ネパールで映画製作を実践

山村の人々と温かい交流

 

東京情報大学総合情報学部 准教授 
伊藤 敏朗(いとう としあき)

1957年大分県生まれ。東京農大農学部卒。1980年東京農大図書館視聴覚部に採用。2000年に東京情報大学講師。現在、東京情報大学総合情報学部情報文化学科(映像音響研究室)准教授。2004年から2006年まで千葉テレビ「情報大ステーション」製作統括。

主な研究テーマ:映像メディア・リテラシーのための映像制作教育法の開発

主な著書:「市民メディア活動〜現場からの報告〜」(共著)中央大学出版など

ネパールの美しい山村を舞台とする児童向けファンタジー映画の製作に今、取り組んでいる。映像表現論、映像制作教育法を研究テーマとする筆者(伊藤)の脚本・監督で、今年2〜3月、現地で撮影を行った。映画は年内に完成、カトマンズで公開する予定である。

児童向けファンタジー

『カタプタリ〜風の村の伝説〜』と題するこの劇映画は、山から降りてきた妖精と、人間の子どもとの心の交流を描いたもので、上映時間約50分。スタッフ・キャストはネパールのプロの映画人たちである。

現地プロデューサーで、この映画の主演俳優でもあるガネシュ・マン・ラマ氏は、1997年に、富山県利賀村が国際交流事業のひとつとして製作した日本―ネパール初の合作映画『ミテリガウン〜愛の架け橋〜』の主演をつとめた。筆者は2006年にネパールの世界文化遺産の調査のために現地を訪問した際、ラマ氏と会い、今回の映画制作が実現することになった。

筆者は、日本とネパールの映画製作手法の比較研究に大きな関心がある。インドという映画大国の影響を色濃く受けているネパールにあって、インド映画圏以外の外国人監督が現地スタッフを指揮して劇映画を撮ることは稀であり、日本人の監督は初めてである。この貴重な体験から多くの知見を得ることができた。

「風の村」を舞台に

今回のネパール行には、東京情報大学の映像ゼミの学生2名をともなった。現地入りは2月19日。最初の10日間をシナリオの翻訳、ロケーション・ハンティング、キャスティングなどに費やし、3月2日にカトマンズで報道陣を集めて製作発表会を行い、その夜から撮影地に移動してクランクインした。

撮影の主な舞台となったのは、ヒマラヤの山々を望む観光地として有名なナガルコットのさらに山奥の“ゴラ”という戸数10戸ほどの小さな集落である。天気のよい日でも、午後になると谷から吹き上げる強い風が吹くことから「風の村」と呼ばれるこの村で、農家や納屋を借りて撮影をおこなったほか、村の共同広場にオープンセットを組んで、村祭りの場面などを撮った。

村の人々は映画製作にたいへん協力的で、実際に家族が暮らしている家の中の囲炉裏や寝室での深夜におよぶ撮影につきあってくれただけでなく、エキストラとなってしばしばカメラの前に立ってくれた。祭りのシーンの撮影には、総勢300人近くの人々がはるばる峠を越えて集まった。もとよりネパールの人たちは映画の撮影現場を見るのが好きであるらしく、呼び集めるまでもなく、我々はいつも100人近い見物の人々に取り囲まれた。その場で通行人などの役を頼むと喜んで出演してくれて、度重なるテストと本番の撮影にもずっとつきあってくれるのだった。

停電やゼネストも

“ゴラ”での撮影の後でカトマンズ市内でも撮影を行った後、ロケ隊は、ダンプス高地に入った。標高6,993mの名山マチャプチャを背景に、妖精を乗せた牛車が降りてくる場面を撮影するのが主目的であったが、適当な場所が見つからず、ここでも村人の助けを借りて撮影用の道路をわざわざ造成した。その後、ふたたびナガルコットの美しい農村風景などをカメラに収め、3月27日、無事にクランクアップを果たした。

撮影期間中は思うにまかせぬ苦しい局面もあった。度重なる停電やバンダと呼ばれるゼネストのため撮影日数は延び、ネパール語も通じない少数民族の出演者とのコミュニケーションに苦労した。撮影用に借りた牛が暴走するなどトラブルも度々であったが、現地の人々が常にあたたかく協力してくれ、ラマ氏をはじめとするスタッフ・キャストが一丸となって筆者を支えてくれたことで、全体的には順調で楽しい撮影現場となった。

新聞、テレビでも紹介

これまでのネパールの国内向け映画は、唐突に歌と踊りが挿入されるインド映画のコピーが多く、逆に外国人がネパールから発信する作品は、人身売買や過酷な労働など悲惨な社会問題を扱ったものがほとんどで、それらは同国のネガティブなイメージを増殖させるものとして、必ずしもネパールの人々に歓迎されるものとは言いにくかった。

今回の筆者の映画は、筆者自身がネパールを訪れて感じた、まるで自分が子供の頃にこの土地で生まれ育ったかのような不思議な親しみ深さの感覚を下敷きにしつつ、ネパールの農村文化や家族のありかた、自然環境保護や歴史的町並み保存などのテーマを盛り込んだ作品である。全体としては童話のような筋立てで、信仰心の篤いネパールだからこそ成立する物語だと思っているのだが、果たしてそのようなコンセプトが現地の人々にどこまで理解してもらえるか、撮影前には大きな不安であった。

しかし当地で撮影に入ってみると、作品のテーマやストーリーに感動したと言ってくれる人が非常に多く、「こういう映画のためならば協力を惜しまない」というスタッフの熱意が日増しに高まっていった。ミティラ・サルマさんなど、ネパール映画を代表する名俳優も多数出演してくれた。現地の全ての主要新聞に記事が載り、テレビでも度々ロケ風景が紹介された。日本人がネパールの美しい風土をテーマにした映画を撮りに来たと好意的に受け止め、歓迎してくれたのである。

国を越える映画人の情熱

言葉が通じない現地スタッフを指揮して映画を演出するということが、果たして可能なのかについても大いに心配していたのだが、これは杞憂だった。カメラの前に立って身振り手振りを交えつつ、「ここでカメラはレフトにパンすると、アクターは振り向いてダイアログを言う。そのときライトは、バックライトがキーになる。」などとしゃべれば、スタッフたちはたちどころに演出意図を的確に理解してくれた。

この点は、現地のカメラマンのアジット・バトレイ氏も大いに同感であったらしく、「映画はワールドワイドな言語だから、我々のコミュニケーションには何の問題もありませんね」と言ってくれた。映画を愛する者どうしが、このようなかたちで力をあわせて作品を創りあげることで、国際文化交流を果たせたことは大きな喜びである。

本作は現在、2007年末の完成をめざして、筆者が編集中である。ネパールの人々の理解と協力のおかげで、素晴らしい映像を撮ることができただけに、レベルの高い仕上げをしないと、人々の期待に応えられないというプレッシャーを感じている。

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