カラシは辛し

シニグリンとアオムシ

中西教授東京農業大学短期大学部 醸造学科 教授 (醸造学科食品微生物学研究室)

前副学長

中西 載慶

主な共著:

『インターネットが教える日本人の食卓』東京農大出版会、『食品製造』・『微生物基礎』実教出版など

唐辛子のカプサイシン、わさびのシニグリンに続く辛い話の3回目はカラシです。カラシの原料は、イメージし難いかもしれませんが、ワサビと同じアブラナ科に属するカラシナの種子です。カラシナは菜の花の一種ですから、この種子にも、菜種と同様多くの油分が含まれています。そこで、この油分を特殊な技術で除き粉末乾燥したものがお馴染みの黄色い粉カラシです。カラシは古代エジプトの時代より栽培されていたといわれ、現在でも世界各国の温帯地域で広く栽培されています。日本には奈良・平安時代に中国から伝わり、昭和30年頃までカラシ原料として栽培されていたとのこと。しかし、現在では、ほとんどがカナダからの輸入です。
  カラシの種子には、ワサビと同様に、苦味はあるものの辛味のないシニグリンという辛味の素となる物質とミロシナーゼという酵素が含まれています。それ故、粉カラシに水を加え激しくかき混ぜると酵素反応が開始して、シニグリンからあの独特な辛味物質であるアリルカラシ油が生成します。生わさびの場合は、水分があるので、すりおろしたり細かくきざんだりするとシニグリンとミロシナーゼが反応してアリルカラシ油が生成します。粉カラシとワサビの辛味物質とその生成経過は基本的に同じです。アリルカラシ油は揮発性なので、カラシもワサビも多量に摂るとツ−ンと鼻に抜け涙が出ます。また、殺菌効果や防腐効果も同じようにあるのです。江戸時代には、かつおの刺身にカラシをつけ食したとのこと。八丈島の名物、島鮨もワサビではなくてカラシです。勿論、カラシとワサビでは辛味物質以外の成分は異なるので、風味が異なっているのは当然です。なお、洋カラシ(マスタード)は、カラシナの品種、種子の大きさや色が異なり、辛味物質もアリルカラシ油と僅かに化学構造の異なるベンジルカラシ油という物質が主成分です。この物質は、辛味が弱く揮発性も低いので、洋カラシはマイルドな風味というわけです。
  ところで、カラシやワサビは、なぜシニグリンやアリルカラシ油の生成能をもっているのでしょうか? 答えは簡単で、病害虫や病原菌から身を守るためです。事実、シニグリンは多くの昆虫に毒性を示すので、病害虫も寄り付き難いのです。ところが、このシニグリンが大好きで、シニグリンを含む植物ばかりを食べるアオムシもいます。アオムシに食べられ始めると、カラシやワサビは、これは大変とばかり、シニグリンをアリルカラシ油に変えて揮発させます。すると、アオムシの天敵である寄生バチが引き寄せられ、カラシやワサビは、間接的に身を守ることができるのです。また、アリルカラシ油は殺菌効果もあるので、傷口から感染する微生物からも身を守っているのです。自然界、生物界とは本当に多様で合理的、偉大で神秘的だと感心するばかりです。もっとも人間がこんなにアリルカラシ油が大好きとはカラシもワサビも想定外だったかもしれませんが…。
  桜前線北上中。さまざまなことおもひ出す桜哉(芭蕉)。4月は思い出多き月なので思月と書きたい気分です。キャンパスも新入生がいっぱい。ということで、次号、お肌しっとり「ヒアルロン酸」につづく。

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