東京農業大学

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スーパー農学の知恵

5‐アミノレブリン酸:がんの温熱療法増強剤としての応用

応用生物科学部バイオサイエンス学科 教授 千葉櫻 拓

はじめに

 がん(悪性腫瘍)は日本における最大の死因で、日本国民の2人に1人が罹患すると言われており、他の先進国においても死因の上位にランクされている。そのため、がんの有効な治療法の開発は、日本のみならず世界の人々にとっても悲願である。しかし、がんは患者自身の細胞が変じたものであるため、副作用を伴わずに、がん細胞のみを効果的に治療し得る有効な治療剤や治療方法の開発は容易ではなく、患者にとって負荷が少なく、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)を担保できるようながん治療の実現には未だ至っていない。現在行われているがんの治療方法は、主として外科的治療、化学療法、放射線治療であるが、近年では温熱療法(ハイパーサーミア)なども広がりを見せており、患者ごとに個別化した多様で柔軟な治療体系の構築が望まれている。
 温熱療法は、がん細胞が正常細胞に比べて熱に弱い特性を有していることを利用して、がん細胞の増殖を特異的に抑制する治療法である。一般にがん細胞は41〜42℃の温熱処理により細胞死が誘導されるが、正常細胞ではその条件下でほとんど生存に影響を受けない。温熱療法は日本とアメリカが先駆けて実用化し、日本においては既に昭和59年に国から認可され、健康保険の適用を受けている。現在国内で温熱療法は約100の医療機関で年間延べ10万人以上に実施されており、特に放射線や化学療法との併用に対する相性が良く、侵襲や副作用が極めて少ないという点で優れた療法として注目されつつある。ただし、治療対象とするがんの部位が広い場合や身体表面から深い位置にある場合、加温による患者の負担が増すなどの問題点がある。さらに単独での効果は比較的穏やかなために、放射線療法や化学療法の補助療法にとどまっており、非侵襲的で副作用の少ない治療法であるという利点が相殺されてしまっている。これらの事から温熱療法の有効性を飛躍的に増すために、腫瘍の温熱感受性を高める増強剤や機器の大幅な改良を含めた抜本的な技術改善の必要性が叫ばれているが、有効な方法はこれまでに得られていない。
 我々は、温熱療法の効率を上げる増強剤として5─アミノレブリン酸(5─ALA)に注目し、実際に5─ALAが温熱条件下でがんの細胞死を増強することを見出した。5─ALAによる温熱増強作用機構について以下に紹介したい。

 

5‐アミノレブリン酸(5−ALA)とは

 5─ALAは、全ての生物に存在する天然アミノ酸で、エネルギー反応に重要なヘム、チトクロム、クロロフィル、ビタミンB12等のテトラピロール化合物の生合成経路の共通出発基質である。即ち、5─ALAは多様な生体反応に関わる「生命の根源物質」であり、その生理機能の解明とさまざまな分野への応用が大きな注目を集めている。まず、5─ALAは外的投与により動植物の呼吸・光合成活性を高めることより、栄養学的・農学的観点から重要視されており、栄養サプリメント・肥料として既に実用化されている。また、生物種や疾患によるテトラピロール代謝の違いを利用した薬理的応用も急速に進んでいる。特にがんにおいては、以下に記すように、5─ALA投与によってがん特異的にヘム前駆体が蓄積することを利用してさまざまな診断・治療への応用が開発されてきている。
 動物細胞において、5─ALAは細胞質での代謝経路を経てミトコンドリアに移行し、さらに数段階の酵素反応によってプロトポルフィリン\(Pp\)へと代謝される(図1)。正常な細胞ではこのPp\に2価鉄が配位されてヘムに変換されるが、がん細胞においてはこの反応が低下しており、5─ALAを大量投与するとがん組織特異的にPp\が蓄積することが知られている。Pp\は特定波長の励起光により蛍光を発するので、5─ALA投与により、がん組織部位を容易に識別・診断することが可能である。また、Pp\は光励起によって活性酸素種(ROS)を発生するため、PpIXを蓄積させたがん組織に励起光を照射することでがん細胞を死滅させる治療法(光力学的療法)が開発されている。5─ALAは天然アミノ酸であり副作用はほとんどないことから、光力学的療法については多くの実施例が報告されている。しかし当然ながら、光線を照射しにくい部位のがんに対して適用できないこと、さらに励起光として可視光を用いるために腫瘍深部まで光線が到達せず、適用が限定的であることがデメリットとして挙げられる。

 

5−ALAによる温熱下でのがん細胞死増強作用

 我々は、5─ALA投与によりがん組織特異的に蓄積するPp\が、温熱に対しても増感作用を持つのではないかと考え、各種ヒトがん細胞株において検証した。その結果、HEK293(腎臓由来トランスフォーム細胞)、HepG2(肝細胞がん由来)、Caco─2(大腸がん由来)、KATOV(胃がん由来)の4種の細胞株において、培養液への5─ALAの添加により、温熱条件下での細胞死が顕著(5─ALA無添加時の1.5〜3倍)に増強された(ALA温熱効果)。一方、U2─OS(骨肉腫由来)、HT1080(線維芽腫由来)、MCF7(乳がん由来)、A431(上皮がん由来)等のがん細胞株や正常細胞株(WI─38等)では、ALA温熱効果は認められなかった。また、ALA温熱効果を示す上記4種のがん細胞株においては、5─ALA添加により細胞内Pp\の蓄積およびROS産生の増大が示されたが、ALA温熱効果を示さないがん細胞株U2─OSや正常細胞株WI─38では、Pp\の蓄積・ROS産生の増大ともに示さなかった。即ち、5─ALA投与によるPp\蓄積とROS産生の増大が温熱下での細胞死の増強に関与することが示唆された。
 そこで、5─ALAではなくPp\を直接培養液に添加したところ、ALA温熱効果を示す上記4種のがん細胞株では、5─ALA添加時と同様に細胞内Pp\の蓄積と温熱下での細胞死増強を示したが、ALA温熱効果を示さない細胞株であるU2─OSやWI─38では、Pp\の蓄積・細胞死の増強ともに示さなかった。現時点でPp\蓄積の原因としては、Pp\排出トランスポーターの発現低下もしくは遺伝子変異による機能不全が示唆されている。次に、5─ALAとともにROSの消去剤(還元剤)を添加したところ、ALA温熱効果を示す4種のがん細胞株では、温熱条件下での細胞死が抑制された。以上のことより、ALA温熱効果は細胞内のPp\蓄積とROS産生の増大により引き起こされることが明らかとなった。5─ALAの投与によってがん細胞にPp\が比較的多く蓄積した状態で温熱処理を行うと、光を照射しなくても、がん細胞中に生じる活性酸素量が上昇し、抗がん作用が増強されると考えられる。このような知見は未知であり、Pp\と温熱によるROS産生のメカニズムについて今後より詳細に解析する予定である。

 

まとめと展望

 5─ALAの添加により、数種のがん細胞株において、温熱下での細胞死が増強されること(ALA温熱効果)が示され、これらのがん細胞では、Pp\排出系の欠陥により蓄積したPp\が温熱下でROS産生を増加させることにより、ALA温熱効果が現れることが示唆された(図2)。我々が新規に見出したALA温熱効果は、適用範囲が限られる光線力学的療法と効果の穏やかな温熱療法の双方の問題点を同時に解決する可能性があり、臨床応用上非常に有用と考えられる。このことから、東京農大と共同研究先企業との共同出願により、昨年特許を取得した(特許第5522421号)。今後は、がんの種類によるALA温熱効果の違いの原因を究明するとともに、個体レベルでのALA温熱効果の検証が急務である。
 現在、ALA温熱効果の示されたがん細胞株について、順次ヌードマウスへ移植後、5─ALAの経口投与およびがん移植部位への温熱処理により効果を検証中であるが、ある種のがん細胞株において有意なALA温熱効果が示されており、臨床応用に向けて大いに期待しているところである。

 

図1 5−アミノレブリン酸(5−ALA)とヘム合成経路
5−ALAは細胞質で代謝された後、ミトコンドリア内でプロトポルフィリン\(Pp\)に変換される。正常な細胞ではこれに2価鉄が配位されてヘムが合成されるが、がん細胞ではこの反応が低下しており、代謝がPp\までで停滞する。
図2 5−ALAによるがん温熱細胞死の増強作用
正常細胞では、5−ALAはミトコンドリアにおいてヘムへと代謝されるが、がん細胞ではミトコンドリアの異常(ヘム合成反応の低下およびPp\トランスポーターの機能不全)により、Pp\が蓄積する。その状態で温熱処理を施すと、がん細胞内の活性酸素種が増大し、細胞死が増強される。

 

 

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