東京農業大学

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スーパー農学の知恵

アザラシ類の生態解明へ

温暖化の影響、漁業との軋轢も

生物産業学部アクアバイオ学科 教授 小林 万里

私がアザラシ類を研究対象にしている理由は三つある。アザラシ類が我々と同じ哺乳類であるということ、海洋の高次捕食者であること、最後の一つは、北海道を分布域の南限としていることである。南限であるがゆえに、深刻な地球温暖化の影響を受けやすい彼らの生態を調べるとともに、北海道の基盤産業である漁業との軋轢やそれらとの共存を考えていくことは、ここオホーツクキャンパスで研究すべきことと感じている。

 

海に適応するための進化

アザラシを研究する一つ目の理由、すなわち、もともと我々と同じ陸生哺乳類であったアザラシ類が海へ適応するためにどのような進化を遂げてきたかを調べることは、生物学的にも進化学的にも興味が湧くことである。

海の生態系の変化や汚染状況は我々の目に直接見ることはできない。それを海の高次捕食者であるアザラシ類から評価できないかと考えたのが二つ目の理由である。彼らは、餌が多い寒い海で生活するため皮下に脂肪をつけ、選り好みせず多く生息する魚を沢山捕食するために、彼らの食性から海の生態系の変化を、また、魚の中の汚染物質が生物濃縮によって皮下脂肪に蓄積されるため、それらを指標に汚染状況をモニタリングできる。

三つ目。分布域の南限が北海道であることは、地球温暖化の影響を受けやすい上に、ここは世界的に見ても最も南まで流氷が存在するオホーツク海を含む。流氷を必要とするアザラシ類が来遊・生息するため、流氷の変化に伴うこれらのアザラシ類の変化を追うことは、漁業との軋轢の問題や彼らとの共存を考えることにもつながる。

 

北海道に来遊・生息する2種

世界にアザラシ類は19種現存していると言われているが、そのうち5種が北海道沿岸まで分布域をもつ。しかし、実際に頻繁に目撃できるアザラシ類はゴマフアザラシとゼニガタアザラシであり、私の主な研究対象もその2種である。

これら2種は大型哺乳類には珍しく、1980年代まで同種と考えられていた。体格など似たところも多いが、ゴマフアザラシは、夏の採餌期と冬の繁殖海域をもちその間を広域移動する種で、出産はオホーツク海の流氷上で3月中旬〜4月中旬にかけ、赤ちゃんは白い産毛(流氷の保護色になる)で覆われて生まれてくる。

一方、ゼニガタアザラシは定着性が強く周年岩礁で生活し、同じ岩礁上で出産する。赤ちゃんは白い産毛をお母さんの体内で脱いで4月下旬〜5月下旬にかけてお母さんと同様の黒い体色(岩礁の保護色となる)で生まれてくる。これら2種の夏の分布域は、北方四島で重なり、主にそれ以北にゴマフアザラシ、それ以南の太平洋側にゼニガタアザラシが生息する。このように明らかに異なる行動生態・生息域を持つ。

 

行動生態や分布域に変化

人間がアザラシを利用しなくなり、アザラシ猟が衰退して以来、両種のアザラシの個体数は増加傾向にある。近年、ゴマフアザラシはその分布域を南下させ、冬季これまで来なかった北海道日本海側地域にも来遊するようになり、年々、来遊個体数の増加、早期来遊・遅期退去(つまり、早くからやって来て遅くまで留まる)現象が見られている。

これは、ゴマフアザラシ全体の個体数が増加したことに加え、厳冬期(2月)に出産・交尾のためにオホーツク海に移動しなければならない彼らにとって、かつては日本海側から流氷にびっしり覆われていたオホーツク海へ移動するのは物理的に困難だったが、近年流氷の分布の減少や質の低下によりそれが可能になったからだと予測している。

一方、ゼニガタアザラシには、個体数の増加に伴い、かつてと比較して体を小型化させ、繁殖年齢も上昇させている傾向がある。その理由としては、餌競争や上陸場の過密化などの生息環境の悪化が考えられ、それに伴った生活様式や繁殖戦略を変化させてこの環境に適応させている可能性があり、そのままさらに悪化すれば個体数の激減(クラッシュ)などが起こることも考えられる。

このように、個体数増加に加え、地球温暖化等により、これら2種のアザラシ類の行動生態や分布域に変化が起こり始めている。

 

足で稼ぐフィールドワーク

一般的に野生動物を知るためには、その生息域、その生息密度や生息個体数、その生態(食性や行動など)を調べることが多い。これらの情報は、生体観察から、捕獲個体から、死亡個体から、聞き取り調査等から得られる。

しかし、アザラシの場合、生活の大部分が海中でありその行動が目に見えないこと、大型の哺乳類であり捕獲調査が難しいことから、未だその生態は解明されていない部分が多い。その中でも、アザラシは休息や出産のために陸地(流氷や岩礁)へ上陸することから、その個体数調査はかつてから比較的行われてはきたが、現在その個体数や分布域は大きく変わってきている。

さらに、個体数増加に伴う漁業被害が深刻化しており、新しい問題が浮上してきている。私は、これらアザラシ類の生態を知るために、自分の目で見、足で稼ぐフィールドワークをメインに「新しい試み」と「地道な積み重ね」を目標に調査を進めている。

 

先住民族の道具「箱罠」を応用

「新しい試み」として、大型哺乳類のため困難であった捕獲を、かつて北方の先住民族が実際にアザラシを捕獲するために使っていた箱罠を利用して昨年度、北海道で初めて可能とした。

その箱罠とは、アザラシが箱罠の上に乗ると箱罠の上の蓋がアザラシの重みで内側に開き、アザラシはそのまま箱罠の中に、蓋は自動でもとに戻る仕組みになっているものである。実際に、この箱罠で30頭近くのゴマフアザラシ類を捕獲できた。捕獲されたアザラシは、その後麻酔され、その中のいくつかの個体は年齢や食性、繁殖履歴などを調べるサンプリングを行っている。

またそれ以外の個体には、発信器やタグなどを装着・放獣し、彼らの海中での潜水行動や回遊ルートなどを調べている。始めたばかりで、まだ彼らの行動パターンなどは把握できていないが、このような調査を数年続けることで、さまざまな情報の蓄積ができると考えている。

 

地道な個体識別の積み重ね

私の研究のほとんどが「地道な積み重ね」であるが、その1例をここに紹介する。ゼニガタアザラシは、生まれたときから体の斑紋模様が変わらないことから、体の斑紋模様の特徴から個体識別ができると言われている。このことを最大限に利用するために、ここ3年間彼らの出産期に2ヶ月半、換毛期(毛が生え換わる時期)に1ヶ月、北海道で2番目にゼニガタアザラシの生息個体数の多い無人島の上陸場で、それらの個体数調査および個体識別用の写真撮影を行っている。その島には幸いヒグマなど大型陸上哺乳類は生息していないが、もちろんトイレも風呂もないキャンプ生活である。年に一度は、テントが壊れてしまう暴風に出くわす。そんな境遇で地道に撮影された写真は、後日研究室で分析され、その結果、メスのゼニガタアザラシは34歳まで生きることができ、同時に出産も確認することができた。また、上陸生態の雌雄の違いや出産周期などを解明しつつある。

 

地元の漁業者や学生の協力に感謝

もちろん、以上のような調査は私一人だけではできない。箱罠を設置するには地元の漁業者の協力や地元の理解が必要であるし、捕獲調査、無人島の調査だけではなく私が企画するすべての調査が多くの学生の手伝いや子育てサポートなどを受けて遂行できている。また、私の担当する卒論生はそれらの結果を解析してまとめて卒業していく。

このように、毎年前進させていくことが出来ている状況に感謝するとともに、これら多くの力を受けた調査・研究を、将来的にアザラシ類の生態の全貌の解明、また、それらにより、漁業との軋轢の問題や共存への新しい思考に繋げるべき責務を感じている。

 

 

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