【国際社会とともに】世界20か国・地域の学生が集う

食・農・環境をテーマに、学生サミット

東京農業大学 国際食料情報学部国際バイオビジネス学科 教授 (バイオビジネス環境学研究室)

東京農業大学国際交流センター長

藤本彰三(ふじもと あきみ)

2005年11月24〜25日、東京農大世田谷キャンパス内で、「新世紀の食と農と環境を考える第5回世界学生サミット」が開催される。海外18の姉妹校のほかドイツとロシアを含めて20カ国・地域(20大学)の学生たちの参加を予定している。 本誌9月号では、姉妹校との学生交流について報告したが、その大きな成果として、世界学生サミットの開設経緯を振り返り、若者たちの国際交流を展望したい。

2001年に第1回サミット

植本学は2001年に創立以来110年を迎えた。この記念行事の1つとして企画されたのが「世界学生サミット」である。この年11月に世田谷キャンパスで開催し、海外9大学からの代表、本学の外国人留学生など13カ国・地域の学生たちを結集した。 改めていうまでもなく、21世紀の人類の繁栄と平和は今の若者たちが担うことになる。そのためには国際的な相互理解を深めしっかりと協力関係を築き共通のゴールに向けて前進することが不可欠である。とくに農学および関連科学を学ぶ学生たちには食料、環境、健康、資源エネルギーの分野で貢献することが期待されている。彼らが一堂に会して意見交換、相互理解、共同責任意識、自己役割の認識の深めることの意義は高い。

2001年のサミットは、プレ会議ツアー、2日間の発表・討論など1週間にわたる国際イベントであった。 私は組織委員長として、発表予定者、座長予定者など多くの学生と、プログラム、発表内容、議事進行方法、プレ会議ツアーなどについて半年以上にわたって協議したり激励したり、あるいは夜遅くまで作業している学生達と一緒に研究室で度々夕食を取った。学生主体の国際会議の開催に向けた準備に全力投球したことを昨日のように思い出す。

幸いにも、世界学生サミットは大成功であった。恥ずかしがり屋の日本人学生が1000人収容の大講堂で、しかも英語での発表や司会進行をやり遂げたこと、普段は日本語習得に苦労していた留学生が自国の農・食・環境問題や在来農法の優位性などについて発表したこと、姉妹校代表学生も初めて日本を訪問し多数の外国人と交流し友情を培ったこと、など感激すべき点が多々あった。何よりも、本学のみならず姉妹校代表学生にとっても、全員が一緒に国際会議をやり遂げたという満足感と自信の構築があった。

世界学生フォーラムを設置

これは結果として、国際理解と責任感に裏付けられた自主性と連帯性を育成する実践的な国際教育機会になったと自負している。白熱した議論の結果と「東京宣言」は毎日新聞全国版で2頁の見開き特集記事で紹介され、英文と和文のプロシーディングを出版した。

しかし、これは最後ではなく最初であった。当時の毎日新聞社社長と本学学長は、このような世界学生サミットは継続して実施すべしと考えた。もともと創立110周年の記念事業として企画したものであり、1回のみの予定であったものを毎年継続して開催するには、新たな発想と組織化が必要であった。1回目に開花した実践的国際教育の機会に持続性を与えるため、本学では日常から姉妹校の学生同士がインターネットを通じて会議ができる組織の構築を目指した。

翌年開催した第2回世界学生サミットでは「世界学生フォーラム」の設置を決議した。また、「東京宣言」の具体化を図るために「行動計画」も採択された。本学では3年目に世界学生フォーラム日本委員会学生委員会を組織し、関心を持つ外国人留学生と日本人学生を募集した。その後は、毎年50〜100名の学生が活動を続け、進化している。中には、他大学からの学生が紛れ込んでいることもある。

世界の農学系大学と連携

世界高等農業教育研究コンソーシアム(GCHERA)は、1999年に設立された世界の農業大学の協議会で、130カ国から300以上の大学が参加している。本学は2000年に加入し、日本を代表する理事大学となっている。この第3回大会が、2003年9月にウクライナのキエフで開催された。前年度の第2回世界学生サミットを視察されたウクライナ国立農業大学のムルニチョック学長が会長を務めたこの大会では、初めて学生の国際活動をテーマの1つに取上げた。本学の国際教育活動に触発されたからと考えられる。当時の進士学長と私は、世界学生サミットで総合討論の座長を務める予定の2名の学生を同伴してキエフ大会に参加した。彼等は見事に責務を全うし、世界の農学系大学の指導者700名余りの前で、堂々と本学の国際的取組みを発表してくれた。

世界学生フォーラムの設置に関しては、姉妹校の足並みがそろわなかったのも事実である。コンピュータへのアクセスが限られている国・大学があったり、学生の社会活動に警戒感を抱く国・大学があったり複雑な事情があった。何よりも、世界学生サミットに出席して素晴らしい経験を積んだ学生達が帰国すると、彼らの多くはすぐに卒業してしまった。翌年のサミットに出席した学生達は新たに有意義な国際経験を積んだが、その経験が後輩達に受継がれることがなかったのである。この点、本学の学生は恵まれている。1回目から4年間活動を継続して卒業を迎えた学生も出現するなど、主催者としての責任感を持ち企画運営経験を蓄積している。

「特色ある大学教育」支援に採択

2004年に開催した第4回世界学生サミットでは、姉妹校から学生と一緒に教員を招聘した。本学は2003年度に文部科学省が公募した「特色ある大学教育支援プログラム」に応募し、農学分野で唯一採択されていた。

これは「次世代農業者育成のためのグローバルネットワーク」と題する総合的な国際教育プログラムとして、世界学生サミットを含む本学の国際教育への取組みが評価されたものである。幸いにも補助金がついたので、世界学生サミット・世界学生フォーラムと「英語による専門教育プログラム」の強化に重点的に支出することを学長と理事長に認めてもらった。これによって、全ての姉妹校から3年間にわたって教員を招聘する財源が確保できたことは、新たな展開への重要なステップである。 まず、本学は世界学生フォーラムにインターナショナルアドバイザーを置いた。それまでは、本学が主催する行事に各姉妹校が学生代表を派遣し、それなりに国際経験を積ませていると考えられていた節があったことは否めない。「日本へ行ける」ことは多くの学生にとって魅力であったことは間違いなく、希望者が多かったとも聞いている。しかし、各大学でこの国際会議の真の狙いが浸透していたとは言えないし、単発的な会議参加状態と思われた。本学の試みを理解し協力してくれる教員がいなかったためである。

姉妹校の教員たちも交流

そこで、2004年度には各姉妹校から1名ずつインターナショナルアドバイザーに就任して頂き、第4回世界学生サミットから学生と一緒に来日して頂いた。この取組みの重要性と可能性を認識して貰うためである。自分の大学の学生がこんな世界の大舞台で堂々と意見を発表し討論する姿に感激する姉妹校教員の姿が忘れられない。帰国後は自分の大学に世界学生フォーラムを組織し自ら指導するとの言明があったが、これこそ本学が期待した言葉であった。

確実に、本学だけでなく各姉妹校にとっても世界学生サミットと世界学生フォーラムは貴重な教育機会になること、あるいは既にそうなっていることを実感する瞬間でもあった。文字通り、姉妹校との連携下の国際教育プログラムが発進する段階に至ったといえよう。ちなみに、世界学生サミットが継続開催されていることを踏まえ、参加する学生代表を学内コンテストで選抜する姉妹校が増加するなど、各大学において学生の勉学を活性化させる大きな効果を与えているようである。

第5回世界学生サミットに先立って、本年11月23日にインターナショナルアドバイザーが参集して、各大学における「食・農・環境教育プログラム」に関するワークショップを開催する。姉妹校同士の相互理解の深化を図ることを狙っている。相互理解こそ共通理念の構築と共同プログラムの立案に不可欠であり、世界の指導的な農学系大学とともに食・農・環境教育のグローバルネットワーク化に本学は中心的な役割を演じようとしているのである。真のグローバル化は一国・一大学で生じるものではなく、グローバルに進展すべきものである。読者の一層のご理解とご支援をお願いしたい。

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