農産物貿易にブロック化の懸念

食料危機と地域経済統合

 

東京農業大学国際食料情報学部食料環境経済学科(食料政策研究室)准教授 
小島泰友(こじま やすとも)

1970年東京都生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科、農業・資源経済学専攻博士課程修了 博士(農学)。

専門分野:農業経済学、フードシステム学。

主な研究テーマ:食料・食品の価格伝達、食料政策、食料需給。

主な論文:小麦製品をめぐる価格伝達と外国産小麦の政府売渡制度の影響、糖価調整制度下のてん菜直播の導入促進効果に関する計量経済分析、世界の小麦事情−小麦価格高騰の経緯・背景及び地域経済統合との関係をめぐる一考察−など。

現在、EU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易協定)など、地域経済統合の進展に伴って、農産物の貿易構造に変化が起きている。その「意図せざる」ブロック化と小麦などの食料高騰問題との関連に注目したい。

食料高騰の要因

周知のように、2004年春先以降の原油高騰と2006年秋からの穀物高騰をうけて、2007〜08年は途上国だけでなく、国際社会全体が深刻な食料危機に直面した。主要穀物の中でも小麦の国際価格は2008年3月の時点で高騰以前の水準の約3倍にも達した。その結果、アフリカ、アジア等の一部の途上国では暴動が起きるなど、大きな混乱が生じた。
 食料高騰問題の要因については国連食料サミット等で様々な角度から議論されたが、国連の見解は次のように示された。
1.近年の悪天候による穀物生産の減少と穀物在庫の減少
2.石油高騰に伴う肥料価格の高騰
3.輸送費の高騰
4.世界の穀物生産量の4.7%に及ぶ1億トンの穀物のバイオ燃料への利用
5.中国、インド、ブラジルなど急成長する途上国の食肉消費急増に伴う飼料用穀物の需要増加
6.一部の国での食糧輸出制限措置
 一方、日本の農林水産省は小麦価格高騰の原因について、次のとおり4つの経路を指摘した。
1.途上国の経済発展と食生活の欧米化→食料需要の増加と穀物在庫の減少
2.原油価格高騰→バイオエネルギー需要の増加→とうもろこし価格の上昇→米国における小麦の飼料用需要の増加
3.原油価格高騰→バイオエネルギー需要の増加→菜種価格の上昇→カナダにおける菜種への作付転換
4.豪州における大干ばつ
 このように国連や農林水産省の見解では、近年の天候不良、原油価格の高騰、バイオエネルギーなど、2000年以降の要因が主に問題視されたほか、長期的な視点からは経済新興国による食肉・飼料用穀物の需要増加や途上国による食料需要の増加が挙げられた。

「意図せざる」ブロック化

筆者は、国連や農林水産省の見解に加えて、食料高騰問題の背景として、地域経済統合に伴う貿易構造の変化との関係に注目している。国際経済学では地域貿易協定(RTA)のデメリットとして、地域貿易協定による貿易自由化は経済的な効率性を改善するための最適な手段でないばかりか、世界経済の「意図せざる」ブロック化を招き、逆に効率性を著しく悪化させる可能性がある、と指摘されている。
 一方、多国間交渉による自由化の機動性が失われがちな現状において、RTAは次善の策として、各国の産業調整を推進したり、コミットメント効果により途上国の政策改革を促したりすることを通じて、多角的貿易自由化の「需要」を事後的に高める役割があり、特に、重複FTA(自由貿易協定)による自由化の拡大は政治経済的な自由化反対圧力等を解消するため、大きな推進力となり得るというメリットも指摘されている(椋寛(2006)「地域貿易協定と多角的貿易自由化の補完可能性:経済学的考察と今後の課題」RIETI Discussion Paper Series 06─J─006.)。
 1990年代に進展したEUやNAFTAといった一種の地域経済統合は、2007・08年の食料高騰の原因ではないが、農業政策の急激な政策転換や世界同時不作に伴う穀物在庫の激減等によって食料高騰がいったん生じると、地域経済統合は前述の「意図せざる」ブロック化を通じて、食料高騰を助長するように作用するのではないかと懸念される。

EU産小麦の域外輸出比率の低下

ここで図1を参考にして、EUの市場統合(1993年)前後におけるEUの小麦輸出の動向について考察したい。 EU域内へのEU加盟国の小麦輸出量(図1線分・)は増加する一方、域外へのEU加盟国の小麦輸出量(同図線分・)は市場統合の1993年以降減少傾向にある。EUの小麦生産量に対する輸出比率は、1980年代後半から2000年半ばにかけて域内へは約10%から20%前後まで上昇し、域外へは20%前後から約10%に低下している。
 つまり、EUで生産された小麦のうち、域内での貿易量は増加する一方で、域外への貿易量は減少している傾向にある。その結果、トータルで見た域内・域外への小麦輸出量(同図線分・)は、市場統合以後3,500〜4,000万トンで頭打ちの状態となっている。他方、EUは中国や旧ソ連を凌ぐ世界最大の小麦生産地域であり、EU27カ国の小麦生産量は市場統合の時期の1.1億トン強から1.3億トン前後に増加している。したがって、域外貿易の減少はEUの小麦消費量の増加によって生じていると言える。
 表1は、世界における小麦の消費動向を示しているが、世界で最大の消費シェア(20%)を誇るEU27カ国の場合、平均消費量は2001年前後から2006年前後にかけて約700万トン増加している(EUは2004年に15ヵ国から25カ国へ、2007年に27カ国に拡大したが、表1はすべての期間において27カ国の合計データを示している)。世界全体における小麦消費量の変化率(+5%)に対する主要生産国の寄与率を見てみると、人口約5億のEUが21%、人口約3億の旧ソ連(12カ国)が20%、人口約11億のインドが16%で消費増加に寄与している。
 ちなみに、人口約13億の中国は−17%で小麦消費の増加の抑制に寄与している。表2は世界における粗粒穀物(主にトウモロコシ)の消費動向を示しているが、食肉消費が増加する中国は米国の34%に次ぐ16%の寄与率で世界のトウモロコシ消費の増加に寄与している。ただし、小麦に関して特定の国・地域を挙げるとすれば、EUや旧ソ連諸国と言える。このようにEUの市場統合に伴って域内の小麦消費量が増加していったことが、EUの域外輸出比率の低下につながっている。

米国の小麦輸出構造の変化

1992年12月に米国・カナダ・メキシコ間でNAFTA(北米自由貿易協定)が署名された。米国の小麦生産量に対する輸出比率は1990年から現在まで平均50%で推移しているが、不作期を除けば、近年でも大きな変化はない。しかし、米国の小麦の輸出先はNAFTAが発効した1994年頃から、アジアから中南米へ大きくシフトしている(図2)。例えば、米国の輸出先シェアは90年前後から近年にかけて対アジアで45%から34%に減少し、対中南米で10%から29%に増加している(前者は1989/90〜1994/95年の平均値、後者は2002/03〜2007/08年の平均値)。中南米の中でも特にメキシコへは1992/93年を境に増加傾向にある。アジアではパキスタン、スリランカ、バングラデシュ、中国に対して減少している。
 また、米国で不作となった2002/03年には、アフリカ・アジア・EUへの輸出が減少する一方で、中南米への輸出が増加していることが図2で確認できる。この当時、南北米州全域を含む自由貿易地域を創設する構想として米州自由貿易地域(FTAA)の交渉が進んでおり、その交渉過程と関係があるのか不明であるが、米国の不作期における中南米への小麦の輸出増加には地域経済統合への推進力の大きさが感じ取れる。このようにEUと同様に、米国でも中南米諸国以外への小麦輸出比率が低下しており、貿易穀物の偏在化が潜在的に進行していることが推察される。貿易穀物が地域経済統合域内の国々に偏在した状況において、短期的なショックによって食料高騰が生じれば、域外への限られた貿易穀物に農産物輸入諸国からの需要が集中し、事態はより悪化すると考えられる。

小麦の輸入国の状況

EUや米国の小麦輸出構造が地域経済統合の進展とともに変化する中で、小麦の輸入国は世界同時不作期を含めどのような輸入状況にあったのだろうか。FAOSTATによれば、豪州や米国が日本に小麦を輸出する場合、その変動係数は両国ともに1999─2005年で約3%と低く、両国が輸出先とする国々の中で日本が最も安定的に供給されている。米国、カナダ、豪州、アルゼンチンにおいて同時的不作が起きた2002/03年を含めても非常に安定して小麦が日本に輸出されている。
 一方、世界有数の小麦輸入大国であるエジプトに対して豪州が輸出する場合、同期間の変動係数は35%、米国が輸出する場合49%と非常に高い(データ期間を1989─2007年に延ばしても、この値は38%で高い)。2007・08年の食料危機においてエジプトでは、政府補助の低価格パンの奪い合いにより市民に死者が出るなど、非常に緊迫した情勢が生じたが、2002/03年の世界同時不作期には例年平均と比べて約20%小麦輸入量が減少した。エジプトのように小麦の不安定供給にさらされている国々は多く、日本のように世界同時不作に関わらず安定供給されている国は非常に少ない。
 自国の食料安全保障のためだけでなく、エジプトのような不安定な貿易状況を改善する意味でも、日本の自給率を高めていくことが重要である。EUや米国の地域経済統合の進展に同調して、日豪FTAの締結によって日本の食料安全保障を確保するといった議論もあるが、自国の食料安全保障だけでなく、第3国の食料安全保障を含めたグローバルな観点から、地域経済統合の進展と農産物貿易構造の変化をフォローし、日本における食料自給率向上の方策を今後の研究を通じて考えていきたい。

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