第四回 報告書

国際農業開発学科4年

縫村 啓子

春節が終わり、3月中旬には部屋の暖房が止まり、春がきたなと思っていたらもう夏。気温30度と暑い季節がまたやってきました。本当に北京の春は短いです。市内の公園にある桜も見逃してしまい、今年生まれて初めて満開の桜を見ずに5月を迎えました。

後期が始まって今週で第12週目、6月中旬には期末テストの期間が設けられています。ただ、講義によって終了する時期が異なるので、もうすでにテストが終わった科目もあります。すこし無理とは思いながらも、シラバスのように講義の詳細が記載されたものがないため、最初から授業は多めに履修させてもらいました。CAUで交換留学生という立場でいる学生は自分だけなので、学校側から特に決められたこともなく、本科生と同様に所属となっている学部を基本として、ほかの学部の講義も受けさせてもらっています。いま受けているのは、発展経済学,政治学,農業経済管理学,区域分析学概論,人力資源管理,農村発展と管理政策,農産物安全生産,野菜育種学,無土栽培、計9科目です。うち、2科目はすでに終了し試験も受けました。履修といっても正式な登録があるわけではなく、第一回の授業で講義を担当する先生に一言いうだけです。農学部の授業では、前学期も参加していたクラスにあたるので、最近初めて実験の授業にも参加させてもらうことができました。

前回の報告書でも少し触れましたが、宿題に関しては本当に厳しいと感じます。授業で生徒がPPT(パワーポイント)を使用してプレゼンテーションをするというのはよくあることです。例えば、国の政策についてその背景や、実施状況、今後の課題など細かいところまで考えます。ここまで普段の授業で細かい内容まで踏み込むことができるのは、大学の仕組みとして学部、学科、専攻とはっきり分かれていて、大学自体における各専攻の研究も十分進められていることが大きく影響していると思います。最近新しく編成しなおしたところもあるらしく、CAUがいったいいくつの学科に学部に分かれているのか、実は今でも知らないくらいです。相変わらず講義中の笑話についていけないときには、語学力のなさをしみじみと実感するわけですが、それでも講義の内容が少しずつではありますが、はっきりと先生の話を聞き取った上で理解できるようになってきています。

ここでは“民族”と言うものを日々感じながらの生活です。授業に行けば、少数民族とされるウイグル族とチベット族のこがいて気軽に話しかけてきてくれます。というのも、彼らは「母語」が中国語でないことから、中国語を勉強している自分に興味を持ってくれるようです。中学生のときに授業で教わった“中国には56の民族がいて、宗教も文化も異なる”そのことを、本当にいま改めて彼らと接する中で実感しています。私の場合は日本から中国に来た、これは国を超えているわけですが、中国国内なのに言葉も文化も宗教も違う環境に来るというのが、とても不思議な感覚です。(地図を開いて見てもらえれば、どれほど北京と新疆、チベットが離れているかわかってもらえると思います。)

課題レポートに関しては、前回農業について自由に書くという内容であったにも関わらず一苦労でした。語学能力の問題を除いても、農業に関する制度、現状、問題、それらをあまり把握していないことに気づきました。その原因は、日本であれば友達や家族との会話、新聞、ニュースなどを通して、生活しているだけでも自然といろんな情報が入ってくるわけですが、それがここではないからだと思います。まったくというわけではありませんが、情報量はかなり少ないです。中国の農業について勉強したいというのが、私の留学の目的のひとつでもあったのですが、結局のところ具体的な内容は何もわかっていないのかもしれないと痛感させられました。それから労働節の2週間前に「火車」の切符を買うために一度駅で2時間ほど並んだことがあります。並んだのは前から7番目、結果「买不到了」(買えなかった)まさにこの一言でした。中国の切符事情とでもいうのでしょうか、人の多さ、システムの複雑さ、裏事情を垣間見た日でした。

 

語学に関しては、ひたすら講義に出て先生やクラスメートの話を聞いてそれをあとで自分なりに調べて、メモした内容を解読するというような形です。それでも、いろんな文献や教科書を読むことを通して自然と文の流れをつかむようになって、すこしずつ自分の中で使える中国語として記憶されていくという感じです。会話の中で使う言葉もなかなか一定のレベルから上げることが難しいのですが、すこしずつ覚えた単語を使ってみています。

中国という国はものすごい勢いで発展を遂げていて、貧富の差が広がっていることも同時に問題視されています。街中に出れば、それも一目瞭然です。開発学科ということもあり、発展途上国の状況や食糧問題、環境問題いろいろと勉強してきたつもりでしたが、それでもいざ目の前にその状況があるとなると一体何からはじめたらいいのかわからなくなります。このようなことは講義の中でもとりあげられるので、時々こんなことも考えるのですが、本当に母国でない国で生活して、そこでその国のことを理解すると言うのはとても時間と意欲が必要なことだと今は思います。日本語を勉強している中国人の人との交流はわたしのこの留学での心の支えにもなっています。ここでこうして違う国について学べることに感謝して、帰国後のことも念頭に入れながら、残りの生活を満喫したいと思います。

 

 

なぜかスーパーの野菜は“新鮮やさい”でたばね

られてます

 

あさの食堂にはご飯(米饭)がありません…お粥か

このようなマントウ(中身は野菜&肉)

 

 

西キャンパス(西校区)

 

 

 

東キャンパス門をでたところ(東校区)