殺処分・埋却に迅速な対応を

口蹄疫拡大の要因を考える

東京農業大学農学部 教授

山本 孝史(やまもと こうし)

1943年徳島県生まれ。

東京大学農学部畜産獣医学科卒。
東京農業大学農学部畜産学科(家畜衛生学研究室)教授。

専門分野:家畜微生物学

主な研究テーマ:家畜のサルモネラ症および呼吸器病に関する研究

主な著書:豚病学 第4版(共編著)近代出版、マイコプラズマとその実験法(共編著)近代出版、獣医感染症カラーアトラス 第2版(共著)文永堂出版他

宮崎県内で発生した家畜伝染病・口蹄疫は、6月中旬までの2ヶ月間で11市町に広がり、甚大な被害をもたらした。2000年3月、わが国で92年ぶりに発生したときは、幸いにも宮崎県と北海道での小規模な流行で終息している。今回は、なぜこれほどまでに拡大したのか? 以下、口蹄疫に関する解説とともに、若干の考察を加えたい。

偶蹄類の急性熱性伝染病

口蹄疫は、小さな(pico)RNAウイルスであるPicornaviridae(ピコルナウイルス科)のAphtho(アフタ≒水疱)virus(アフトウイルス属)に属する口蹄疫(foot─and─mouth disease)ウイルスを原因とし、牛、豚、緬羊、山羊等の偶蹄類のみが罹患する急性熱性伝染病である。本ウイルスの病原性は多様であるが、一般的には、牛が最も感染し易く、豚が感染するには牛よりも多量のウイルスを必要とする。

一方、感染動物が排出するウイルス量は、豚の方が多く、反芻獣の100〜2,000倍に達する。そのため、牛は口蹄疫ウイルスの検出動物detector、豚は増幅動物amplifierと言われ、豚は口蹄疫の流行拡大にきわめて重要な役割を果たすのである。豚が増幅動物であるということに関して例外はないが、牛が検出動物であるという点に関しては、ウイルス株により異なる場合がある。

台湾で豚だけの発症例も

その典型例は1997年に台湾で発生した口蹄疫である。この時の罹患動物は豚のみであり、約100万頭の豚が発症したが、牛は30万頭中ただの1頭も発症しなかったばかりか、大量のウイルスを接種しても感染しなかった。台湾はこの時約340万頭の豚を殺処分し、以後今日に至るまで輸出産業としての養豚は壊滅したままである。

一方、2000年にわが国で発生した口蹄疫では、原因となったウイルス株は、肉用牛のみの感染にとどまり、症状も軽微で水疱形成は認められず、歯齦(はぐき)や鼻腔、一部では舌下にびらんが認められたのみであった。また、感染牛と同居させた豚に感染は認められなかった。このように、2000年の発生では、原因ウイルスの病原性が従来の口蹄疫ウイルスとは大きく異なり、病原性そのものが弱かったことが小規模な流行に止まった要因である。

ワクチンの効果は限定的

本ウイルスには7つの血清型(O、A、C、Asia1、SAT1〜3)があり、発生地域により血清型は特定される傾向にある。O、A、Cはヨーロッパ型、SAT(south african territory)1〜3はアフリカ型、Asia1はアジア型と通称されている。世界的にOタイプの発生件数が最も多く、わが国で分離されたウイルスも2000年、今回ともOタイプである。各血清型間の交差免疫はなく、ある型のワクチンは他の型のウイルスには無効である。そのためわが国が備蓄するワクチンもOタイプであり、それが今回使われている。

しかし一方、同じ血清型ならどのウイルス株にも同等のワクチン効果が期待できるわけではなく、各血清型には部分的にしかワクチン効果が期待できない亜型(サブタイプ)が存在する。そのため、株間の抗原関係を数値で表し、ワクチン効果が期待できる数値が設定されている。このように、ウイルス株によってはワクチン株と同一血清型であっても効果が期待できない、あるいは制限されるということが起こりうるのが口蹄疫ワクチンの特徴である。

また口蹄疫ワクチンの効果は、感染を防御するような強い免疫を付与するものではなく、発症防止にとどまる。さらに反芻獣では、感染耐過後やワクチン接種後の感染により、咽頭や食道にウイルスが長期間とどまり、ウイルスを排出し続けることがあるという問題がある。

潜伏期間にもウイルス排出

口蹄疫の潜伏期間は、感染ウイルス量によって異なるが、平均すると牛6.2日、豚10.6日、羊9.0日とされている。発症動物がウイルスを排出するのは当然であるが、潜伏期間中も排出されることが疫学上問題となる。発症すれば移動制限等の防疫措置が取られるが、発症前は何の制限もないので、この間に感染動物が移動されるとウイルスをばらまいて行くことになりかねないからである。前述のように豚は口蹄疫ウイルスの増幅動物であり、一日に約1億個のウイルスを排出する。反芻獣は最大でも10万個であるから豚1頭が排出するウイルス量は、反芻獣1,000頭が排出する量と同じということになる。

潜伏期間中の動物では、唾液、呼気、鼻汁、乳汁、尿、糞便等からウイルスが排出され、発症動物ではさらに水疱の破裂により周囲が濃厚汚染される。今回の原因ウイルスは、肉用牛の初発から1週間で豚への感染が確認されており、このことが今回大きな流行となった第一の原因である。排出されたウイルスは、飛沫核あるいは塵埃に付着した微生物エアロゾルとして、未感染動物に直接的に伝播される。また、機材、飼料、ヒト、車両、野鳥などを介して間接的に伝播される他、風で遠隔地に運ばれることもある。

さらに、感染動物はウイルス血症を起こすため、皮膚、諸臓器、筋肉、血液、リンパ節、骨などあらゆる組織にウイルスが存在し、低温なら長期間不活化されない。塩漬乾燥調理したハムやベーコン中でも口蹄疫ウイルスは約6ヶ月間生存し、感染源となり得る。実際過去に発生した627例の口蹄疫の初発原因を解析した米国農務省の報告によると、汚染畜産物と厨芥が66%と最も多く、以下、風や野鳥(22%)、感染家畜の輸入(6%)、汚染資材とヒト(4%)であった。

なぜ殺処分・埋却が遅れたのか

感染症が成立するには、感染源、感受性動物および感染源が感受性動物に至る感染経路の3要因が必須であり、そのため各要因を標的とした対策がとられる。中でも感染源に対する対策は最も重要であり、対策の要となる。感染動物を殺処分するのは感染源をなくすためであり、同居動物を殺処分するのは新たな感染源となりうる感受性動物をなくすためである。前述のように感染動物、特に豚からは大量のウイルスが排出されるので、蔓延の防止は、いかに迅速に感染動物とその同居動物を殺処分して焼却あるいは埋却できるかにかかっている。

今回の発生に際しては、残念ながらこの殺処分・埋却が迅速とは行かなかったのが流行拡大の第二の原因であろう。家畜伝染病予防法では、患畜の処分は家畜の所有者の責任で行うことになっているが、わが国の畜産農家の中で、全飼養動物を殺処分して自己の敷地内にすべて埋却できる農家がどれくらいあるであろうか。殺処分に伴う最大の問題は、殺処分した動物の埋却場所である。この問題は、2000年に口蹄疫が発生した時から、各県家畜衛生担当者の最大の悩みであり、毎年開催されている全国家畜衛生主任者会議で当時国に要望されていたことである。しかし法律の壁に阻まれて明確な回答がなされないまま今日に至っていた。今回、政治主導を標榜する政権は、超法規的に一刻も早く埋却場所を提供するべきであった。自らの理念を実行する最大の機会を逸したというのが筆者の偽らざる実感である。

国家の危機管理の認識を

口蹄疫は、家畜の疾病中最も伝播力が強く、パンデミックな流行をするもののひとつである。これまで大きな被害を被ることがなかったことは、わが国が島国で防疫上有利であるとはいえ、誠に幸運であった。今回の初発原因はまだ特定されていないが、2000年の発生は、中国から輸入された稲わらによりウイルスが持ち込まれたと推測されている。瑞穂の国が稲わらを輸入しなければならないという現状は、家畜防疫の観点からも打破しなければならない。また一方国家の危機管理の観点からは、生物兵器としてこれほど技術を必要とせず一国を混乱に陥れることができる恐るべきものはないということも認識しておくべきであろう。

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