東京農業大学

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スーパー農学の知恵

今、シルクの世界を見直す

「食と農」の博物館で企画展

農学部農学科 教授 長島 孝行

東京農大「食と農」の博物館で9月25日まで、「『シルクに聞く』〜日本発・ニューシルクロード〜」展が開かれている。日本の養蚕業は衰退の一途をたどっているが、一方で日本の蚕・シルク研究のレベルは世界一と言っていい。加工技術の進展で、新たなシルク製品も続々誕生している。現在の「シルクの世界」にぜひご注目いただきたい。


日本の養蚕業の現状

「1%以下」、これは日本の「衣」の自給率だ。カロリーベースで約40%(生産額ベースでは66%)の「食」の自給率が問題になっているが、「衣」の自給率は危機的状況にある。
毛も綿も自給できない日本だが、かつては「扶桑の国」と呼ばれたほど養蚕の盛んな国だった。1930年代には40万トンの繭を生産し、輸出は58万俵、外貨獲得の48%を占めていた。このような状況がおよそ30年間続き、わが国は莫大な外貨を稼いできた。当時の日本は農家の約4割が養蚕業に従事し、絹産業が日本の経済発展を支えていた。日本の発展を支えたのは、カイコと言っても過言ではない。
その後、石油由来の化学繊維の進出と共に、日本の養蚕業は衰退の一途をたどり、群馬県富岡市でも昨年18農家になった。さらに今年から補助金がなくなり、その数字は全国規模で大きく消失していくことは間違いない。かつて日本を支えた「養蚕業」をこのまま全て見捨てて良いのだろうか?

 

シルクを作る生きものは10万種

シルクと言えば、「お蚕さん」が作る「繭」を原料にして作った糸で、ネクタイやスカーフなどの細くて、すべすべする柔らかい繊維を連想するだろう。ところが、私達の住む地球上を探索してみると、実に多くの生きもの達がシルクを作っていることに気づく。
驚くことにその数は10万種を超える。しかも、それぞれのシルクは、色、形、肌触り、さらには成分まで違う。つまり10万種の糸を作る生きものがいれば、10万種類のシルクが存在する。その中には、金・銀・銅色に光り輝く繭、ラグビーボール程の巨大繭やチョウやカブトムシの仲間の作る繭など様々だ。それを糸にすれば、麻のようなシルク、蚕シルクより柔らかいシルクや軽いシルクなど、これまでのシルクの概念がくつがえされてしまう糸ができる。この違いは、それぞれのシルクの成分の違いだけでなく、ナノ構造、機能性などによる。
これまでにはなかった新しいシルク製品が誕生してきている。更には、機能性を利用した非繊維利用、その生きものと地域性を利用した地域再生型まちづくりや国づくりなども開始されている。今回の展示ではこれらの紹介をすると共に、シルクというものを改めて多面的に見直し、多面的に利用するという、全く新しいシルクについて紹介している。また、「愛地球博」、「洞爺湖サミット」、「COP10」などで展示された作品等も合わせて紹介する。

 

新シルクから作られた製品

カイコのシルクの断面は直径10μmの三角形だが、ヤママユガ科のものは直径が30μmで台形に近い形をしている。しかもある種の糸の中には、一断面に200nmの穴(実際にはチューブ状)が1800個存在する。カイコの糸でさえ、現代の科学技術で作れないといわれているのだから、このようなナノレベルでも特殊な構造をしたものは作られるものではない。従って、この仲間のシルクを利用すれば、カイコのシルクより遥かに軽く、滑らない製品もできる。また、ある種のシルクを使うことで、全紫外線を98%カットする日傘、温湿度調整の上手な2日間履き続けても臭わない靴下、軽くて柔らかく満員電車の中でも汗をかかないマフラーなど様々な製品が今誕生しつつある。
これらの製品を裏打ちしているのは、ナノ構造や機能性だ。私たちは、現在も様々なシルクのナノ構造、機能解析を行っている。今世界各地に生息している生きものが作る新シルクが注目されるのは、時間の問題だと思う。

 

シルクの機能性から学ぶものづくり

シルクは繊維利用だけではない。シルクは高純度の「タンパク質」から成り、私たち人類にとっても非常に都合の良い、生体親和性、脂肪吸着性やUVカット、保湿性や制菌性など、驚くような機能性が近年発見されてきた。同時にゲルや液体になど、シルクタンパク質の加工技術も急速に進んできた。
これらの機能性を良質に利用すれば、防腐剤のいらない美容液、メタボ対策用シルクゼリー、アレルギーの方でも安心して使用できるUVカットクリームなどなど、ものづくりアイデアが盛り沢山だ。また、ある種の食品に添加すると驚くような食感革命がおこる。
更には、要らなくなったネクタイやスカーフなどから、シルクプラスチックも作れる。繊維としてリユース出来ない廃棄シルク製品を、ハンガーやゴルフピンなどに再利用し、土に戻せば生態系に吸収され(生分解性)、また生きものが育つ。育つ環境さえあれば、生きものは半永久的に再生する。これを「再生可能資源」という。

 

生きものと共につくる社会

日本は資源に乏しい国だ。一方、世界では資源を巡る戦争は後を絶たない。特に石油と水を巡る戦いは今世紀前半更に悪化すると予想される。人類は産業革命以降、石油資源をもとに様々な便利なモノを社会に溢れさせ、その結果一見豊かになった。しかし、それと同時に私たちの「心」や豊かな「自然」を失うというジレンマに遭遇してしまった。私たちは今、利便性やモノの豊かさだけを求めた技術の発展か、自然と共存した心の豊かさを求めた技術の発展かを人類存続のためにも選択する時期に直面しているのかもしれない。
こんな推測もある。2100年、日本の人口は7000万人になり、「成長とは経済的拡大」との考え方から「成熟した国家」へシフトし、利便性や快適性だけを求めるものは色褪せる。人々は「別のものの豊かさと心の豊かさ」を獲得し、GNH主導型の成長(懐かしい未来)を進めるのではないか。
そうなれば、一次、二次、三次構造は消失し、工業・農業も地産地消型、「衣食住」の自給率は急激に上昇する。街はアポトーシスに学び小さく集合し、全ての街はネットワーク状に連結。周辺は農地、里山、そして多種の植物からなる山々が四季を彩る。プラスチック製品は絶滅危惧となり、モノは全てリペアー、リサイクル、リジェネイティブの3Rが当然となる。建物はシロアリの巣を真似た集合住宅(チムニー効果、骨格はアワビやトラフグの歯を真似た硬くてしなやかな骨格)で、エアコンはザゼンソウを真似た超省エネタイプ、屋上は遺伝資源保の場となり、かたつむりの外皮をまねた雨で汚れがすぐに落ちる外壁などなど……。
新しい「シルクの世界」を手がかりに、そんな未来にも思いをはせてほしい。

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