人と自然と日本

風土に培われた文化を考える

東京農業大学 地域環境科学部 森林総合科学科 教授(森林生態学研究室)

中村 幸人(なかむら ゆきと)

主な研究テーマ:「中国華東地域における植生と景観に関する研究」

主な著書:「みどりの環境デザイン」共著(東京農業大学出版会)

森や草原などの植生を調べて、海外の各地を歩く機会が多い。貴重な植生は、人の住まない未開拓地や高山などに多く残されているが、旅先の田舎には日本と同じように人と自然の調和した美しい景観が広がっている。そこでは自然の許容範囲の中で試行錯誤して行ってきた人間の営みが多様な景観を創出しているのである。私は固有の文化はその土地の自然との接触を通して生まれ出てくると考えている。風土に培われた文化とでも言うのだろうか。そこに行き着くまでには膨大な時間も流れているのだろう。

人々の営みによる景観

熱帯のジャワ島は年間を通して約28度の常夏の国である。稲作、果樹栽培などを中心に、コーヒー、竹材、さらに木造の家屋の周囲にも果樹、薬用植物、鑑賞植物、防風樹木などがところ狭しと植えられており、生産性の高い集約的な土地利用が見られる。

一方、シベリアのような極寒の地でも人々の営みによる景観が見られる。ヤクーツクは最低気温マイナス40度、最高気温が35度、年平均気温が−10度という永久凍土地帯である。このような地でもダブリアカラマツの自然林が成立し、小麦などの穀物栽培と酪農による農業が営まれている。

周辺にアラスと呼ばれる湖沼群が点在している。アラスは木が倒れるなどのきっかけから始まる永久凍土の融解によって、湿原化が進み、沼が拡大して成立した湖沼を指す。これらの湖沼はやがて底が抜けて干上がり、肥沃な草地が出現する。この草地を利用して採草や穀物栽培が行われている。このように自然への巧みな、しかしその許容範囲の土地利用から田園景観が創出されていく。

多様な日本の田園景観

日本の田園景観も美しい。私の恩師であるドイツのR. T<CODE NUM=02AD>xen教授は、関東北部の水田地帯を眺めて、庭園だと絶賛した。水田に限らず、山村の景観も美しい。それは諸外国と同様に自然の摂理に合った無駄のない土地利用がなされているからだと思う。その調和体を美しいと感じとるのは、旨いものは体に良いのと同じで、持続的な生活が、少なくとも生態系ベースでは保障されているからであろう。

私のロシアの友人は日本では行く先々で、景観がおもしろいほど良く変わり、その多様さが洗練された日本の文化を育んでいると言っていた。ロシアでは同じ景観が何百キロも続くというのだが、それは大陸だから仕方がない。大陸には大陸の悠久を感じさせる景観がある。いずれにせよ日本の多様な景観を生み出しているのは多様な自然の在り様であると感じざるを得ない。

自然の変化と日本人の感性

日本列島は南北に長く、亜熱帯から冷温帯の気候帯に属し、また、島嶼であるために太平洋側気候、日本海側気候、瀬戸内気候など、海洋の影響を受けて気候も変化する。また、急峻な山岳地帯、火山など、地勢も多様である。そして何よりも日本列島は最終氷期を通じて、山岳氷河が一部で見られたほかは、氷床に覆われることがなかった。それまで繰り返されてきた気候変動に対して生物種は列島という回廊を南北に行き来して、絶滅を免れてきたのである。多様な自然環境と多様な生物種がこの列島でひしめき合っている。

ドイツに留学していたときにR. T<CODE NUM=02AD>xen教授宅の庭にヒヤシンスを植えたが、大して手入れをしなくとも毎年、花を咲かせてくれたのが不思議であった。よっぽど土地柄が合っているのかと思ったがそうではなかった。雑草が少ないために競争で負けることがないのである。日本では、すべては移り変わっていくうつろいとそれに執着しないはかなさがあるが、雑草もほうっておけばどんどん入れ替わって、草茫々となる。そのような自然観が日本人の感性にも影響を与えている。

耕作に適した地域が地球全体でいかに少ないことか。低温、乾燥、塩害による荒地が実は多く、持続的に耕作可能な地域は思ったより少ない。日本はその限られた地域のひとつで、ほうっておけばほとんどすべて森で覆われてしまう。東北地方南部から琉球まで、スダジイ、タブノキ、イチイガシなどの優占する常緑広葉樹林が成立し、それ以北ではブナ林を中心とする夏緑広葉樹林が発達する。森林が生産するバイオマスと形成する豊かな土壌は、古来より人々の持続的な土地利用を五穀豊穣の国として可能にしてきた。そして多様な自然環境と多様な生物種と人々の生活が多様な日本の景観を創り出したのである。

荒廃すすむ田園景観

しかし、明治以降の富国強兵、戦後の高度経済成長は、それまで自然とともに合った日本人のライフスタイルを大きく変えていった。世界の潮流の中で、先頭に立って物質文明を謳歌し、経済至上主義を貫き、市場原理の御旗のもとに日本固有の文化は崩れ、精神が病んでいったのである。

豊かな生物種からなる田園の景観も荒廃していった。市場原理に左右される農業は自然環境を離れ、農薬と化学肥料と電力でコントロールされた人工環境のもとに工業化してしまった。その結果、生物と共存し得ない、生態系が機能しない田園が生み出された。

田、畦、水路の生態系

かつての田園は人里の生物で賑わった。水路にはクチボソ、フナ、ドジョウ、メダカ、トウキョウダルマガエル、イモリ、カワエビ、ゲンゴロウ、コオイムシ、ミズカマキリ、シマビル、タニシが生息し、畦や田にも多くの昆虫がみられた。ウリカワ、コナギ、ミズオオバコ、キカシグサ、アゼナ、チョウジタデ、アギナシ、オモダカ、ホタルイ、ミズニラなどは稲とともに生長する雑草であったが、その共存が健康な田であることを保障した。

集約的な管理下にある田んぼでも、本来、田、畦、水路に固有な生物共同体と自然環境が作用して独自の生態系を成り立たせている。植物が有機物を生産し、動物が消費し、土壌中の無数の微生物によって分解され、また植物の根に吸収され、光エネルギーを取り込む光合成に利用されるという循環システムが生物と環境の生態系という自然環境維持機能の基になっている。

例えば水路の水環境が汚れれば、生産者である水生植物が富栄養物質を取り込み、環境を元に戻すという調節機能を働かせている。また、生息を許される動物にも役割が分担されており、特定の動物が勝手に増加することはできない。増加に対して捕食圧が加わり、個体群が調整され、平衡状態が保たれる。これを利用したのが天敵防除であろう。

美しい日本を取り戻す

かつての田園とは田、畦、水路、土手、林縁、薪炭林、鎮守の森などに固有な生物共同体と、それを取り巻く環境からなるエコトープ(ビオトープ)が存在し、生態系が機能することで、自然環境が保全され、田園景観の持続的利用が保障されていた場所である。

そこでは多様な生物が共存し、田園という器の中で物質が循環し、太陽のエネルギーが無駄なく利用されていた。その自然と人の調和の中に田園景観の美しさがある。多様な自然の息づく日本には田園に限らず、地域に様々な文化と、文化を取り込んだ景観があった。

国土面積は限られるが、多様で生産性の高い列島、持続的で無駄のない土地利用を科学的に究明、実践していくことが、美しい日本を取り戻すことに繋がっていく。

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