メニュー

応用生物科学部醸造科学科 醸友会

退職記念

平成25年3月をもって定年退職された中西載慶教授(短期醸造学科食品微生物学研究室)から御寄稿戴きました。

中西載慶

「定年満限により、職をとく」。たった一行の本学の退職辞令である。極めて簡潔明瞭で、かえって清々しい気分で、感慨深く、この辞令を手にした。退職して、数か月が過ぎたが、講義、講演、月刊誌の連載執筆、独立行政法人の研究所の評価委員など、退職前と大きな違いもなく相変わらずバタバタ、セカセカと日を送っている。そのせいか退職の実感が今一つで、第2の人生の始まりというよりは、第1.5の人生、セミリタイヤの人生とでも言った方が適切とも思う。当面、この生活をできるだけ長く継続できればと考えている。

私の好きな言葉に、幕末の儒学者、佐藤一斎の「少にして学べば即ち壮にして為すことあり、壮にして学べば即ち老にして衰えず、老にして学べば即ち死して朽ちず」がある。学び続けること、好奇心を持ち続けることが、アンチエイジングの妙薬だ、などとも公言している手前、自らも肝に銘じて実践しなければと思っている。

性格的に過ぎた過去を振り返るのは好きではないが、一応の区切りでもあるので、自身の記憶の確認の意味も含めて、私の育研究活動を振り返ってみたいと思う。私の研究者としての出発点は、大学院卒業後の東京教育大学(現筑波大学)農学部付属木材糖化研究施設に始まる。その後大学の移転に伴い、筑波大学応用生物化学系、山梨大学工学部で教育研究にあたった。この頃は、教育よりも研究にウエイトがあり、自ら様々なテーマに取り組み、ほとんどの時間を研究に費やした。今思うと、不遇の時期もあったが、めげることなく、研究に没頭したお蔭で、多くの技術や知識を身に着けることができた。我ながらよくやったなあ、と思う。若かったからできたのかもしれない。若さとは本当に何事にも代えがたい財産だと、歳とともに実感する。

私の教育研究人生において、最も意義深く、楽しく、思い出多き時期は、なんといっても自らの研究室を立ち上げる機会を得た東京農業大学時代である。平成3年、42歳の時である。東京農業大学短期大学部醸造学科の食品微生物学研究室の新設に伴い採用されたのである。大学で研究室の新設に巡り合うチャンスはめったになく、そのうえ、当時は定年が国立大学よりずっと長く70歳であり、私の活動分野においても子供の教育にも東京は好都合であった。それらが大きな魅力で、国立大学より農大に移った。在職中に定年が65歳になったのは最初の思惑とは違ったが、65歳定年制の実施は、農大にとっても、私自身にとっても余力を残して一区切りする意味で適切だったと今は思っている。

いずれにしても農大生活22年間、思いどおりの研究室づくりができ、悔いのない教育と研究に携わることができたように思う。また、農大の気風や気質が性に合ったのか農大で出会った多くの人々、農大で培った多くの人脈や経験が、今の私の大きな財産となっている。私の人生、まだ先があるけれど、農大での教育研究生活は、おそらく私の人生で最も充実した価値あるものであったと思う。

そこで、退職にあたり、わが身を振り返り、農大における、私自身の22年間を自己評価してみた。少々格好をつけた言い方ではあるが、農大で教鞭を執るにあたり、大学の教員として、農大の教員として、研究室の主任教授として大切なことは、(1)社会で活躍できる人材を育成すること(2)自分の研究を通じて、学問の発展に寄与し、また成果を社会に還元すること(3)大学の管理・運営や大学の発展に貢献すること、少なくともこの3点を胸に刻み努力してきたつもりである。人材育成については、私が最初に送り出した学生が、今やっと40代前半となった。責任ある地位につき責任ある仕事をしている卒業生が多くなり、とても嬉しく思う。しかし、ほとんどの卒業生は、まだ若く人生も仕事もまさにこれからという年齢である。末永く見守っていくつもりであるが、人材育成における私の評価は、未だ定まらずというところだろうか。

2つめの研究については、意欲的なスタッフ、学生、院生の皆さんのお蔭もあり、多くの論文と研究発表を蓄積することができた。企業との共同研究や産官学のプロジェクト研究なども手掛け、外部資金もかなり獲得し研究室の整備も進めることができた。赴任当時の思惑とは異なり、大学の管理運営の仕事に多くの時間がとられ、研究時間が制約されたこともあり、専門分野の研究成果としては、自己評価70点というところだろうか。一方、大学や省庁の外部評価委員や市町村や関連団体の講演依頼等も誠意をもって勤めたので、社会貢献については、自己評価合格といっていいだろう。

3つめの大学の管理、運営、広報などについては、勤務3年目で醸造学科長を拝命して以来、続けて短期大学部長、学校法人東京農大評議委員会議長、東京農大生活協同組合理事長、学生サービスセンター長、副学長、東京農業大学第一高等学校・同中等部校長など、兼務を含め、通算17年間も管理職を務めたことになる。その間、理事長、学長はじめ多くの方々の理解と支援により、私のアイデアのいくつかを具現化することができた。それらが、今も本学で発展をつづけている現状をみると、少なからず、農大の発展に貢献したと自己評価しているところである。また、本学の新実学ジャーナルや一般雑誌の執筆、講演など、大学の広報にも一生懸命取り組んだので、これも一応合格点と思う。

醸友会に掲載の原稿としては、収穫祭のこと、課外活動のこと、卒業生の皆さんとの交流のこと、入学式・卒業式・教育後援会のこと、研究室旅行のこと、職員旅行のこと、学科会議、主任会議のことなどにもふれるべきとも思う。しかし、書きつくせないほど、語りつくせないほど、なつかしさと思い出がいっぱいである。面白いエピソードもふんだんにある。冗長になるので、機会あるごとに、小出しにして、関係者の皆さんと語り合えることを楽しみにしている。

農大に勤務して22年、「農大に入学して良かった、農大で学んで良かった、農大を卒業して良かった」、「醸造(科)学科に入学して良かった、醸造(科)学科で学んで良かった、醸造(科)学科を卒業して良かった」と思ってもらえることをモットーに努力してきた。この結果ばかりは、自分では評価できないが、今、私自身が「農大に務めて良かった、農大で教鞭をとれて良かった、農大で定年を迎えられて良かった」と心から思っている次第である。

農大での22年間、無事職務を全うできたのは、人間味豊かな醸造両科の諸先生方、研究室の立ち上げ時から、助手、講師、助(准)教授として私のパートナーとして頑張り支えてくれた現徳田教授、新たに研究室スタッフとして加わってくれた本間助教、そして研究室所属の学生、卒業生の皆さん、並びに関係した多くの方々のお蔭と、改めて感謝の気持ちで一杯である。今のところ、頭と口は相変わらず健在なので、お役にたてるところで、それなりにお役にたてればと思っている。また、醸造両科の教職員、在学生、卒業生の皆さんの今後の活躍と発展を心より願うとともに、微力であるが、今後も研究室、醸造両科、そして東京農大の益々の発展に向け後方から支援を続けたいと思う。特に卒業生の皆さんとは、末永くお付き合いできるよう体力、気力、知力、資金力を維持し続けなければならないと感じている次第である。

(週1日農大でも講義を担当しています。メールアドレス:nakanisi@nodai.ac.jp)

ページの先頭へ