

醸造学専攻は、醸造学および関連分野の学問における教育・研究の継続的発展を目的とし、主要科目として酒類生産学特論、調味食品生産学特論、発酵食品化学特論、微生物利用学特論の4科目を、関連科目として醸造原料学特論、酵素化学特論、分子生物学特論、生物化学工学特論、醸造環境科学特論、微生物生態学特論および食品経済学特論を設けた。指導教授 予定者として醸造学科常勤教授の他、嘱託の金子太吉教授、並木満夫教授、吉澤淑教授の協力を得て、入学定員8名」からなる修士課程の設置を文部省に申請し、認可を得て平成2年4月から「醸造学専攻(修士課程)」が開設された。専攻主任教授は醸造学科長の柳田藤治教授が兼任し、同8年度までの7年間にわたってその基礎を築かれた。その後は竹田正久教授が同9~10年度、小泉幸道教授が同11年度、山本泰教授が同12~13年度それぞれ専攻主任教授を務めた。入学志願者の増加に伴い、同6年度から入学定員を12名に増やした。


東京農業大学創立100周年

平成3年は、榎本武揚先生が徳川育英黌を創設された明治24年から数えて100周年に当たる。東京農業大学では100年の節目として記念式典、記念刊行物、各種の記念催物、記念建造物、記念国際化事業等、各種の記念行事や記念事業を計画、実施された。

式典は同年5月18日、東京プリンスホテルにて天皇・皇后両陛下をはじめ多数の来賓、大学関係者約1,000人が参列して厳粛・ 盛大に挙行された。式典後同ホテルで開催された祝賀会には約2,000人の校友が出席した。また、前夜開催された国内外招待者歓迎レセプションには秋篠宮殿下・同妃殿下がご臨席された。

松田学長は式典の式辞において、「100周年の式典は、温故知新、建学の精神を確認し、将来を展望しつつその第一歩を踏み出す日あります。我々は来るべき21世紀の人類が直面する食糧・環境・エネルギー・健康などの諸問題に対し、農学の果たす役 割の重要性を認識し、農学の教育研究を通して、人類の福祉と世界の平和に貢献するよう、一層の努力をする所存です。」との理念と決意を表明された。

天皇陛下からは「大学は今日の社会の要請にこたえるとともに、未来を目指した教育、研究の場として重大な使命を担っています。国際社会の一員としての役割が、我が国にとって極めて重要になっている現在、この大学から、国内はもとより、広く世界の 環境及び食糧にかかわる各分野に貢献する人々が、数多く輩出することを願っております。」とのお言葉が述べられた。記念出版物としては、東京農業大学100年史、同資料編、目でみる東京農大百年、新宿御苑に於ける和菊の伝統的栽培法写真図説、 東京農業大学創立100周年記念行事写真集が刊行され、記念建造物としては平成7年12月6日に百周年記念講堂が完成し、落成式が挙行された。また、100周年事業として提案された(仮称)農業博物館は、(財)進化生物学研究所との共同建造物として平成14~15年度に馬事公苑前に建設されることになっている。

東京農大創立100周年記念式典
(平成13年5月18日、於東京プリンスホテル)

8号館の建設と短期大学部醸造科の移転

平成2年4月1日、東京農業大学短期大学の名称が「東京農業大学短期大学部」に変更された。同3年3月31日、短期大学醸造学科野白喜久雄教授が定年により退職した。

年々学生数が増加する中、農学部醸造学科と短期大学部醸造学科の分離(同元年)を受けて6研究室と3研究室それぞれの体制で教育研究が進められることになったが、両科の施設は従来のままで狭く、予てから大学に施設の拡張を要望していた。大学ではこれに応える形で、醸造科専用の施設として住江記念館の北側、運動場よりに鉄骨3階建て研究棟(1,029.84m²)を新築(同3年9月に竣工)し、8号館と命名した。両学科で協議した結果、醸造学科の環境科学研究室、醸造科の酒類学研究室、調味食品学研究室、食品微生物学研究室が使用することになり、10月から新研究室での活動が開始された。


入学志願者数の記録更新と臨時定員増

平成4年4月1日、短期大学部醸造科の名称が、「短期大学部醸造学科」に改称された。
同5年4月1日、竹田正久教授が農学部醸造学科長、中西載慶教授が短期大学部醸造学科長に就任した。

平成の初期(2~4年)は第2次ベビーブーム世代の出生者が18歳に達した時代で、その後の18歳人口は同4年の205万人をピークに減少に向かい、同14年現在150万人と3/4にまで低下している。この少子化に伴う18歳人口の減少は同20年の120万人まで続くことになっている。農学部醸造学科の志願者数は18歳人口に伴って増加し、同4年には1,446名、同5年には1,884名に達した(試験検定の競争率は7.5倍)。新入生の数も次第に増加し、同3年には120名定員の1.6倍にあたる191名となっていた。

文部省では増加する大学受験浪人を減少させるため、同4~11年度までの7年間に限り、既存校には施設と教員が満たされていることを条件に臨時定員を認める措置をとった(申請は同3年度)。本学農学部の臨時定員増の認可条件は、(1)臨時定員増を含 めた学生数に対する設置基準に示す校舎面積の確保、(2)臨時定員増に伴う教員数の増加は非常勤教員で対応してもよい。(3)臨時定員増に伴う耕地面積はカウントしないというものであった。本学農学部では不足分の校舎建築計画を提出して770名の臨時定員増枠を申請した。認可された農学部醸造学科の臨時定員枠は80名で、従来の定員120名と合わせた新規入学定員は200名となり、翌年4月から実施された。1学年200名という学生数は大学教育の限界であることから、実員の定員化的な意味合いで理解され、今後これ以上に学生数を増やさないことが大学と学科の間で申し合わされた。

競争率が高くなると翌年は敬遠されるためか、同4年以降の志願者数は1,500~1,900の間で隔年ごとに増減を繰り返し、同10年には醸造学科開設以来最高の2,072名を記録した。同年は大学全体の志願者も24,455名と最高を記録した年でもあり、農学部再編成(後述)に伴う5学部体制下でのはじめての入試で、受験生に注目されたことが志願者増に繋がったものと思われる。

上述のような18歳人口減少期に志願者数が増加した要因は、同5年から実施しているキャンパス見学会や同7年から開始した一般入試A日程(地方入試)などの志願者増加策の効果であることは勿論であるが、特筆すべきは女子の志願者・合格者が年々増加していることである。志願者数に占める女子の割合は同2年の23%、同4年の38%、同6年の43%、同8年の49%、同10年 の51%と増加し、現在では女子の志願者が過半数を占めている。入学者数に占める女子の割合もほぼ同様で、同2年の22%から漸増し、現在では45%程度となっている。昭和40年代には数名であった女子学生が半数を占めるようになったことは時代の変化とはいえ、隔世の感がある。

短期大学部醸造学科の志願者数は、平成2年までは300名程度であったが、同3年には一般入試のII期試験が導入され、農学部醸造学科と同様のキャンパス見学会、A日程入試効果により志願者数が増加し、同10年まで700~900名の志願者が続いた。特に同9年は過去最高の934名を記録した。志願者数、入学者数に占める女子の割合は、共に同3年以降今日まで70~ 80%で恒常化している。


少子化に伴う志願者の減少

平成6年3月31日、農学部醸造学科米山平教授、同並木満夫教授(嘱託)が定年により退職した。4月1日前名古屋大学農学部教授鵜高重三先生が農学部醸造学科教授(嘱託)として着任した。同日、東京農業大学農学部、同短期大学部のカリキュラム変更に伴い、教養課程が廃止され、村岡萬壽子助教授(外国語)および高田栄三助教授(体育)が農学部醸造学科の所属、安藤達彦助教授が短期大学部醸造学科の所属となった。

同7年4月1日、高橋力也教授が農学部醸造学科長、中田久保教授が短期大学部醸造学科長に、10月1日、前短期大学部醸 造学科長の中西載慶教授が短期大学部長に就任した。

両醸造学科は、上述のように同10年までは学科開設以来の高い志願者数を確保することができたが、全国的にみれば同6年以降は少子化に加えてバブル経済崩壊の影響が現れ、殆んどの大学で志願者数を減少させた。経済不況の長期化は、地方の進学希望者を比較的学費や生活費の負担の軽い地元の国公立大学に向かわせることになり、都会の私立大学の学生募集は 厳しくなりつつある。日本私立学校振興・共済事業団の調査では、定員割れを起こした私立大学の数は同12年度133校(全体の 28.2%)、同13年度149校(同30.2%)、同14年度143校(同28.3%)、私立短期大学では、同12年度265校(同58.5%)、同13年度 246校(同55%)、同14年度210校(同48.4%)となっている。

同11年以降は、応用生物科学部醸造科学科(旧農学部醸造学科)、短期大学部醸造学科とも受験者数を減らしていることから、学生募集には一層の努力が必要となっている。因みに同14年の志願者数は応用生物科学部醸造科学科1,350名(同10年度 比で35%減)、短期大学部醸造学科492名(同9年度比で47%減)であった。

同8年3月31日、農学部醸造学科好井久雄教授が、同9年3月31日には同金子太吉教授(嘱託)が定年により退職し、4月1日、 前本学大学院醸造学専攻非常勤講師山里一英先生が農学部醸造学科教授(嘱託)として着任した。同日、山本泰教授が農学部醸造学科長に就任した。


農学部の再編成

創立100周年に際し、松田藤四郎学長はその理念として「将来とも食糧、環境、エネルギー、健康など人間生活の問題解決とそれらに関連する産業の発展に対し、農学およびその周辺分野の学術の『研究教育』を通して貢献する」との本学の果たす使命を表明した。これを実現するには、これまでの農業を中心とした農学部を見直し、農学・生物系総合大学を念頭おいた学部学科体制とすることが必要であるとの基本方針のもとに、大学改革が検討され、東京農業大学を3キャンパス、5学部、15学科に再編成する計画が文部省に申請され、認可を得て平成10年4月1日から新体制がスタートした。

具体的には、これまでの世田谷キャンパスの農学部を分割、再編、改組し、【1】(新)農学部、【2】応用生物科学部、【3】地域環境科 学部、【4】国際食糧情報学部とし、オホーツクキャンパスの【5】生物産業学部を合わせて5学部体制とした。(新)農学部は、新しく厚木農場内にキャンパスを建設し、従来の教育研究に加えて生態系保全型農業や都市農学のような新分野の開拓を目指すことが目標とされた。

次に、世田谷キャンパス3学部のうちの2学部に、社会的要請の強い2学科が増設された。即ち、応用生物科学部にはバイオ分野における生物の基本反応、ならびに高度の生物機能研究を対象とする「バイオサイエンス学科」が、また国際食糧情報学部には、諸外国からの留学生にも広く門戸を開放して、世界の食糧情報の研究や国際的企業経営者を教育する「生物企業情報学 科」が新設された。そして、既存の学科もそれぞれの新学部の理念に沿った内容に整えるとともに学科名も改称され、次のように体系化された。

農学部の分割・再編成による新学部及び新学科(カッコ内は入学定員)

【1】農学部:農学科(240)、畜産学科(200) 
【2】応用生物科学部:バイオサイエンス学科(120)、生物応用化学科(120)、醸造科学科(120)、
栄養科学科食品栄養学専攻(80)、同管理栄養士専攻(80)
【3】地域環境科学部:森林総合科学科(120)、生産環境工学科(120)、造園科学科(120)
【4】国際食料情報学部:国際農業開発学科(120)、食料環境経済学科昼間主コース(120)・夜間主コース(50)、生物企業情報学科昼間主コース(120)・夜間主コース(50)

なお、農学科と畜産学科からなる農学部は同10年4月の新入生から厚木キャンパスで授業を開始し、同12年3月に4年次学生、大学院生、教職員等を含めた学科の全てが世田谷キャンパスから厚木キャンパスに引越し、4月には完全な姿で新年度を迎 えた。

農学部醸造学科開設以来50年間にわたって、醸造経営学を中心とした後継者教育ならびに食品経済研究を通じて企業経営技術者育成の役割を担ってきた「醸造経済学研究室(木原高治講師)」は、再編成により新たに開設された国際食料情報学部生物 企業情報学科に組み込まれ、醸造科学科は醸造・食品関連分野を研究対象とする生物・化学系学科となった。これらの再編計画が進められていた同9年8月30日、農学部醸造学科1期入学生で、卒業後醸造学科教員として永年勤められた宮本守助教授が病気により現職(63歳)で他界されたことは、醸造後継者育成時代の終わりを告げるかのようで、関係者には痛恨の極みであった。

平成9年6月10日、教授会において「研究室のあり方委員会の答申」が承認され、分野制が導入されることとなった。答申で示された組織は、「従来の研究室制度に代わるものとして、各学科にその教育・研究目的に即した2,3の分野をおき、分野の下に講師以上の個人を単位とする研究室を置く」というものであった。この考え方は、社会科学系学科では容易に受け入れられたものの、多くの技術系学科では個人単位の研究室では助手の育成や研究室運用面で問題のあることが指摘され、研究室体制は学科の意向に任されることになった。醸造科学科では、「醸造微生物学分野」として醸造微生物学研究室、「醸造技術分野」として 発酵食品化学研究室、調味料生産学研究室(同12年10月、調味食品科学研究室と改称)、酒類生産学研究室(同日、発酵生産科学研究室と改称)、「醸造環境学分野」として醸造環境科学研究室を提案し、教授会で承認された。

同10年4月1日、小泉武夫教授が応用生物科学部醸造科学科長に就任した。同日、再編に伴う人事異動により総合研究所の薮田五郎助教授(有機合成化学)が醸造科学科の所属となり、同13年4月1日醸造環境学分野に「醸造資源化学研究室」が増設された。


臨時定員増枠確保の必要性と入学定員の恒常化

平成4年から実施された臨時定員は、同11年度で終了することになっていた。臨時定員増の認可基準は恒常的定員増に比べてはるかに緩く、臨時定員枠を得た私立大学は、実質的に経営面で恩恵を受けてきたことになるが、この間に施設や教員の拡充が進み、経営的に臨時定員実施前の状態に戻ることができなくなっていた。そこで文部省では、同12年以降も条件付で5年間臨時定員の延長を認めることになった。

本学では農学部の再編成に際し、財政基盤の強化を含めて学科入学定員が検討されてきた。即ち、将来にわたって安定した経営を続けるためには、これまでの入学定員2,050名(恒常的定員1,280名+臨時定員770名)の確保が必要であった。しかし、農学部のある世田谷キャンパスは、東京都区内に適用される「工場等制限法」により、教室建設の制限があり、臨時定員枠の恒常的定員化は困難であった。東京農業大学百十年史には「本学が必要とする2,050名の入学定員を確保するには最低臨時定員の 内の320名を恒常化してもらう必要がある。つまり、(恒常的定員1,280名+臨時定員320名)=1,600名×1.3倍=2,080名である (1.3倍は文部省が指導している定員超過限度)。320名は臨時定員増枠770名の41.5%にあたる。」との基本的要件が記されている。この臨時定員枠を恒常化するための施策として、1学部を厚木農場に移転すること、移転学部は新農学部(農学科・畜産学 科)とすることが農学部教授会で承認され、厚木キャンパス設置の具体化が進行した。そして世田谷から厚木に移転する農学科・ 畜産学科の恒常定員280名の定員枠を使って世田谷キャンパスに新学科を設置する方針が示された。新設学科はバイオサイエ ンス学科と生物企業情報学科で、前者は先端科学技術、後者は外国人の受け入れ(定員の30%)を根拠として、「工場等制限法」の例外規定の適用を目指すことで、申請が進められた。

学部・学科の再編により「農学部醸造学科」は「応用生物科学部醸造科学科」に改称された。同11年7月5日、学長選挙により地域環境科学部長進士五十八教授が選出され、第10代学長に、7月16日松田藤四郎前学長 が学校法人東京農業大学理事長にそれぞれ就任した。

同年7月28日、臨時的定員の延長および恒常的定員化に関わる学則変更の申請が認可された。臨時定員を除く醸造科学科の 入学定員は120名から140名に変更された。そして臨時定員を合わせた同11年度の入学定員200名は同12年度172名、同13年度164名、同14年度156名、同15年度148名と段階的に減少させ、同16年度で臨時定員を含まない実定員となり、以降恒常化 される。

上述のように経営基盤の強化には、入学者数として同11年度の定員数200名を確保する必要があるので、定員の減少に伴って最高1.3倍(140名×1.3倍=182名)まで定員超過率が上昇することになる。


2号館の改修と醸造科学科の移転

平成12年3月31日、短期大学部醸造学科伊藤寛教授が定年により退職した。4月1日、小泉幸道教授が醸造科学科長に就任した。同日、応用生物科学部所属菌株保存室岡田早苗教授・澁谷美佳副手、同教養分野高橋栄一教授・同沖津ミサ子教授が、醸造科学科兼務となった。

大学では農学・畜産の両学科が厚木キャンパスに引っ越した後の世田谷キャンパスの再整備事業として世田谷キャンパスリフ レッシュ計画が立てられ12~13年度は構築物、その後は校地部分の整備が行なわれることになった。醸造科学科は、これまで住江記念館を中心に7号館4階の醸造微生物学研究室および学生実験室、8号館2階の醸造環境科学研究室に分散配置され、 占有面積も他学科に比べて少なく、予てから大学に学科専用施設の新築を要求してきた。しかし、学部・学科の再編成に伴う整 備事業が優先され、これまで手付かずの状態になっていた。住江記念館は昭和33年の1期工事を含めて5回の増改築工事によ り完成したが、45年の歳月を経て老朽化が進行し、特に耐震構造となっていないため、地震による崩壊の危険性が指摘されていた。このような時期に上述の再整備事業が計画され、「大学の財政および整備計画上、新築ではないが、これまで農学・畜産の 両学科が使用してきた2号館1階を全面改修し、最優先で醸造科学科の使用を認めることとしたいので、了承を願いたい」との大学案が示され、学科の賛同を経て醸造科学科の2号館移転が決定した。2号館の改修工事は同12年9月に完了し、見まがうば かりに甦った。夏期休暇中に引越しが行なわれ、後学期から使用が開始された。
同時に学生実験室は18号館3~4階(短大部醸造学科は同館8階)に引越し、精米所・培養室(2階建)は2号館隣接の空地に新築された。

同12年11月25日、東京農業大学短期大学部創立50周年記念式典が百周年記念講堂において挙行され、祝賀会がレストランすずしろ、カフェテリア・グリーンで開催された。

同13年3月31日、醸造科学科鵜高重三教授(嘱託)が定年により退職した。
同13年6月18日、醸造科学科・醸造学科教職員、醸造両科創設者故住江金之先生のご子息太郎・次郎両氏列席のもと、住江記念館の閉館式を醸造科学科会議室において挙行し、住江記念館前で記念撮影を行った。
同年11月1日、東京農業大学創立110周年記念式典が百周年記念講堂において挙行され、祝賀会がレストランすずしろ、カフェテリア・グリーンで開催された。


大学院農学研究科博士後期課程の増設

大学院醸造学専攻修士課程は、平成2年4月に開設され、同14年度までに146名の入学者を受け入れてきた。醸造学専攻修了者の中には博士課程への進学希望者がおり、これまでは本学の農芸化学専攻、生物環境調節学専攻または農学系国立大学大学院の博士後期課程に進学していた。また自前で博士論文の審査ができることは、学科並びに専攻評価の向上に繋がること等から醸造学専攻においては、予てから博士後期課程の設置が望まれていた。

大学としては学部・学科の再編成が一段落したことで、大学院が次の改革目標となっていた。大学院の改革は全学審議会に 設置された「大学院将来構想計画委員会」に検討が付託され、同12年5月10日付けでその答申案が報告・承認された。醸造学専攻に関係する部分を抜粋すれば、「現行の農学研究科は改組・分離することなく存続させること。現在修士課程のみを設置している専攻については、専攻内の準備が整い次第博士後期課程の申請を行なう。」等である。そこで、この内容に沿って申請準備が進められたが、本学では教授の定年70歳を段階的に引き下げ、5年間かけて65歳とする政策が同13年度から実施され、これが進行中であるが、指導教授の資格として、所定の業績の他、後期課程認可後完成年度まで現職であることが審査条件となっていたため、若手の教授で対応せざるを得なかった。

申請に先立ち、認可されることを前提に主要科目や担当者の見直し(学則の改正)を行い、入学定員2名で同13年6月に増設を申請した。同年末に増設認可、同14年4月醸造学専攻博士後期課程開設となった。開校年度の入学者は3名であった。これに伴い、醸造学専攻修士課程は「同博士前期課程」に呼称変更された。

これまで醸造学専攻では、廃水処理などに利用する環境微生物を「微生物利用学特論」の中に含めることで対応してきたが、 同特論は醸造微生物を扱う講座であり、もともと環境微生物を醸造微生物と同じ立場で扱うことには無理があった。また、近年環境微生物学分野を希望する院生が増加したことも含め、これらが主要科目変更(学則改正)の背景となった。主要科目の変更点 は、(1)科目分野が近い「発酵食品化学特論」と「調味料生産学特論」を併合して「発酵食品学特論」とし、(2)「醸造環境科学特論」 を新たに主要科目としたことである。新主要科目はこれらに従来からの「酒類生産学特論」、「微生物利用学特論」を加えた4科目で構成されることとなった。博士後期課程の指導教授には、醸造科学科所属の常勤教授の他、菌株保存室の岡田早苗教授にも協力をお願いした。

同14年2月26日、醸造環境科学研究室を育てられた高橋力也教授が現職(61歳)で他界された。醸造科学科醸造環境学分野にとってその損失は計り知れない。
同年2月28日、東京農業大学は、国際標準化機構(ISO)が取り決めている環境関連規格ISO14001の認証を取得した。
同年3月31日、応用生物科学部醸造科学科柳田藤治教授、短期大学部醸造学科坂井劭教授が定年により退職した。
同年4月1日、鈴木昌治教授が醸造学専攻主任、角田潔和教授が醸造科学科長にそれぞれ就任した。同日、短期大学部醸造学科に新たに食品分析化学研究室(安藤達彦教授)を設けた。


醸造科学科創立50周年記念式典・祝賀会

応用生物科学部醸造科学科は、昭和25年に設置された短期大学醸造科を母体として同28年4月に発足し、平成15年に創立50周年を迎える。醸造科学科では歴史を振り返り、将来を展望する節目の年として学科内に「醸造科学科創立50周年記念事業 実行委員会」を設置して記念式典、祝賀会および記念誌発行事業を行なうことを計画した。記念式典と同祝賀会は同14年12月7 日、百周年記念講堂、レストランすずしろにおいてそれぞれ挙行された。

式典は、小泉幸道教授の司会で進められ、角田潔和学科長の式辞、進士五十八学長、松田藤四郎理事長の挨拶、西太一郎 三和酒類(株)会長(農学部醸造学科昭和36年卒業、本学客員教授)、七条明衆議院議員(農学部醸造学科同50年卒業)の祝辞に続いて表彰状・感謝状が授与され、東京農業大学全学応援団による学歌斉唱で締め括られた。進士学長は挨拶の中で「醸造科学科は、初代学長横井時敬先生の『農学は実学なり』、『人物を畑に還す』の言葉に代表される農大精神を忠実に受け継ぎ、それを実践している学科で、醸造業後継者の育成に力を注ぎ、わが国の醸造業、食品産業の発展に大きく貢献している」との言葉を、また松田理事長は「昭和50年代には志願者が少なく、当時の理事会において学科名の変更が議論された。この時もしも学科名を変更していたならば、今日の醸造科学科の隆盛はなかった。経営者たる者は学科の将来について慎重であらねばならない」との戒めを込めた逸話を披露された。
表彰状・感謝状が授与された方々は次の通りである。

表彰状(敬称略):緑川敬、桜井宏年、鈴木明治、野白喜久雄、伊藤寛、米山平、柳田藤治、坂井劭、竹田正久、並木満夫、金子太吉、鵜高重三、吉澤淑、山里一英

感謝状(敬称略):住江太郎、伊矢野誠一郎

醸造科学科創立50周年記念式典
(平成14年12月7日 百周年記念講堂にて)

祝賀会は、薮田五郎助教授の司会で進められた。小泉武夫教授の開会宣言に続いて角田学科長、進士学長の挨拶の後、進士学長、松田理事長、大澤貫寿応用生物科学部長、西太一客員教授、角田学科長による鏡開き、大澤部長の乾杯で始まり、中田久保短期大学部醸造学科長の閉会の辞でお開きとなった。

なお、「醸造科学科創立50周年記念誌」は、平成15年夏の発行を予定し、編集委員会(委員長 山本泰教授)において鋭意作業が進められている。
平成15年3月31日、醸造科学科竹田正久教授、吉澤淑教授(嘱託)、山里一英教授(嘱託)が定年により退職した。


以上、醸造科学科50年の歩みを「醸造科学科50年史概要」としてまとめたが、調査不足の感は免れない。応用生物科学部醸造科学科は昭和の末期まで、短期大学部醸造学科とともに歩んできたこともあり、両学科の区別がつけられない部分が多く、複雑化している。醸造両科では創立10周年と20周年の式典及び祝賀会は開催したものの、いずれも記念誌は出版されていない。 50年の歳月を経て、学科の草創期を知る人も次第に少なくなりつつある。現在の醸造科学科・醸造学科は本概要の如く幾多の変遷を経て築かれたものであり、両学科に奉職する教職員、学生、卒業生など関係者には、是非この機会に学科の生い立ちと歩んできた道を知っていただき、将来の発展に繋げていただくことを念願するものである。

醸造科学科に永年お世話になった者として学科の沿革を後世に残す必要性と義務を感じ、編集委員長を仰せつかったこの機会に本稿を執筆させていただいた。可能な限りの調査に基づいた実録であるが、もし、間違いや漏れにお気付きの場合はご指摘 をいただき、次の記念誌で訂正させていただく所存であります。お気づきの点についてご指摘いただければ幸甚です。

(文責 山本 泰)

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