新・実学ジャーナル 2026年6月号(No.183)
「食と農」の博物館の学術的役割と未来
− 食文化ミュージアム認定が拓く知の発信拠点としての進化 −
2004年に開館した「食と農」の博物館。
その源流は「日本の博物館の父」としても知られる東京農業大学前身の東京高等農学校の初代校長・田中芳男氏が1904年に設置した標本室にさかのぼります。長い歴史の中で培ってきた食と農に関する多様な展示は、学内外に広く情報や知識を提供します。2026年3月に本博物館は文化庁「食文化ミュージアム」に認定されました。
この知のアーカイブをどのように未来へ継承していくのか、「食と農」の博物館 前橋健二館長にお話を伺いました。
―「食と農」の博物館について概要を教えてください。

「食と農」の博物館は、東京農業大学が所蔵する学術資料と研究成果を地域に発信する基地としての役割を担っており、 また同時に、実物資料を活用した学生たちの教育活動の実践の場でもあります。そして、イベントや講演会、学校等の見学受入を通じた教育普及にもつとめ、食と農に関わる様々な展示を行っています。
常設展示では、農作業の歴史を学べる全国から寄贈・収集された約3000点もの貴重な古農機具の一部、原種から鑑賞用・愛玩用そして家禽まで国内外およそ40品種の貴重なニワトリ剥製標本、酒造り・酒文化を学べる200点以上の酒関連資料の一部と農大卒業生69蔵元の酒瓶等が展示されています。また、年に1、2回入れ替わる企画展示では、東京農業大学の研究成果に関連した魅力ある展示をタイムリーに行っています。
―文化庁「食文化ミュージアム」の認定までの経緯や評価された点等を教えてください。
食文化ミュージアムは3つのカテゴリーに分かれており、①博物館・美術館、②道の駅、③食関連施設となっています。東京農業大学「食と農」の博物館はカテゴリー①での認定で、このカテゴリーでは令和7年度までに26件の施設が認定されましたが、大学博物館としては当館が全国で2件目となりました。
食文化ミュージアムの対象となる要件は二つあります。一つは、地域に根差した食文化又は特定分野の食文化を体系的に発信する施設、もう一つは食文化への学びや体験を提供する施設であることです。これらの一つまたは二つを満たしていて、かつ一般公開され誰でも利用可能な施設であることです。
文化庁が毎年度公募を行っているためこれに応募したところ、有識者委員会より非常に高い評価を賜り、令和7年度認定に至りました。令和7年2月27日に開催された文化庁「100年フードサミット」に新規認定団体の代表として招待され、事例紹介とパネルディスカッション「食文化でつながる人々の”力”」に登壇して参りました。

―文化庁「食文化ミュージアム」の認定についてお気持ち(感想等)をお聞かせください。
「食と農」の博物館は、東京農業大学の研究教育で蓄積された食文化に関する情報が収集・展示されており、セミナー・イベントを通じて食の学びや体験の提供にも取り組んでいますので、食文化ミュージアムの趣旨によく合致していると思います。そこをよく評価していただけたことをうれしく思います。
当館は、東京農業大学という食に専門性の高い大学の博物館ですが、ただ古い資料を見せるだけではなく、大学で「今」行われている研究成果を公開することや、関連企業や自治体との連携を通じて、広く人やモノを繋ぐ場としての役割、ハブとしての機能を担っています。地域の来館者に対しては、常設展示を通じて過去の農業に親しんで頂き、また、企画展を通じて大学の教育活動の成果をご覧いただいています。そして物産イベントや講演会などを通じて、生産者や企業・地方自治体と消費者を結びます。こうした教育普及活動を通じて、未来の食文化・農業に繋げていくことが我々のミッションと考えています。
―「食と農」の博物館に期待する役割があれば教えてください。
「食と農」の博物館は、ほかの多くの博物館が基本的に閉鎖空間となっているのとは異なり、大きな窓ガラスで、明るい光が差し込む館内から美しい緑の欅並木を見渡せる、開放的な構造になっています。

当館は知の情報発信基地であり近隣地域に愛されるコミュニティセンターでもあります。今後も近隣住民や子ども連れの方々が気軽に立ち寄って食と農の学びを得られる場を提供していければと思います。
一方、東京農業大学の研究成果に関わる知の発信拠点としても当館は重要な役割を担っています。令和7年度には、「食と農」の博物館研究紀要を創刊し、これは当館及び東京農業大学の研究資源や活動に関わる諸分野を包含した研究成果を広く社会に伝えることを目的としています。博物館の研究紀要なので、本来は博物館資料に関連する研究報告が中心になるところでしょうが、当館の役割上、東京農業大学の知の情報発信に重点を置く必要があると思います。
現在は主に企画展示等において学内の先生方の協力のもと東京農業大学の知の発信を行っているところですが、「食と農」の博物館研究紀要は令和7年度の第2号からオンラインジャーナルとなりますので、学内教員による研究成果や有用知見を解説記事や資料として迅速にリリースし、世間にアピールするプラットフォームとしての役割が強化されることを期待します。
―今後、どのように博物館をより発展させていきたいですか。
「食と農」の博物館は、コロナ禍以前は館内に人気カフェを備えていたため、まさにコミュニティセンターとして多くの近隣住民の方々に利用していただいていました。しかし日曜閉館となりカフェ営業停止となって以来、カフェは閉鎖されたままです。以前通りに復帰することはできませんが、今年4月から土日開館になりましたので、ゆくゆくは館内に簡易的な規模であってもカフェスペースを再設置できればと考えています。現在のミニ図書コーナーをもっと拡大して、食と農の分野に特化した博物館カフェ・ライブラリーが実現されれば、地域に根差した食文化情報発信基地としての役割はさらに高まることが期待されます。
現在は、2023年に改正された博物館法に基づく「登録博物館」としての登録を目指して、要件を満たすべく着々と準備を進めているところですが、その傍ら、常設展示のリニューアルも少しずつ進めています。当館は「食文化ミュージアム」に認定されましたが、まだまだ食文化の学びと体験を強化する余地はあります。東京農業大学が持つ、食文化情報に関する豊富なコンテンツを生かして展示を工夫し、食と農への好奇心を掻き立てられる場となることを目指したいと思います。
―最後に前橋館長の博物館おすすめポイントを教えてください!
私は醸造科学科所属なので、やはり酒造りと酒文化に関する常設展示に思い入れがあります。令和7年には、館内で150年前のみりんのウィーン万博賞状が見つかったことをきっかけに、新たに醸造の歴史コーナーを設置しました。現在当館で展示されている賞状はレプリカですが、明治6年に日本の醸造物が世界進出していた事実を示す貴重な史料に触れて、我が国醸造産業の1千年余の歩みを学ぶきっかけになればと思います。


そして現在の目玉は、何といっても企画展示「猫のすゝめ」です。猫?と驚かれるかもしれませんが、東京農業大学では猫の行動学的研究も行われています。猫と人類の付き合いは非常に長く、農業が始まったころから猫は人々の生活に深く根付いていて、収穫した大切な穀物をネズミから守ってくれていたのです。本展示のテーマは「猫×農学研究」。力強い大型ネコ科動物の剥製と愛らしい飼い猫のフェルト人形が対照的です。猫の科学、猫の気持ち、猫と農業、また食の循環や野生動物の保護についても学ぶことができます。本展示は8月30日まで開催されております。ぜひお越しください。
「食と農」の博物館 建造物について
建物は、建築家 隈研吾氏が設計したものです。芦野石製の縦ルーバーが目を引きます。素材の選択においては「エイジング」をテーマとして、時と共に色合いが美しく変化する自然素材を用いています。
文化庁 食文化ミュージアムとは
文化庁では、食文化への学びや体験の提供に取り組む博物館、施設等に関する情報をウェブ上の仮想ミュージアム「食文化ミュージアム」で一体的に発信する取り組みを令和3年度から実施しています。 これまでに149件の施設が「食文化ミュージアム」として認定され、各種メディアで認定施設の活動が取り上げられたり、ウェブサイト・SNS で積極的な情報発信が行われるなど、食文化ミュージアムの取り組みが広がっています。

前橋 健二 教授
東京農業大学 応用生物科学部 醸造科学科
調味食品科学研究室
研究テーマ:発酵食品の香味特性に関する研究
