ビタミン事始め

脚気、米糠、オリザニン

中西教授東京農業大学短期大学部 醸造学科 教授 (醸造学科食品微生物学研究室)

東京農業大学前副学長。醸造学科食品微生物学研究室。応用酵素学、バイオプロセス学。

中西 載慶

主な共著:

『インターネットが教える日本人の食卓』東京農大出版会、『食品製造』・『微生物基礎』実教出版など

人や動物が生命活動を行なうためには、栄養素として炭水化物、タンパク質、脂質、ミネラルとビタミンを必要とします。今回は、知っているようで知らない物質ともいえるビタミンの話。ビタミンは、必要量は微量ですが、栄養成分の代謝や生理作用を円滑に行なうために必要不可欠な物質です。化学的には、生物の代謝や生理作用は、数え切れないほど多くの酵素の反応による様々な物質の分解・合成・変換などで成り立っています。従って、これら多種多様な酵素が正常に働かなければ、当然、生命の維持や活動に支障が生じます。ビタミンは、それらの酵素に充分な力を発揮させるために必要な物質なのです。酵素を機械にたとえれば、ビタミンは、消耗の激しい潤滑油あるいは装着部品のようなものです。ちなみに、植物や微生物は自らビタミンを作ることができますが、人やほとんどの動物には、その能力がありません。それ故、人は常に必要量を食物を通して補っていくことが必要なのです。ビタミンは通常の食事を取っていれば必要量は確保できます。しかし、単調な食事や制限された食事のときは、不足するビタミンが生じ、特定の障害(病気)が起こります。従って、ビタミン発見の発端は、昔の軍隊で壊血病や脚気が集団発生し、その撲滅のための研究が始まりです。1800年代後半の日本海軍でも脚気が蔓延し、その対策が検討されたのです。

ビタミンの存在に気がついた最初の科学者はエイクマン(オランダ)で、米糠の中に脚気に有効な成分があると推測しました。その後1911年にカシミール・フンク(ポーランド)がその成分抽出に成功しました。翌年、彼は、その物質がアミン(窒素の化合物)であることから、生命(ドイツ語でビタ)のアミンという意味でビタミンと命名したとのこと。この発見以後、生命に必要な微量栄養素が幾つか見つかり、正式な化学構造が判明するまで仮称としてビタミンA, B, C…と名づけられました。化学構造が明らかになり、学術名が決まった現在でも、便宜的に広く使われています。現在、確認されているビタミンは13種類、ビタミンと類似の作用をする物質で、通称ビタミンと呼ばれているものも11種類ほどあります。なお、フンクが発見したビタミンは、現在のビタミンB1(学術名チアミン)です。このB1やその他ビタミンの働きとその欠乏症などについては、次号以降ということに。

ところで、ビタミンB1発見の歴史には、日本人として、ぜひ知ってほしい話があります。1900年初頭より、鈴木梅太郎博士1)も脚気治療に有効な米糠成分の化学的研究を進めており、フンクが発見した成分と同様の物質を、その1年前に抽出に成功し、オリザニンと名づけ報告しています。しかし、論文が日本語であったことや当時の日本の状況などから、正当な国際的評価がなされなかったことは残念な事実です。現在ならノーベル賞候補になっていたかもしれません。  先人の教訓、親や先輩や友人の忠告は、心のビタミン、常に耳を傾け続け、精神の健全化に繋げることが肝要のようで…。次号ビタミンの各論「ビタミンA」につづく。

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